告白
体育館に向かう途中、私は紗月から聞いた意味深な言葉を反芻していた。
「速水君が、私に何を思っているか……」
そのことを今までちゃんと考えたことはない。
速水君はいつも紗月のことを心配していて、私のことも心配してくれて。きっとみんなにそういう態度なんじゃないか、と思ったりしていたくらいだ。
でも、よく考えたらその優しさは限定的なもののような気がする。他の女子へおざなりな態度……というわけではないけれど、私や紗月に向けるような温かさはない。
そういえば中学の時の彼はそういう感じだった。
私や紗月のことは少なからず大切な人、心を許す存在としているのかもしれない。紗月に対してはわからないけれど、きっと私にはそのほかの感情はないはずだ。
「そんなことが分かったからって、何にも変わらないよ」
私が穢れているという事実は。
体育館に到着すると、私は裏口の方で速水君の到着を待った。
裏口に集合することになったのは、ちょうど今の時間、体育館の表側には外部ゲストのステージを楽しみに待つ生徒であふれかえっているからだろうと思ったからだった。
「彌富! ごめん、お待たせ!」
その声に顔を上げると、息を切らしながらこちらに駆けてくる速水君の姿が目に入る。
体力なんて私よりないくせに、嬉しそうな顔して駆けてきちゃって。そんなことを思い、つい口元が緩む。
「ぜんぜん待ってないよ、今来たとこ! 行こっか」
「ああ」
それから私たちはお料理研究会の部室に向かった。さっき紗月といけなかったことを話したら、速水君がぜひ行こうと言ってくれたからだった。
「意外と本格的なクッキーなんだな」
手にしているクッキーの入った透明の袋を見ながら、速水君はそう言った。
確かに。私が中学生の時にクラスメイトたちと作った安っぽいクッキーよりも、ずっと本格的に見える。
お菓子屋さんのレジの前に置いてあるような形と色味。口に入れたら、サクッと音を立てて甘みと香りが広がりそうなバタークッキーだ。
「手作りお菓子って、やっぱり男の子は好きなもんなの?」
「まあ、そうだな。好きな子からだったら、なお嬉しいけど」
速水君は照れた顔をしながらそう言った。
その表情に何とも言えない思いになって、私は「へえ」と乾いた声で彼に返す。
好きな子、か。速水君の好きな人って誰なんだろう。――わからないや。
それから部室棟を出て、裏にあるコンクリートの壁に並んでもたれながら、私たちは購入したクッキーを食べ始めた。
「うわ、うまいな」と目を丸くしながらクッキーを頬張る速水君が可愛くて、ついクスリと笑ってしまう。
しかしそのクッキーは彼の言う通り、驚くほどのおいしさだった。甘さは多少控えめだったけれど、速水君と一緒に食べているとそんなことは気にならなかった。むしろちょうどいいくらい。
そして、あっという間に透明の袋の中身は空になっていたのだった。
「次はどこへ行く?」
そう訊くと、速水君はポケットからパンフレットを取り出し、困った顔をしながら「うーん」と首を捻った。
「約束してたのに、計画してなかったんだ」
とクスクスと笑うと、速水君は恥ずかしそうに頬を赤くして、「ごめん」と言った。
「でも、一緒に相談して決めるのも悪くはないかもね」
私はそう言いながら、わざと速水君に身体を近づける。速水君の前に広げられているパンフレットを覗き込むために。
速水君の体温を近くで感じているうちに、私はそのまま彼に身体を預けそうになっていた。
いけない、いけない。一時的な気の迷いだ――と何とか自制し、パンフレットに意識を集中させる。
「三年生のクラスは、喫茶店やお化け屋敷をやっているところがあるんだ。楽しそう」
「そうみたいだな。ここ、行ってみるか」
「うん」
それから何個か行き先を決め、私たちは目的地に向かって歩きだした。
***
「次はどこに行く?」
あらかた校舎内を回り、再び戻って来た体育館裏で速水君は笑顔で私に言った。
「もうそろそろ、紗月の当番が終わる時間じゃない?」
スマートフォンを確認すると、すでに一時間が経過しようとしていた。楽しい時間はあっという間である。もうこれ以上、二人きりではいられない。
「そう、だな」
少し残念そうに速水君は言う。
私だって、本当はもっと――でも、それはダメ。
幸せな時間は、終わらせなければならない。
これからは元通り。私と、速水君と、紗月――三人で一緒の時間。
「教室に戻ろうか」
校舎等に向かうために一歩踏み出した時。
「ま、待って! ちょっとだけ、時間をくれないか?」
速水君のその声に足を止め、私は彼の顔を見遣った。
「どうしたの?」
「本当は言おうか迷っていたんだけど、でも言わずに後悔するのは嫌だったから」
速水君はまっすぐにこちらを見つめ返してくる。その瞳に映る不安や恐れの中に、少年のような純粋さを感じた。
「――うん」
これはたぶん、あれだ。
でも――私はこの先の彼の問いになんと答えればいい? 誰もが幸せになる返答? それって何?
「僕、ずっと彌富のことが好きだった。中学生の時からずっと。もちろん今も。だから……僕と、付き合ってください」
速水君は頭を下げながら、私の方に手を差し出す。
きっと何でもない私であれば、穢れをしらない私であれば。その手を取っていたのかもしれない。
でも、現実はうまくいかないものだ。
小さくを息を吐いてから、私は慎重に言葉を紡ぐ。
「――私の両親は、再婚なんだ」
速水君はギョッとした顔をして顔を上げた。
「え? うん……」
「小学生の時に新しいお母さんが家にきて、その時にお兄さんができたの」
「うん」
「そのお兄さんは思春期まっさかり。女の子の身体には興味しんしんです」
「――うん」
「そんな時に血の繋がらない妹ができると、どういうことになるでしょうか」
「え……」
「普通の兄妹のように、当たり障りなく生活していける人たちもいるでしょう。でも――私たちは違った。私の兄さんは、私を妹として見てくれなかったのです」
「彌富……?」
「中学生になった時、私は大切なものを失った。兄さんの欲求を満たすためだけにね。その時からずっと今まで失ったままなんだ。私は紗月のようにきれいじゃない。心も身体も穢れている。だから、さっきの申し入れはノー、だよ。ごめんね」
これで、良かったんだ。もう速水君とのお友達ごっこはお終い。
そして。速水君がこのことを知ったということは、近いうちに紗月の耳にも入ることになる。その時、私と紗月の友情も終わってしまうんだ。
でも、これでいい。私が離れれば、紗月と速水君はうまくいくのだから。
大切にしていたはずのその繋がりを、私は自らの手で断ち切ったのだ。
もっと強固なものだと思っていたそれは、簡単にちぎれ、音もなく地に落ちる。
沈黙を保ったまま速水君に目をやると、彼はその場で呆然と立ち尽くしたままだった。さすがの速水君でさえ、言葉も出ないということなんだろう。
自嘲するような笑みがこみあげてくる。私はその感情を隠さずに、言葉を繋いだ。
「これが本当の私。いつか言っていたよね、本当の私を知りたいって。知ってどうだった? びっくりした? それとも軽蔑した? 私はみんなの人気者なんかじゃないよ。良い人の面を被った汚い女なんだ」
私がそう言うと、速水君は青い顔をして、ゆっくりと俯いた。
もう、十分みたいだね――
「戻ろっか。紗月が待ってるよ」
私は彼をおいたまま、教室に向かって歩きだした。それから彼とは一言も言葉を交わさないまま、二日間の文化祭は幕を閉じたのだった。
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