第2話 狂人オデュッセウス

~イタケーの港~


 【鋼の意志】ペネロペウスはイタケーの港に到着した。船の漕手は港の安宿に待たせておき、今回の目的である【勇気と智謀の英雄】オデュッセウスの元へ向かった。


 オデュッセウスの知略によりつつがなく終了したヘレナの婿選びだったが、「求婚者たちが力を合わせて結婚した二人を守る」という血の盟約が、本当に盟約を果たす日が来るとはペネロペウスも思っていなかった。


 トロイアの王子パリスは3ヶ月前、トロイアの使者としてスパルタを訪れた。詳しい経緯は不明だがその際にスパルタ王妃ヘレナは誘拐された。


 先に譲歩したのはスパルタ側だった。スパルタ王【天佑の王】メネラオスとその兄【王の中の王】アガメムノンはヘレナの帰還と賠償金を出せば手打ちにするとしたが、トロイアはそれを拒否した。3年前の血の盟約に従い、ギリシア中の英雄たちが集められ、トロイア攻略のための軍が組織された。しかし、盟約の首謀者であるオデュッセウスは集まらなかった。


 アガメムノンは再三に渡ってオデュッセウスのいるイタケーへ使者を送った。しかし使者は一人としてオデュッセウスに会えなかった。盟約を言い出したはずのオデュッセウスが不在なのは問題だが、アガメムノンがさらに問題視したのは神官パラメデスの予言だった。オデュッセウスが参戦しなければトロイアを攻略することはできない。そう神託が下ったのだ。


 最後の使者となった【鋼の意志】の二つ名を持つペネロペウスは、オデュッセウスに会えるのを少し楽しみにしていた。あの日、見事な知略をもってヘレナの婿選びを無事に終わらせたオデュッセウスにペネロペウスは尊敬の念を持っていた。トロイアへの遠征軍に参加していないのも何らかの理由がある、そう考えていた。


 ペネロペウスは港から続く大通りを抜け、イタケーで最も高い丘にそびえるオデュッセウスの館に辿り着いた。イタケーは小さな島の王国であったが、街は栄えており人々に活気があった。しかし肝心のオデュッセウスの館はしんと静まり返っている。白塗りの高い壁に囲まれた館に人の気配はない。


 ペネロペウスは門をくぐり館の中へと入った。館の中は落ち葉が散乱し埃が積もっている。今までの使者はこの様子を見て諦めたのだろうか。ペネロペウスは一旦オデュッセウスの館を離れ街の市場を回り、オデュッセウスの行方を尋ねたが、イタケーの人々はこの3ヶ月オデュッセウスの姿を見ていないらしく、埒があかないので再度館に戻った。


 ペネロペウスがオデュッセウスの館に戻ると、館の前に一人の少女が手提げ袋を持って立っていた。16歳ばかりだろう。腰まで伸びた長い銀髪は太陽の光を浴びて眩しく輝いている。現れたペネロペウスに向けられた瞳はサファイアの宝石のように澄んでおり、見つめられたペネロペウスはその美しさに少しの間見とれてしまった。


「オデュッセウス様に要件でしょうか?」


「あ……ああ、私は【鋼の意志】ペネロペウス。アガメムノン様の命によりオデュッセウス殿に会いに来た」


「そうですか……街の者に聞いてもわからないでしょう。私はオデュッセウス様に仕える侍女ですが、オデュッセウス様は……とにかくこちらへ」


 侍女に導かれて館の裏に向かうとそこは大きな畑となっていた。そこでは驢馬に乗った男が何かを叫びながら鋤を曳いて畑を耕していた。


「あれがオデュッセウス様です」


「はあ!?」


「オデュッセウス様はちょうど3ヶ月前に気が触れてしまわれたのです。それ以来ああやって驢馬を走らせて畑を耕しております。アガメムノン様がトロイアへの遠征軍を集めているのは知っておりましたが、何分主人がこの様子です。オデュッセウス様の名誉の為にも使者や街の者にはひた隠しにしておりますが……」


 そう言って侍女はほろほろと泣き始めた。侍女の泣く姿にペネロペウスは心打たれてしまい、何か自分にできることはないかと考えた。改めてオデュッセウスを見ると髭面の男の男は不気味な笑顔で白目をむいている。ペネロペウスはふと不思議に思った。3年前のあの日に見たオデュッセウスは、顔こそ見ていないが背は低く声も高い男だった。


 ペネロペウスはもっとオデュッセウスを近くで見ようと歩み出た。驢馬は勢いよく走り回っていたが何とか止められないか進行方向に立ちはだかるとオデュッセウスは手綱を引いて驢馬を止めた。ペネロペウスは不思議に思った。オデュッセウスの顔を見るといかにも困惑しておりとても狂っているようには見えない。もっと言えば男は髭面に加えて背も高く、あの日見たオデュッセウスの背格好とは似ても似つかない。


「侍女よ、これは一体……」


 侍女を見ると先程までの大人しそうな様子とは一変していた。目つきは鋭くなり口元には怪しい笑みを浮かべている。


「ここまでですね……」


 侍女は「オデュッセウスだという男」に近づくと驢馬の尻を乱暴に蹴飛ばし離れるよう指図した。手提げ袋からローブを取り出し羽織るとその姿は正に3年前、ペネロペウスがテュンダレオスの館で会ったオデュッセウスだった。


「久しぶりですね【鋼の意志】オデュッセウス。私が【勇気と智謀の英雄】オデュッセウスです」

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