柘榴
桐川君
交換日記なんて、提案しておいて照れくさくなってしまうけれど。私が提案したのだから、私から始めるのが筋だろう。
だから今日は私自身のことについて少し書いてみようと思う。今まで生きてきて一度もするつもりのなかったことを試してみる。誰かに読ませる文章なんて、ここしばらくテストや感想文以外で書いていない気がするから、読みづらかったらごめんなさい。
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「先輩」
「なあに、桐川君。あなたから話しかけてくれるなんて、珍しいわね」
「あの……実は、今日はお願いがありまして」
「あら、あら」
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私の名前は辻柘榴。名前を一目見て読める人はなかなかいない。ざくろ、と読む。果物の名前だ。写真で見るばかりで実際に食べたことはないが、きっと甘酸っぱいに違いない。小さい頃、図鑑で見たときに感じた赤くて、少しグロテスクな果物だな、という印象を今でも引きずっている。
家族構成は、父とその他大勢の居候だ。この話はまた、追々する日が来ると思うが、血のつながった家族は父だけである。
私に柘榴と名付けたのは父親らしい。正直、どういう意図を持って名付けたのか分からない。ただ、あまり深い意味があるとは思っていない。
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「……ごめんなさい。私、携帯電話持ってないの」
「えっ、そうなんスか」
「そう。なかなか持つ気になれなくて」
「珍しいッスね」
「高校生のスマートフォンの所有率って何パーセントなのかしら」
「さあ、知らないッスけど」
「ちょっと桐川君、調べてくれる?」
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私は父が嫌いだ。憎んでいると言っても過言ではない。ただ、既にそれを態度に示す時期は過ぎ、今は大学進学を目論む手前、形だけでも家族仲はよろしくやっている。
父はやり手だ。経営者として、尊敬するべき部分はたくさんある。ただ性格がどうかと言われると、反面教師にしたい部分の方が多い。そんな父だから、柘榴という名前にも意地悪い理由があるのではないかと訝しんでしまう。誤解であれば、それは嬉しいけれど。
と、父の愚痴を書いている間に、あっという間に1ページが埋まってしまった。いい気分のする話ではなかったと思うけれど、これからどうかよろしく。
桐川君、貴方のことをもっと知りたい。貴方の過去や、貴方の好きなもの総てを知りたい。
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「先輩は1.8%のうちの一人みたいッス」
「この学校で言えば、1学年に5人はいるのね。あまりそんな気はしなかったわ」
「いや、それは先輩がクラスメートに興味なさすぎるだけッスよ。たぶん先輩の知らないところで、クラスの重要な連絡が回ってるはずっス」
「本当に大切なことなら、持っていない人にも平等に伝えるべきだと思わない?」
「それはまあ、その、そうッスけど……」
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辻センパイ
恥ずかしいから、そんなにオレに興味持たないでほしいです。
日記を書くのも小学生の時の一行日記以来な気がします。
日記と言えば今日何をしたかを書く、というものだと思っていたので、いきなり自分のことを話してるのはびっくりしました。
でもそれなら、オレもちょっとオレのことを話していこうかなと思います。
センパイの名前、なんて読むんだろうってずっと思ってて、今日やっと分かって嬉しかったです。図書室の利用カードはいつも見てるけど、ほんとに分かんなくて。
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「それに、ここでいつも話しているのに、家でまでやりとりを求めるだなんて」
「そういうつもりはなかったッスけど」
「じゃあどういうつもり?」
「……知り合って、仲良くなったらみんな、鳴き声みたいに『LINE交換しよ』、って言ってるんで。俺もあやかりたくて」
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センパイは、自分の名前の由来を直接聞いたことはないんですか?
オレは小学生の頃、自分の名前の由来について調べるって課題が出て、母さんに聞いたことがありました。母さんは桜の花が好きで、オレがもし女の子だったら「桜」って名前にするつもりだったみたいです。
八尋って名前はその名残で、一際好きな八重桜?の八重にかけて、男の子っぽくした、と言ってました。だから全部、母さんの好みなんです。
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「これは?」
「いつか誰かに秘密にしたいと思ったものを思いついたら書こうと思って……ずっと鞄に忍ばせていたら、半年が過ぎてしまったノートよ」
「凄い可愛いッスね」
「雑貨屋で安かったの」
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オレの家は5人家族です。父さん、母さん、兄さん、妹。父さんは仕事が忙しくて、家にいるのをあまり見たことがないです。母さんはそんな父さんみたいな立派な人になれよ、とオレたち子どもたちに勉強させようと必死です。
兄さんはすごく、妹はそれなりに勉強ができますが、オレは何となくなじめなかった学校でも、桐川家でも落ちこぼれです。
オレも母さんが嫌いなので、センパイが父さんが嫌いだって言ってて、ちょっと安心しました。
グチだけで終わってしまうのもどうかと思うけど、ページが埋まってしまうのでこの辺で。オレもセンパイの話、楽しみにしてます。
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「渡すときは、この鍵と一緒に渡すこと」
「鍵付きのノートって、存在するンスね」
「ふふっ。風情があるでしょう?」
「ほんとに乙女の秘密って感じ」
「でも男の子だって誰かから隠したいことの一つや二つ、あるでしょう?」
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部屋代わりのキャンピングカーの片隅で、私はひとつ溜息を吐く。今日あった出来事を思い出す。
朝、家を出てから夜帰りつくまで、大凡12時間。一日の半分という長い時間の中で、思い出されるのは放課後のたった1時間の出来事。
頬が緩む。戻ってきた鍵付きの薔薇の表紙のノートを指でなぞる。子供だましのように小さな鍵を、南京錠の鍵穴に押し込むと、ぷちん、と音をたてて鍵は外れてしまう。
陰気なことを書いてしまって、嫌な思いをさせたかもしれない、と少し後悔したが、あの後輩はまた鍵を閉めて、渡して1日経った今日、きちんとこのノートを返してくれた。携帯電話を持っていないことに対する彼の不便には申し訳ないとおもいながらも、もしかして、この日記を書いている時は私のことで頭がいっぱいなのかもしれない、と思えば、なんだか心が満ち足りてゆくような心地よさを覚えた。
何日続くだろうか。否、ずっと続いてしまえばいい。
私が彼を転がしているように見えて、私もまた、彼に溺れてしまいたいと願ってやまないのだから。
初めて彼の書く文字を見た。少し雑然とした文字に唇が緩む。彼の一番好きなものを知り、それを手に入れるまでは、ずっと見つめていたい。
読み終わってまた溜息を吐くと、転がしていた鉛筆を手に取り、ページを捲る。
まだ名前の由来を聞く勇気を持てないことを、今日は書こう。罫線の上に鉛筆を滑らせ始める。
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桐川君
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ルビに「やひろ」と振ってしまいたいほど、その名前が愛おしいと思ってしまった。由来はどうあれ、彼がその名前に抱えた感情もどうあれ、私のエゴの象徴として。
辻先輩の読めない感情 ひむかいはる @Haru_Hyuga
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