第3話
オリバーから矢継ぎばやにメッセージが来た。
「あたなのインスタの写真はとても良いですね。心が癒されます。私はロスアンジェルスにいます。あなたはどこに住んでいますか」
「私は名古屋の近くに住んでいます。私はロスアンジェルスには行ったことがありますが、サンフランシスコの方が好きです」
「僕もサンフランシスコは大好きです。特に日本街は好きです」
「サンフランシスコへ行きますか?」
「はい、よく行きますよ。僕はIT関係の会社に勤めています。あなたはどんな仕事をしていますか」
「私は最近退職して今は仕事はしていません。以前はプログラマーの仕事をしていました」
「おや、プログラマーですか。すごいですね」
毎日のようにオリバーからメッセージが来るようになった。写真も頻繁に送ってきた。
「僕の家です」と大きなプールで泳いでいる写真や、絵画とか高級そうな陶器が飾ってある部屋の写真などが何枚も送ってきた。筋肉質の引き締まった体は男性的だった。豪邸に住んでいるように見えた。カルフォルニアの住人であることを証明する顔写真付きの身分証も送ってきた。年齢は四十八歳だった。彰子はだんだんオリバーを信用するようになった。
そんな折、同僚だった新井から電話があった。アルバイトの仕事をしてほしいと言う。
「会社を辞めたんだってね。最近はどうしているの?」
「今は休養しているわ。今まで働きすぎたから。ほとんど家にいて外出は買い物か散歩くらいね」
「車では出かけないのかい」
「車はほとんど乗らないの。先日久しぶりに車で出かけようとしたらバッテリーが上がっていてJAFのお世話になったわ。遠出はしないから高速道路は怖くて行けないわ」
「彰子さんは自由でいいなあ。私は家庭に縛られた籠の鳥だよ。自由に憧れるよ。単身赴任の頃が懐かしいな。あの頃が私の人生で一番幸福だったよ」
「ひとり暮らしは、いいことと悪いことがあるわよ。病気になった時は心細いわよ。新井さんはひとりでないから心配ないでしょう」
「どうかな。病気になったら放り出されるんじゃないかな」
「そんなことないわよ。きっと真剣に看病してもらえるわよ」
「急な仕事が来たんだ。ちょっと手伝ってもらえないかな。彰子さんの作るプログラムはすっきりしていてわかりやすいからいいんだ。ゴテゴテしていない。性格を表しているのかな」
「私は数学が好きだったから単純なアルゴリズムを考えるの」
「だからぜひお願いしたいよ。彰子さんは見通しがいいから良いプログラムができるんだ。もう少し続けて勤めれば彰子さんだったら出世できたと思うんだけれど」
「ダメダメ、やっぱりガラスの天井を感じたわ」
新井は彰子の若い頃、東京の本社から、彰子のいる名古屋市の支店に単身赴任で来ていた。彰子が二十六歳、新井が三十歳の頃だった。彼は単身であることで自由を謳歌し、同僚と食事に出かけることが多かった。彰子が一人で仕事をしていると
「食事に行かないかい?」
と気安く誘った。社交的でない彰子は新井と出かけるのが新鮮だった。最初は仕事仲間と一緒に出かけていたが、二人で出かけることも増えていった。彰子も新井に関心を持ち、彼と外出することが楽しかった。新井は少し先輩と言うこともあり仕事のことで彰子に新しい知識や情報を教えてくれたり助言などもしてくれた。彼とは話がよく合い仕事の話や趣味の話で時を忘れた。次第に親しくなり新井は彰子のマンションに来るようになった。
単身赴任の二年の任期が過ぎ、新井は本社に帰ることになった。彼が妻の元へ帰ったあと彰子は悲しみを隠し仕事に励んだ。一人になるとやりきれない思いが襲い、涙が流れる毎日だった。しかしとにかく仕事に打ち込んだ。彰子は進んで海外出張へ行った。そのためには面倒な申請書を書き、煩雑な事務的な手続きも厭わなかった。海外出張は積極的に行き、業績を積んで行った。マルセルに会ったのはその頃で、仕事が楽しくやりがいのある時期だった。
そんな新井から仕事の依頼があり、二十数年と言う長い時間が経ったとはいえ複雑な気持ちだった。しかし会社には仕事があればいつでも手伝うと言ってある。断るのも変に思われるだろう。彰子は仕事を引き受けた。仕事はなかなかはかどらなかった。その間オリバーからなんどもメールがきた。
