特別な君
朝に速水君を見かけてから一ヶ月ほどが経過した七月のこと。
私たちのクラスでは、とある事件が起きた。クラスメイトの鈴木さんの財布が紛失したのである。
疑われたのはいつも孤独でいる速水君。当然と言えば当然だけど、私はどうしても彼がやったとは思えなかった。
何も言わない彼に、クラスメイトのほとんどと担任の先生までが彼がクロだと思っている。ちらりと彼の顔を見ると、焦っている様子もなく、ただ淡々としていた。
もしもみんなが言うように彼がやったというのなら、こんなに落ち着いていられるはずがない。
それに、私は確信していた。正義感の強い彼が、誰かの財布を盗むなんてありえないと。
だから私は、彼に変わってクラスメイトたちに反論をしたのだ。
誰もがその反論に驚いていたようだったけれど、結局として私の言葉に従った。嘘の仮面も時には役に立つものだと感心したものである。
それから、財布は鈴木さんの鞄の中から見つかった。
はじめからちゃんと探していれば、こんな大ごとにはならなかったはずなのに――そんなことを思うと、つい眉間に皺が寄ってしまう。
その後、鈴木さんも他のみんなも冤罪だった彼に謝罪をすることはなく、教室内は和やかな雰囲気になった。
担任の先生すら、「鈴木、気をつけろよ」というだけ。
なんだ、それ――と頭に沸々とわいてくるものがあった。
彼だけが犠牲になり、一人で傷ついた。はみ出し者なのだからそんなの当たり前だと「みんな」は思ったのかもしれない。
私の秘密を知った時、「みんな」はきっと私にも同じことをする。
恵まれている人たちは、孤独で誰にも頼れずに生きていく人たちの苦しみなんてわかりっこないのだ。そういう冷たい人間なのだ。
それでいいと思っている先生やクラスメイトたちに、私は我慢できなかった。
「ちょっとみんな、それでいいの」
私は自分の燃えたぎる感情のマグマが一気に噴火しないよう、慎重に言葉を選んでそう言った。
しかし誰もが私を見て、きょとんとするだけ。
私の言葉や想いは、誰にも届かなかったのだ。
そして結局、居心地が悪くなったと思ったのか、速水君が一人、教室を去っていってしまった。
「速水も気にしてないんだから、華弥が気にすることじゃないじゃん?」
「そうだよー。彌富は優しいから速水のことも庇っちゃうんだよな」
クラスメイトたちは口々に笑いながらそう言う。
自分たちの冷酷さに気付いていないの? この人たちはダメだ。信用できない。
私はクラスメイトたちを心底軽蔑してから、教室の扉に向かった。
「私、ちょっと速水君を探してくる」
そう言って教室を飛び出した私は、当てもなく速水君を探し回る。
そして私は、ようやく速水君を見つけた。
私たちの教室の死角にある外の渡り廊下。ジリジリと太陽が照りつけるその場所で、速水君は諦めた表情で頬杖をついている。
私は速水君に近づき、教室でのことを話すと、「いいんだよ――」と言って彼は笑った。
ああ、この人はなんて強い人なのだろう。彼だけは「みんな」と違う。紗月の目は確かだな。
速水君の笑顔を見て、私はそう思った。
それから二言三言会話を交わし、私は彼に言った。友達のためだ、と。
友達という言葉が自然に出た時は驚いたけれど、きっと彼との関係には相応しい言葉だとすぐに感じた。
しかし。誰かと本当の友達になりたいと、心の底で思えたのはいつぶりだろう。そんなことを考える。
長い間、誰かを信じることを忘れていた。けれど、速水君がこれからそれを思い出させてくれるかもしれない。
「速水君なら本当の私を知っても、変わらずにいてくれるかな」
教室へ戻る途中、少し後ろを歩く速水君には聞こえないくらいの小さな声で、私はそう呟いた。唇の端を微かに浮かせて。
それからの私は、隠れて速水君と会うようになった。
話すのはいつもくだらないことばかり。しかし、二人で過ごす時間は私にとっての特別で、ずっとこの時が続けばいいなと私は願っていた。
そして同じ時間を過ごすうちに、私はどんどん彼の良さを知っていき、私自身のことを知って欲しいと思うようになったのだ。
けれど兄さんとの夜を過ごすたびに、彼に本当の自分を打ち明けることが怖くなっていく気持ちもあった。そんな時――
「彌富、無理してない?」
「え?」
兄さんの相手をした翌日のことだった。私はいつものようにみんなの前では笑顔で過ごせていたと思う。
でも、速水君には演技だということがバレているみたいだった。
ずっと我慢してきたことを「もう我慢しなくていい」と彼が言ってくれた時、私は本当に嬉しくて目頭が熱くなった。
今まで誰も気付いてくれなかったのに、彼だけは気付いてくれた。我慢しなくていいと言ってくれた――
「やっぱり速水君だけは、違う。紗月でも気づけなかったのに、速水君は本当の私を見つけてくれるんだ」
――速水君が特別な友人だと思うようになったのは、たぶんこの頃だったんだよね。
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