第3話

 水城果詠(みずしろかえ)

 煌の妹。

 煌と同じく、父から大いに期待を寄せられていた。

 妹も、そんな父の期待に応えようと、常に努力していた。いつも勉学では優秀な成績を修め、運動でも非常に優秀、芸術や音楽でも優秀だったし、ただ一つの趣味であるゲームも、妹は地元のゲームセンターでも、ネットゲームのランキング大会でも常にトップレベルの成績、ついでに言えば、兄である煌が、身内の贔屓目を別にしても、かなりの美人だ。

 美人で、成績も運動神経も良く、ゲームから音楽から美術でもそつなくこなす。

 さらに言えば、煌と果詠の父は、世界中に支社を持つ、ある大手企業の支社長でもある、つまりは金持ち一家、という訳だ。

 その事を偉ぶったりもせず、常に周りと仲良くしていた。

 だから妹は、友人も多く、常に周りに沢山の人がいた、家に遊びに来た事だってあった、その時は煌も、兄として精一杯彼らをもてなしていた。

 その時の妹は、紛れも無く、幸せだった。

 少なくとも、煌にはそう見えていた。

 見えて、いたのだ。

 だけど……

 それらは全て……

 全て、偽りだった。


 二年前。

 妹が、高校二年生の頃。

 その頃の妹は、いつも一人の女子生徒と一緒にいる事が多かった。

 彼女は、妹が高校に入った時から、ずっと親しくしていた友人だった、煌自身も、何度か会い、話した事もある、明るくて、優しくて、そして元気な子だった、家は、自分達兄妹と比べると、あまり裕福とは言えない家庭の様だったけれど、妹はその事で彼女を差別もしなかったし、彼女も妹と、そんな事は考えないで付き合っていた。

 そんな風に、煌には見えていた。

 見えて、いたのだ。

 だが……

 彼女は、その頃から少しずつ、妹に金を要求するようになっていた、最初は、『金を忘れた』とか、『財布を無くした』とか言っていたらしいが、次第に言い訳もせず、ファミレスなどで食事をすれば、黙って席を立って出て行く、そんな事を繰り返していたようだった。

 妹は、それでも彼女と良好な関係を築きたい、友達を見捨てたくない、と、我慢していたらしい。

 だが……

 彼女からの要求は、次第にエスカレートし、だんだんと高額な金を要求し始め、妹が断れば、妹を罵倒したり、時には暴力を振るったりもしていた。

 そして……

 妹が、いよいよ金を払わなくなると、彼女はクラスメイト達と結託し、妹を毎日の様に虐める様になったという。

 毎日の様に浴びせられる罵声、教室に入れば毎日の様に汚物を投げつけられ、水をかけられ、暴力を振るわれた。

 妹は、そういう事を、父にも、そして兄である煌にも言わなかった。

 毎日の様に、『学校では何も無かった』、『友達と楽しく遊んだ』と、呪文の様に繰り返す妹を、煌は何とかして、本当の事を言って欲しい、と説得したけれど、結局妹はそれを聞き入れなかった、兄が介入すれば、ああいう輩共はますますつけあがる、と思ったのか、或いは兄である煌には、迷惑はかけたくない、と思ったのかも知れない。

 それは、結局解らないまま時間だけが過ぎ、そして……

 そしてある日、クラスメイトの男子達が、ついに……

 ついに、妹に対して許されざる事をした。

 煌はその日、父の言いつけで、家で家庭教師と勉強していて、妹がそんな目に遭っている事を、全く知らなかった。

 そして……

 帰宅した妹。

 ボロボロの制服を手で押さえ、『何も無かった』、『友達と遊んでいた』を繰り返すばかりの妹を見た時。

 煌の中で。

 そして。

 妹の中で、何かが壊れた。


 それから妹は、高校に行かなくなった。

 退学の手続きは、煌が全てやった。

 妹は、それから自宅に引きこもる様になった。

 父は、そんな妹を別な高校に行かせようとした、場所さえ変えればそれで良い、そう思っていたのだろう。だが妹は、父がいくら違う高校を薦めても、決して部屋から出ようとしなかった。

 そんな妹に、父は愛想を尽かし、ついに妹を追い出そうとした。

 バールで部屋の扉を破壊しようとする父を、煌が止め、妹に家から出るように説き伏せたのだ、そうしないといけない、煌はそう思った、そうで無ければ今度は父が、妹にどんな酷い事をするか解らない。

 そして。

 一年前に、妹はこのアパートで暮らす様になった。


「……解った」

 煌は頷いて立ち上がる。

 妹は……振り返りもしない。

 自分は、もうすぐ父の指示で渡米する。本格的に、会社の経営について学ぶ為だ。

 そうなれば、きっと父は妹に対して今まで払って来た、このアパートの家賃やら生活費の仕送りを止めてしまうだろう。そうしたら妹は、ここにはいられなくなる、いずれは追い出されてしまうだろう、そうなったら……

 そうなったら、妹はどうなる?

 煌は目を閉じる。

 解らない。

 煌には、何も解らない。

 妹のこれからも。

 どうすれば良いのかも。

 煌には、解らないのだ。

「……また、来る」

 妹にそれだけを言い、煌は無言で玄関に向かって歩き出した。


 ぱたん。

 ヘッドホンをしていても、はっきりと扉が閉まる音が聞こえた。

 人の気配が完全に消えたアパートの一室。

 その中で、果詠は無言で、ちらりと自分の右横に目をやった。

 畳の上に散らばる、ゲームソフトや攻略本、中にはネットで見つけた攻略記事を印刷した物もある。

 それらに紛れて、一枚の紙が畳の上に置かれていた、兄は気づいてもいない様子だった。

 否。

 或いは気づいていたのかも知れないが、そこかしこに散らばる攻略記事を印刷した物と同じだろう、と、あまりきちんと見ていなかったのかも知れない。

 まあ、どうでも良い事だ。

「……もうすぐ……」

 果詠は呟く。

「もうすぐ、私の『願い』は叶う」

 果詠は、その紙を見ながら言う。

「そしたら……もう私の事なんか忘れて頂戴」

 果詠は目を閉じる。

「兄さん」

 果詠は、目を開けて呟く。

 果詠の視線の先にある紙。

 他の紙に埋もれて全体は見えない。

 だけど。

 辛うじて露わになっている部分に書かれている文字を、果詠はじっと見つめていた。


『貴方を、特別なゲーム大会にご招待致します』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る