初・チョコレイトの日

 「フユキー、フユキフユキフユキフユキフユキフユ」

 「クトーうるさい」


 白亜の邸宅が、甘い香りに包まれる。

 フユキが甘い甘いチョコを捏ねくり、クトーはそんなフユキの腰にへばり付くように腕を絡めていた。


 そう、今日はチョコレイトの日。


 遠い昔、遠い国で起こったと言われる国王と王妃のお話が起源と言われる一大イベントの日――


 ――とある国には、それはそれは立派な王様がいました。


 しかし、王様には後を継ぐ王子はおろか、王妃すらおりません。王様も三十間近、そろそろ跡継ぎを儲けなければなりません。

 何故お妃様がいないかといえば、あまりに立派な王様ゆえに彼と共に立つ資質を備えた王妃でなければならぬと臣下が騒ぎ、そしてそんな素晴らしい女性を見つけることなど出来るわけもなくただ時だけが過ぎて行っていたのです。

 そこで、偉大なる魔術士が、その知識の総てを以て壮大な術を行使したと言います。


 それは禁断の魔術――召喚――


 そうして呼び出された女性は神の国から来た天使であったと言います。王様に勝るとも劣らない英知の持ち主であり、しかし王様を立てて決して政治的混乱を齎すことのない素晴らしい女性でした。

 王妃となった女性は神の知識をこの世界に惜しみなく授けます。

 中には重要でもない、神の世界のお伽噺も含まれていました。

 そのお伽噺の一つに、乙女達が勇気を奮うための素敵なお話があったのです――



 「んで?」


 カチャカチャとボウルでチョコをかき混ぜている冬樹。

 忙しなく腕を動かす冬樹の腰に腕を巻きつけクトーは立て膝で冬樹の背中に頬擦りをしている。


 「だから、そのお話が後々イベントになったわけ。で、その準備をしてるの。邪魔だから離れてってば」

 「結局、そのお話ってのの中身がわかんねぇんだけど」


 クトーの言い分は尤もだが、冬樹は内容を言い渋った。

 正直なところ、恥ずかしいのだ。

 研究一辺倒で、恋愛にも積極的とは言えない生き方をしてきていた。いままで付き合った男性たちには、この日の存在を忘れていたゆえにガッカリされたことが何度か…いや、何度もある。

 彼の元へと嫁いだ当初はクトーの鱗の染色に嵌まり込み、デロデロに甘えてくる(というよりかは襲い掛かってくる)クトーをかわし続けていた。

 それでもクトーにとって冬樹は可愛くて可愛くて可愛がりたくてしかたのない存在のようで、どんなにぞんざいに扱おうともその愛が醒めることがない。

 身も心も熔かすようなクトーの愛を一心に受けて、冬樹は冬樹なりに同じ様にクトーを愛しく想っているんだということをどう伝えればいいのか悩んだのだった。

 そしてはたと気付いた。


 (チョコレイトの日が近い!)


 ということに。

 どうせ、人界のことに疎いクトーのことだからこのイベントの内容を知らないだろうと予測をつけた。

 なので町に下りた時に堂々と原材料を買うことも出来たし、こうしてクトーに絡まれたままチョコレイトを捏ねることも出来る。

 知っていたら出来ない。

 冬樹は、とにかく恥ずかしがり屋なのだ。



 そんな訳で、腰にクトーを貼り付けたまま冬樹は何とかチョコレイトを湯せんにかけ、牛乳を入れて混ぜる所まで終わらせた。


 (たぶんこれでホワイトチョコになるよね)


 レシピなんて見ていない。

 むしろ、スイーツなんて作ったことがない為、勘でやっていた。

 チョコを直火にかけないだけマシという状態で、湯せんに掛けたチョコに牛乳をただ流し込んでちょっと混ぜただけでは分離して食べれたものではないことなど冬樹には想像もつかなかった。



