第6話 【不死の炎】アキレウスと【栄光の狼】パトロクロス

~プティーア、酒場~


 2日かけて【不死の炎】アキレウスのいるとされるプティーアに来たオデュッセウスとペネロペウスだったが、オデュッセウスはプティーアに着くなり酒場で何やら主人とやり取りをした後は、席についてのんびりと水を飲んでいた。相変わらず毒の粉末をグラスに溶かしている。遠征軍の出発を遅らせたは良いが、いくら遅れても良いという訳ではない。ペネロペウスは最初は酒を飲んでいたが段々不安になりオデュッセウスに尋ねた。


「なあオデュッセウス。こんなにのんびりしていいのか?」


「あてもなく探し回っても無駄です。今アキレウスと親しい人を呼びました。恐らくその人ならアキレウスの居場所を知っているはずです」


 オデュッセウスは言いながら毒の粉末をペネロペウスのグラスにも入れた。


「あっ! おい!」


「あのヘラクレスも最後は毒に倒れたのです。つまらない死に方をしたくなければ貴方も毒に身を慣らしておきなさい」


 毒の粉末が混ざったペネロペウスのグラスはあっという間に黒く染まった。恐る恐る飲んでみたが特に味は変わらない。しばらくしても体に変なことはなかった。


「オデュッセウスさん」


 そうこうしている内に呼びかけられた。ペネロペウスが見ると少年が立っていた。黒髪は女性のように長く童顔で背もオデュッセウスと同じくらいしかない。12,3歳くらいだろうか。オデュッセウスが言っていた”アキレウスの居場所を知っている者の使い”だと思ったが、オデュッセウスはフードを取り顔を見せて立ち上がると


「久しぶりですね、【栄光の狼】パトロクロス」


 オデュッセウスの挨拶にパトロクロスと呼ばれた少年は一礼する。ペネロペウスは驚いた。パトロクロスの名は聞いたことがある。【不死の炎】アキレウスと共に多くの戦で名を挙げたというが、アキレウス同様に噂程度にしか伝わっていない。ともすると少女に見えなくもないこの少年がその英雄だというのか。


 パトロクロスはペネロペウスにも一礼した。ペネロペウスも慌てて立ち上がり一礼する。ペネロペウスはパトロクロスが右手に持った大剣に気づいた。長さだけでパトロクロスの身長よりも長い。相当な重さだがパトロクロスは片手でこともなげに持っていた。


「【鋼の意志】と名高いペネロペウス殿ですね。オデュッセウスさんから聞いています。二人してトロイアへの遠征軍にアキレウスを引き入れるために来たと」


「あの戦闘狂は不利な戦いほど好んで戦うから他の英雄と共に戦うことはありません。しかし今回のトロイア攻めほど大規模で不利な戦争なら喜んで参戦するでしょう。わたしが考えるに母親の命でどこかに姿を隠さねばならないと踏んでいますが」


 オデュッセウスの言葉にパトロクロスは頷いた。


「オデュッセウスさんは相変わらず見ていたかのように話しますね。ご明察の通り、アキレウスは参戦しようとした矢先に神託が下りました。この度の遠征に参加すれば名声と引き換えに命を落とし、参加しなければ安寧のもとに死ぬと」


「神託なんてくだらない……預言者の言いなりに動いて運命が決まるなんて恥ずかしいと思わないのでしょうか」


「アキレウスは母の命により王宮の女官に紛れております。ですがもしギリシアの英雄に正体を見破られれば仕方ないとばかりに参戦するでしょう」


「プティーアの王宮……それならやりようはありますね」


 オデュッセウスは何か思いついたようだがペネロペウスはこれは大変だと思った。プティーアの王宮は男子禁制の場であり女官に接触するのは困難だ。オデュッセウスは女性だから入ることはできるだろうがアキレウスは女官に紛れて女装しているという。オデュッセウスもパトロクロスもアキレウスと知己だが、見ただけで見破られるというのだろうか。


「パトロクロス、わたしとペネロペウスは夕方までにアキレウスを連れて酒場に戻ります。貴方はすぐに出発できるよう準備を整えて下さい」


 パトロクロスに指示を出すとオデュッセウスはフードを被り直してペネロペウスを連れて酒場を出た。


「ペネロペウス、貴方も王宮に来てもらいます。男でもプティーアの王宮に入る方法はあるんです」


「それはどうやって?」


「プティーアの王宮には唯一商人が出入りできるのです。女官たちは王宮の生活に退屈してますから、定期的に商人が出入りして高価な服や宝石を売りに行くのです」


「つまり商人に扮して王宮に入り込むということか」


「あまり時間をかけたくありませんが……」


 オデュッセウスは市場まで来て周りを見渡すと王宮に続く道へ進む商人の一行がいた。荷馬車には大量の荷物を積んでおり、ちょうど王宮に売り込みに行くように見えた。


「ちょうどいい。ペネロペウス、あの1隊を襲って荷物を奪いなさい。それを商品に王宮に潜り込みます」


「はあ!? それでは盗人ではないか!」


 ペネロペウスは激高した。信義を重んじる英雄にとって街の商人を襲って略奪するなど許されない。英雄の中には戦争で勝利した戦利品として略奪を行う者もいたが、ひときわ高潔なペネロペウスはそれも許さない。