「どうしたのですか?」
「どうして返事をくれないのですか?」
仕事に熱中していた彰子はしばらくオリバーへは返信をしなかった。やっと仕事が終わりオリバーに返信が書けた。書いた途端にオリバーからメールが来て反応の速さに驚いた。
「メールがきて嬉しいです。どうしてメールをくれなかったのですか」
「仕事が忙しくて出せなかったのです。もう終わったから大丈夫です」
「あー、良かった。どうしたのかと思った。僕を忘れたわけじゃないですよね」
「もちろん、忘れてなんかいないですよ」
彰子はマルセルからメールが来ないととても不安で彼に何度もメールを催促したことを思い出した。彰子はマルセルに夢中で彼からメールが来ないと安心できなかった。何度も催促し、やっと彼からメールが来ると気持ちが落ち着くのだった。盲目的になっていた彰子はともかく彼に望みをかけていた。
――マルセルからメールが来ると幸せな気分になり、彼に愛されていると思ったわ。求めすぎていたのかも知れない。いつも満たされない想いをしていた。常にマルセルがわたしを愛しているという確信が欲しかったの。メールで確かめたかった。それが得られないためいつも淋しい思いをしていた。そんなにも切ない苦しい気持ちをマルセルは理解しなかったでしょう。マルセルからもうメールは来ないだろうと思っていた時に彼からメールが来て、嬉しくて思わず泣いてしまったわ。彼に受け入れられてもらえない、もうこれで終わりだと思うと涙がでた。マルセルからメールが来ないと打ちのめされたようになり、メールが来ると飛び上がるように嬉しくなり幸せ
だった――
オリバーから次々とメッセージが送られてきた。
「僕はコロナ禍で孤独です」
「あなたは、ものすごく美しい」
「あなたは僕の好みの人。あなたは私の太陽」
「あなたは僕が会ったことのある女性の中で一番素晴らしくて美しい女性です」
「僕は孤独です。僕はあなたを愛している」
「あなたと一緒に過ごしたい」
などと同じ言葉を繰り返す。
オリバーは労を惜しまず一日中メッセージを送ってくる。
「僕は元妻に浮気をされ、傷ついた過去があるのです」
と打ち明けられると、彼は淋しい思いをしているのだろう。全てが嘘ではないはず。と彰子は自分に言い聞かせた。
コロナ感染者が増加の一途をたどり外へ出かけることが少なくなり、オリバーからの便りを待つことが多くなった。オリバーの便りは彰子の心の淋しさを一時的にも埋めてくれた。
「あなたの趣味は何ですか」とオリバーに質問された。
「私は特に趣味というものは持っていません。音楽は好きですが」
音楽といえば、マルセルはCDをプレゼントに持ってきてくれたことがあった。
――マルセルと二人で休日に車で郊外の和紙の里へ出かけたことがあったわ。山の中で緑を満喫した。帰宅後、夕食をわたしの家で食べ、音楽を聴いたわ。彼は音楽のCDを持ってきてくれた。そのCDに入っていたシューベルトのピアノトリオを聴いた。マルセルと聴いたピアノトリオはわたしの心に染み込んで心地よかった。彼はとてもリラックスして横になり、わたしの肩に手をかけていた。昼間の疲れのせいか音楽を聴きながら二人とも半分眠っていた。マルセルありがとう。私はあなたを一生好きでいたいと思った。あなたのことを考えると胸が熱くなり幸せになった――
オリバーから投資の話が来た。
「僕の趣味は暗号資産の投資です。知人の経済アナリストが勧めている暗号資産を購入しませんか。一緒に投資しましよう」
彰子は暗号資産に関しては全く無経験で、最初は用心していたが、少しくらいならいいかなと思うようになった。指定されたウエブサイトに誘導され、入金を促される。そんなに高額でないからと思い、言われたように入金した。心配になり毎日金額を確認する。すると一週間経つと金額が増加していた。
「あら!増えている。こんなに早く増えるのかしら」
時々仮想通貨を確認すると確かに増えている。銀行に預けておくよりはよほどいいのではと彰子は退職金を少しずつ入れて増えていくのを楽しむようになった。
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