 「よしっと」


 冬樹が呟き、両手を腰に当てる。


 「なにが、よっしと。なんだっつーの。そのお話ってのなんなんだよ?」


 若干イラつきを滲ませた声で、冬樹に張り付いていたクトーがグリグリとその腰におでこを擦り付ける。少々くすぐったく感じた冬樹は「ぷくっ」と笑いながら振り返り、クトーの頭をそっと撫でた。


 「それは出来てから教えるから」

 「……っち」


 なにやら嬉しそうな冬樹の様子に、クトーは内心のイライラを強制的に収められる。冬樹が笑えばどうしても嬉しくなってしまうのだ。

 そんな自分自身にイラつくような、悔しいような、複雑に見せかけて単純な感情を抱きついたままの冬樹の腹にぶつける。


 「とにかく、ここにクトーがいたらいつまでもチョコが固まんないでしょ?ほら、リビングに行こう?」


 グリグリグリグリ


 冬樹の言葉を無視して、まるで犬が甘えてくるような仕草を繰り替えずクトー。冬樹は苦笑を滲ませてその真紅の髪を撫でる。


 (こんなにしあわせでいいのかねぇ……?)


 なんて、甘い思考に囚われていた。

 腰に回っていた手が徐々に下がって冬樹のスカートを捲り上げようとしていることにも、こすり付ける顔自体がとある場所を目指して不審な動きに変わっていることにも気付いていなかった。

 気付いた時には後の祭り。

 その後、どうなったかは言わずもがな――




 (順番がめちゃくちゃ……)


 冬樹の計画では、チョコを渡し食べている間にお伽噺の内容を話し、その後モニャモニャする予定だったのだ。

 しかし、寝室に強制連行モニャモニャ中に焦らされて息も絶え絶えにお伽噺の内容を伝える嵌めになり、ヨロヨロとした足取りでキッチンへ戻る嵌めになった。


 (うぅ……食べられない……)


 出来たチョコは見事に水分と油とが分離をして固い、不味い。


 「…………」


 クトーも無言の有様だった。


 「ご、ごめん」

 「あー……、まぁあれだ。きにすんな」


 ヤっ……セッ……愛を語り合いチョコレイトの日の話を聞いたクトーがイっ……達っ……ことが済んでからソワソワと嬉しそうにしていたからこそ、冬樹は盛大に凹んでいた。


 「うぅ……」


 ズンドコ沈んでいく冬樹に、クトーも焦る。


 「カレーが食いてぇ!!すっげぇカレーやつ!!」


 焦った結果、よくわからないことをほざいた。

 案の定、冬樹がぽかんと口を開ける。

 ふと、チョコレイトを作っているときの湯せんされた状態を思い出したクトーの頭の中で、ドロドロの茶色から連想されたのがカレーだったのだ。


 「あ、は……ほら、前に作ってくれただろ?シャラント式カレー!あれ食いてぇなぁ!超食いてぇなぁ!!」


 自分自身(何言ってんだ俺)と思っているのがありありと表情に現れていることをわかっているのだろう。焦ったような呆れたような複雑な表情に、冬樹の感情も浮上した。


 (慰めるっていうか、気を逸らそうとしてくれてんだよね?)


 「……わかった。めっちゃくちゃ辛ぁ~いカレー作るから!!」

 「お、おう!!期待してる!!」



 チョコレイトの日。

 乙女たちが勇気を出して好きな男性に愛を告白する日。



 そんな日に、冬樹は竜さえ涙を流すほどの激辛カレーで愛を囁いたのだった――








 「冬樹」


 食後、まったりとリビングでソファに座っていた冬樹の眼前にほわりと甘い香り漂うマグカップが差し出された。


 「なぁに、これ?」


 眠気に誘われていた冬樹の声は少々とろけ気味である。


 「あー、あれだ。ホットチョコ?ほらよ、別に乙女だけが愛を告白するんじゃなくてもいいだろ?だから、その……、俺から、な」



 その夜は、ベッドの石が蕩けるくらいに熱い夜になったのは言うまでもない。

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【完結】鍛冶屋さんと私 おうさとじん @lichtmusik

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