 オデュッセウスは面倒くさそうに言った。


「わたしの策に従うと言ったではありませんか。【鋼の意志】ペネロペウスは義兄弟との約束を違えるのですか?」


 そう言われてペネロペウスは言葉に詰まった。確かにここでオデュッセウスに反抗するのはオデュッセウスとの約束を反故にすることとなる。それはペネロペウスの最も嫌う行為だった。だからといって略奪を行うのも嫌だった。ペネロペウスは考えるのは苦手だったが、この時ばかりは頭を回転させた。


「つまりは商品があれば良いんだろ? 俺があの商人から買い取ってそれを王宮に持ち込むということでいいな」


「それはまあ……奪うのが一番手っ取り早いのですが」


 オデュッセウスがいやいやながら了承したのを見てペネロペウスは喜んで商人の所へ向かった。商人は突然現れたペネロペウスを迷惑そうに扱った。しかしペネロペウスが金に糸目もつけずあれもこれもと買うので最後には荷馬車ごと売り払ってしまった。ペネロペウスは一文無しになってしまい、オデュッセウスは呆れたが、兎にも角にも商品が手に入ったので何も言わなかった。


「宝石と着物と……ペネロペウス、貴方の持っている剣はかなりの業物ですね」


 オデュッセウスはペネロペウスが腰に差している長剣を指さした。


「ああ、父のイカリオスがアカルナニアに領地を得た戦いの際に振るった我が一族の家宝だが」


「それも商品に加えます。大丈夫、ちゃんとお返ししますから」


 ペネロペウスは家宝の剣を渡すのにいくらか抵抗があったがオデュッセウスがちゃんと返すというので素直に渡した。しかし女官向けの商品の中になぜ武器を入れたのかはよくわからなかった。


 オデュッセウスとペネロペウスは馬車をあやつってそのまま王宮に向かった。王宮に入り大広間に入ると話を聞きつけた女官たちが集まってきた。ペネロペウスはアキレウスが変装しているという女官を探したが全く見分けがつかない。【不死の炎】アキレウスはギリシア最強の英雄ということを聞いていたから体格の良い男だと思っていたが女官たちはみな並の体格で優男にも見えない。


 オデュッセウスは敷物に宝石や着物の類を並べ様々な売り文句で女官に商品を売りさばいていった。商売上手なようで額を巧妙に吊り上げてはペネロペウスが買い取った額の何倍にもふっかけていった。しかしペネロペウスが渡した長剣だけは流石に誰も見向きはしなかった。


 商品の半分が売れた頃、女官の中から一際小さい女が抜け出してきた。するとその女は宝石や着物の類には目もくれず、ペネロペウスの長剣に手を伸ばした。長剣はパトロクロスが持っていた大剣ほどではないが、小柄な女と比べれば身長と同じくらいはある。とても持ち上げられないと思ったが驚いたことに軽々と持ち上げると木の枝でもあつかうかのように振り回し始めた。


「アキレウス! 迎えに参りましたよ」


 オデュッセウスの呼びかけにペネロペウスはさらに驚愕した。この小さな女官が最強の英雄アキレウスだというのか。改めてアキレウスと呼ばれた女を見ると巻き髪を含んだ長い金髪に華奢な体格は少女そのものだった。だが髪から覗いた蒼い眼は鋭く殺気を帯びている。


「オデュッセウス、迎えに来るのが遅いわね。しばらく人を殺していないものだから腕がなまったわ」


「パトロクロスが準備を整えています。すぐにアウリスに向かいましょう」


 アキレウスはそれを聞くと狼のような素早さで大広間を飛び出した。オデュッセウスはペネロペウスを促すとあっけに取られた他の女官や王宮の衛兵を後目にアキレウスの後を追った。


 オデュッセウスとペネロペウスが酒場に戻るとアキレウスとパトロクロスが卓についていた。アキレウスは少女の見た目にも関わらず既に相当の酒を飲んでいるらしく、机の上には空の酒壺が山となっていた。


「遅いわねオデュッセウス。相変わらず武芸はかっらきしなの? お付きの男も大した英雄に見えないけど」


 アキレウスの言葉にペネロペウスは怒りを覚えた。初対面の英雄に失礼ではないか。反論しようとするとオデュッセウスが手で制した。


「【不死の炎】に比べれば誰でもそうでしょう。私の見立てではこの【鋼の意志】ペネロペウスはパトロクロスと同じ程度の実力です」


「そんな……ペネロペウス殿はかのエチオピア人との戦いでも武功を挙げたとききます。ぼくのような若輩者はとても」


 オデュッセウスの言葉にパトロクロスは赤くなりながら謙遜した。だがそれがアキレウスは気に入らないようで


「パトロクロスは我が稽古をつけているのよ。ペネロペウスとやらの名は聞かないが我以外にパトロクロスに勝てる者がいるとは思えない」


「ギリシアの英雄に限ればそうでしょうね。でもトロイアではどうでしょう」


 それを聞くとアキレウスは笑みを浮かべた。はたから見れば少女が無邪気に喜んでいるように見えるが、その実は強い敵を欲しているようだ。


「母上の言いつけでプティーアの王宮に潜んでいたけど、オデュッセウスに見つかったのならしょうがないわ。急いで我をアウリスに連れていきなさい」


 パトロクロスは武器や防具の他に大量の酒を積んだ船を既に準備していた。一行はその日の夜には出港しアウリスに向かった。ペネロペウスは帰りの船の中で思った。アキレウスは体に見合わない力に獣のような俊敏さを持っている。だが戦場での実力は未知数だった。ペネロペウスにはあの小柄な少女が最強の英雄とは思えず、これもオデュッセウスの策略の1つではないかと思っていた。

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