『希望』
文化祭の片づけを終え、学校を出たのは午後五時を過ぎてからだった。
教室を出る前に、同じ三班だった人たちからお疲れ様会でもしようかと誘いを受けていたものの、私はそれとなく断って家路についたのである。
そして地元の最寄り駅についた私は、いつものファストフード店ではなく、少し離れたファミリーレストランに入った。
なるべく店の中央。窓の外から見えない席にしてもらった。すべては、速水君と顔を合わせないためである。
それから席までやってきた若い店員さんに、注文はドリンクバーだけであることを伝え、私はテーブルに顔を突っ伏した。
「自分からあんな話をしておいて、こんな逃げるみたいなね」
大きなため息がもれる。
それから顔を少しだけ上げ、窓のある方に顔を向けた。
わざと窓から離れた席に座って速水君から隠れているはずなのに、本当は見つけてほしいと願ってしまう自分がいるんだなと気付く。
本当の私を知っても、彼なら私を救ってくれるとどこかで思い込んでいるのかもしれない。
「そんなわけないのにさ」
乾いた声で呟きながら、またテーブルに顔をつける。
兄さんの欲求を解消するだけの私。
こんな私を知ったら速水君だけじゃなく、きっと紗月も私を嫌いになるんだろうな。
これでいい。全部、ぜんぶ終わったんだ。だからもう、周りに嘘を吐かなくてもいいんだ。
何度もそうして納得しようとしているのに、私はなぜか、それを受け入れられずにいる。
「――やっと、見つけた」
それは聞き覚えのある声だった。
顔を上げてその姿を認めたい。でも、今は怖かった。
「ずっと探していたんだよ。帰りに話そうと思っていたのに、気付いたら彌富もういないし」
その言葉には、不安のような怒りのような感情が含まれている気がした。
そもそも速水君は今更、私と何の話をしようっていうんだろう。まさか紗月と距離を置け、とか? 正義感が強くて優しい彼ならそう言いかねないな。
「さっき何も言えなかった僕に、彌富が呆れたことくらいは分かってる。でも聞いてほしいんだ」
呆れたのは君の方じゃないの? 私はそんなこと、思ってないよ。
そう思っても、言葉にはできなかった。
「何か言ってくれよ……」速水君はため息まじりに言う。
彼を落胆させているとわかっていたけれど、私はそれでも何も答えられなかった。
「もう、勝手に話すからな!」
それからポスっと音がして、速水君が私の目の前に座ったんだと察した。
「まず。彌富の話を聞いて、すごく驚いたし困惑した。だからあの時、なんて言えばいいか分からなかったんだ」
ほら、やっぱり。こんな私のことなんて――。
「でも、そのあとから怒りの感情が湧いてきた」
嘘をついていた私に? そりゃ、そうか。
「悩んでいた彌富に気付けなかった自分が、許せなかったんだ。彌富はずっと一人でつらいことを抱えていたのに、それを周りに見せないようにずっと無理して笑顔でいたんだなって」
「……え?」
顔を上げると、こちらを真っ直ぐに見ている速水君と目が合った。
速水君はそのまま私から目をそらすことなく、言葉を続ける。
「彌富は僕を助けてくれた。それなのに、僕はもらってばかりで彌富に何も返せていない。
前に何でも相談してって言ったけど、それって勝手な言葉だよな。
彌富が言うまでその悩みに知らん振りするってことだし、『言ってくれなきゃわからない』で済ませる都合のいい言葉なんだから。
もっとちゃんと聞いてあげればよかった。何かあるって気付いていたのに、本当にごめん」
速水君は最後まで目をそらすことなく、私の方を見ながらそう言った。
それだけでもう――胸が、いっぱいだった。
何も返せていないことなんて、ないよ。
私はいつも、君からいろんなものをもらっているんだから。
君といるだけで、私はじゅうぶん救われている。
簡単にちぎれてしまったと思っていた私たちの繋がり。でも、それはちゃんと繋がっていた。
鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなる。すると次第に視界がぼやけだし、目の前にいるはずの速水君の姿が歪んだ。
ああ、もっとちゃんと彼を見ていたいのに。
「わ、私……そんなこと――本当は、速水君に相談しようって、何度も思っていたのに、きっと見放されるって、信用できなかっただけなんだ。だから、速水君は、悪くない」
目からこぼれそうになる雫をなんとか抑えながら、私はとぎれとぎれに速水君へ伝えた。
そう。速水君はいつも真剣に私の話を聞こうとしてくれていた。私が本当のことを話すまでずっと待っていてくれたんだ。それを私は知っている。
そして。彼が私のことを特別に思っていたことも本当はずっと前から知っていた。
でも、私は目を背けたままでいたのだ。今の関係を壊してしまうのが怖かったから。
「お兄さんのことが原因だっていうのなら、僕は気にしない。むしろこれから一緒に解決策を考えたいと思う」
「――うん」
「彌富。もう一度、言うよ――彌富のことをずっと前から好きだった。だから僕と、付き合ってください」
速水君はそう言って、右手をそっとこちらに差し出す。
本当の私を知っても変わらない彼の優しさは、私の『希望』となり、穢れた心を浄化してくれるようだった。
もう、誰かに彼の隣を譲るつもりはない。仮にその誰かが紗月だったとしても――
ふと紗月の顔を思い出し、私は思わずハッとした。
紗月は私の気持ちを察していたから、あの喧嘩の時「言いたいことは言えばいい」と言ったんだ。
私のことを分かってくれていないなんて、思いあがりだった。紗月はちゃんと私のことを分かってくれていたんだ。それなのに、私は――
こんど紗月に会ったら、ちゃんと仲直りしなくちゃ。言ってくれた言葉の意味がちゃんと分かったことと、お礼を伝えたいから。
ねえ紗月。つまり私は、周りにだけじゃなく、ずっと自分にも嘘をつき続けていたってことだったんでしょ。
――でも、それはもう終わりにするね。
私は差し出された速水君の手をそっと取ると、
「喜んで」
笑顔でそう答えた。
外気が冷たくなってきているのに、私の心は温かい。きっと、もらった優しさたちのおかげだ。
赤々とした葉が落ち、肩を寄せ合い暖をとる季節が到来する。
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