第6話

 いくら探し回っても、果詠は何処にも見当たらないし、帰って来る様子も無い。

 探しに行こうにも、妹の行きそうな場所を知らないし、妹の交友関係も、煌は全く知らない、まだ高校に通っていた頃の妹の友達は何人か知っているが、今頃そんな奴らが妹に何かを言って来るとはとても思えない。

 だが……

 煌の中で、嫌な予感が膨れ上がる、まさか……あいつらが懲りもせずに……?

 いや、それは無いだろう。煌は首を左右に激しく振ってその考えを追い出した、妹がここに閉じこもっている事を知っているのは、父と自分だけだ、妹が自分からコンタクトを取らない限り、あいつらがここを知っているとはとても思えない。

 となれば……一体。

 一体、妹は何処に。

 解らない。

 手がかりは……何も無い。

 妹は……何処に行ってしまったのだ。

 何処に……


 結局、ずっとあの真っ暗な部屋で考え込んでいても意味が無い。

 煌は、そう思って一度アパートを出た。

 自分一人では、手に負えない。やはり誰かに協力を仰ぐべきだろう。そして……

 そして、やはりこういう時に頼るべき相手は、一人しかいない。

 煌は、ゆっくりとした足取りで自宅までの道を歩いていた。


 都心から少し離れた、静かな雰囲気に包まれた街。

 だからと言って、決して郊外、という訳では無く、都心部に出るのにそれほどの不都合は無い、自然もあり、雰囲気も良い、土地の値段は高かったけれど、それでも煌はこの街が好きだった。

 そして。

 この街に立ち並ぶ家は、ほとんどが高級住宅だ。

 その中でも一際大きく、目立つ家。

 それが、煌の家だった。

 自宅の門の前に立った煌は、黙って門の横の呼び鈴を鳴らした。

 家族とはいえども、今の世の中は危険が多い、だから自宅に入る時には呼び鈴を鳴らさねばならない。

 呼び鈴が鳴ると、その上に設置された監視カメラが作動し、不審な人物であれば、父が雇った警備員が門に向かう、という仕組みだ。だが、今はさすがに一目で煌だと解ったのだろう、がちゃ、と音がして門の鍵が開いた。

 煌は黙って、開いた門から中に入る。


 庭を通り、家に入る。

「お帰りなさいませ」

 声がして、数人のメイドがお辞儀をして出迎えた。

「ただいま」

 煌は、軽く会釈をする、正直、こういう仰々しい雰囲気は好きじゃ無い。

 だが、父が『お前は上に立つ人間だから、これは当然の事だ』と、こういう出迎えを徹底させているのだ。

 それは必要無い、と言ったのだけれど、父は頑として聞き入れない、ただでさえギクシャクしている父との関係を、こんな事で、もっと険悪にする必要も無い、と、煌はそれ以上は何も言わなかった。


 そのまま外出用の服から、自宅用の服に着替えて食堂に向かう。

 大きな、長いテーブル、その一番奥に、既に一人の男が座っていた。

「ただいま帰りました」

 親子であるはずなのに、この男に対して煌は、常にこうして敬語だ。街で見かける普通の親子のような会話など、一度だってした事が無い。

 そして。

「父さん」

 煌は顔を上げて、その男に向かって言う。

「ああ」

 男は無言で頷いた。


 水城亘(みずしろわたる)。

 煌、果詠の父。

 世界中に支社を置く、大手の貿易会社の日本支社長。

 その経営手腕は本社からも評価されているらしい、いずれは本社に行って、全世界の支社の経営に携わる、という話だった、そしてその為に、日本にある、つまりは今、自分が経営する会社を、煌に任せるつもりであるらしい。

 もうすぐ五十代の半ばにさしかかるが、老齢な雰囲気など全く感じさせない、常に高みを目指す強固な意志と、強い野心を持っている。

 そして……

 その為に、他人であろうとも、身内であろうとも、自分が『不必要だ』と判断したものは、容赦無く見放す。

 そういう、残酷な人間なのだ、この男は、今の地位を手に入れる時にも、沢山の人間を切り捨て、犠牲にしたという、今の会社を大きくするのにも、一体何人がこの男に切り捨てられたのだろう。

 解らない。

 だが今は……

 今は、それを考えるべき時じゃない。


 長いテーブルの入口側、亘とちょうど向き合う格好で、煌はテーブルに座った。

「……父さん」

 煌は、亘が何かを言うよりも早く口を開く。

「果詠が、行方不明なんです、何処に行ってしまったか解らないし、何の手がかりも無い」

 煌は言う。

 だが亘からは返事が無い。

「果詠が行きそうな場所には、残念ながら心当たりが無いし、交友関係も解らない、だから、果詠を探すのを手伝って下さい、せめて人を回してくれれば……」

 煌はさらに言うが、亘はまだ黙ったままだ。

 そして。

「父さん」

 黙っている亘に向かって、煌は顔を上げて言う。

 だが。

「煌」

 亘が、口を開く。

 そして。

「……お前の渡米を、早めることにした」

「……は?」

 煌は問いかける。

「本当は、今すぐにでも行って貰いたいが、残念ながらどうしても飛行機のチケットが取れなくてな、一番早い便を頼んでおいた、三日後だ」

「……み 三日って……」

 煌は問いかける。

「そんな事を急に言われたって、妹が行方不明なんですよ? それに大学だって……」

「既にお前の成績ならば、『あちら』で経営について学ぶのには十分だ、大学などには行く必要はもう無い、家庭教師の先生も、そう言ってくれた」

 亘はにべも無く言う。

「だから、お前にはアメリカへ行って貰う事にした、三日もあれば身支度は出来るな? 大学の方には私から連絡しておいてやる、どうしても挨拶しておきたい人間でもいるのならば、それは三日以内に自分で行っておけ」

「だ だから……」

 煌はなおも言う。

 だけど亘は、それで話は終わりだ、と言わんばかりに、テーブルの上に置かれたベルを鳴らした。

 がちゃり、と音がして、給仕係が料理を運んで来る。

「……妹は……」

 煌は、じっと亘の顔を見て問いかける。

「果詠は、どうするんです?」

「忘れろ」

 亘は言う。

「さっきも、そう言ったはずだ、もう『あれ』は……」

 亘は息を吐いた。

「『あれ』は、私の娘では無い、『家族』では無い」

「……っ」

 煌は、歯ぎしりする。

 そんな……

 そんな酷い事を……

「……どうして、だよ?」

 煌は問いかける。

「果詠は、あんたの娘だろう!?」

 煌は、テーブルをばんっ、と叩いて立ち上がり、怒鳴り付けた。

「それなのに、どうして……っ!!」

「言ったはずだ」

 亘は言う。

「『あれ』は、もう何の価値も無い、その時点で私と『あれ』は他人だ、もう……」

 亘は、ふん、と鼻を鳴らした。

「もう、『必要無い』」

「……そうやって……」

 煌は言う。

「そうやって、自分にとって『無価値』な存在は、どんどんと切り捨てる訳だ?」

 煌は、侮蔑を含んだ目で言う。

「そうだ」

 亘は否定もせずに頷いた。

「私はそうして、今の地位を手に入れたんだ、人を『高み』に導くものは、単に強い意志だけでは無い、自分にとって『無価値』なものや、『邪魔』なものを切り捨てる、そういう非情さも無くてはダメだ」

 亘は言う。

「綺麗事だけでは、人は『上』を目指せ無い、『欲しいもの』を手に入れる事は出来ない」

 亘はそこで言葉を切り、給仕係が置いたスープに、スプーンを入れる。

「解ったのならば、お前もさっさと『あんなもの』は忘れろ、ああそれから……」

 亘は、スープを飲んで言う。

「向こうから戻った時には、お前には私の跡を正式に継いで貰う事になるが、その時には本社の重役の娘と結婚して貰う事になっている」

「……本社との繋がる為の『パイプ役』として、息子である俺も、利用したいって事か?」

 煌は問いかける。

「そうだ」

 亘は否定もしない。

「その為には円満な夫婦関係でいて貰わねばならんからな、向こうで少しは女性の扱いでも学んで来い、お前は勉学に関しては優秀だが、『そういう方面』に関してはてんでダメだからな」

 ふふ、と。

 亘が笑う。それは煌が久しぶりに見る父の笑顔だったが、そんなものを見ても、ちっとも嬉しくなかった。

 煌の中に湧き上がって来たのは……圧倒的なまでの怒り、そして……

 そして、深い失望だった。

「解りました」

 煌は言う。

 そして。

 がたん、と。

 煌は椅子を鳴らして立ち上がった。

「もう、結構です」

 そのまま煌は、くるりと父に……

 否。

 『男』に、背を向ける。

「何処に行くつもりだ?」

 『男』が問いかける。

「……どうせ、出発は三日後なのでしょう? そして今の俺の成績ならば、既に勉学の必要は無い、さっき貴方自身が言った事じゃないですか?」

 煌は言う。

「ならば三日間、俺が何処で何をしようとも、もう関係無いはずだ、違いますか?」

 それ以上何も言わずに、煌はドスドスと荒々しく歩き出す。


 もう……

 もう、この『男』を『父』と呼ぶ事は無いだろう。

 例え果詠を見つけたとしても、もう……

 もう、この『男』には会わせないし、自分も……

 自分も、この『男』に会うつもりは無い。


 煌は、そう思って。

 そのまま、家の出口に向かった。

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