尖った彼の青さを知りたい
入学から一カ月。今の生活にもだいぶ慣れてきた。
毎日の電車通学。自宅とキャンパスとの往復。徐々に始まっていく講義。
そして私は相変わらず友人が出来ず、食堂で一人食事をすることが多かった。
変化が必要だと言っておきながら、情けないことこの上ない。しかし、正しい友達の作り方というのが、私にはイマイチわからなかったのだ。
この日も何を食べようかと食堂の券売機の前で一人悩んでいると、「早くしろ」と背後から声がする。
ハッとして振り返ると、駅舎の前でふてぶてしい態度をとってきたあの男の人がいた。
「あなた、あの時の!」
「はあ?」
「ここであったのも何かの縁ね。あなたにどうしても言ってやりたいことが――」
「そんなことは後でいい。あんたのせいでどれだけのやつが待たされていると思ってる」
そう言われ、私は後ろに目を遣ると、確かに彼の後ろには二、三人ほどの列ができていた。
券売機は他にもあるけれど、なぜか今日に限って故障しているらしく、稼動しているのは私の前にある一台だけだったのだ。
悔しいけれど、今は彼の言うとおりみたいね――。
少々悔しく思いながらも、私は券売機に向き直る。
それからオムライスセットを購入し、
しかし、そんな彼は私のことなど目にも入れず、注文口に向かって歩きだす。
「ちょっと待ちなさいよ!」
声を掛けてみたが、彼は振り返ることなく注文口で食券を渡していた。
「聞いているの?」
「聞いてない」
「話しかけられたら相手の顔を見なさいって教わらなかったのかしら」
「教わったかもしれないが、あんたのようなおかしい人とは顔を合わせるなとも教わった」
「ど、どういう意味よ!」
「ちっ。うるさい奴は好きじゃねえ」
そう言って彼はカレーライスセットを乗せたお盆を持ち、食堂の中へと消えていった。
「クールぶって。なんだか嫌な感じね。速水君なら、仕方ないって言いながら聞いてくれそうなのに」
それから速水君の顔をふと思い出した。
高校卒業後は一度も顔を合わせていない。今でもチャットのやりとりは続いているものの、以前よりは頻度を減らした。
彼が、華弥と再会したことを知ったからだった。
話によると、華弥は速水君と偶然おなじ大学、学部にいたらしい。運命の力とはそこまで強固なものなのかと驚いた。
もしかしたら、彼が持っていた華弥からのアネモネの栞のお導きかもしれない。
何にしても――速水君は今、華弥との時間を大切にしている。だからそこに私の入る隙なんてないのだ。
私は深い溜息をついてから、オムライスセットの乗ったお盆を持って適当な位置で腰を降ろす。一人寂しいランチタイムだった。
数日後。忌々しいあの男の名前が『
医学部に一位で入学。もともと全国模試上位の常連で、高校時代はバンド活動をしていたらしい。
あのふてぶてしい態度から、彼がバンド活動をしていたなんてとても想像ができなかった。バンドマンはもっと女好きで軽薄そうなイメージがあったからだ。
しかし、私が目にした黒木君からはそんな女好きとか軽薄さとかをまったく感じず、むしろ他人を寄せ付けようとしない雰囲気すら感じた。
それにあの時の、冷たい視線――。
どうしてこんなに気になるのかは分からなかったが、私は彼のことをもっと知りたくなった。もしかしたら、私は彼に何かを期待しているのかもしれない。
その後、私は事あるごとに食堂へ足を運んでいた。どこかで黒木君に会えるような気がしたからだ。
しかし、彼とはなかなか会うことが叶わず、ようやく探し始めて一週間。私は彼と再会した。
「ようやく見つけたわよ、黒木君」
私はそう言いながら一人で和食定食を食べていた黒木君の正面に座る。
「またあんたか。何の用だ」
黒木君は不愉快そうに言って、食事を続けていた。
「私、あなたに興味があるのよ」
「は?」
黒木君は箸を止めると、こちらに視線を向ける。
いつもの冷たい視線。誰も寄せ付けようとしない空気。
「あなたのその態度も、やっているバンド活動のことも。なんだか気になるの」
私がそう言うと、黒木君は持っていた箸を乱暴に食事ののったトレーの上に置き、立ち上がる。
「あんたに関係ない。うざいからもう俺の前に現れんな」
そう言い放ち、黒木君はどこかへ行ってしまった。
「何か悪いことを言ってしまったのかしら」
でも。彼のあの視線も雰囲気も、似ている気がした――。
何人か足を止めて私の方を見ていたことに気付き、私はその場を急いで離れたのだった。
食堂でのことがあって数日。私は黒木君が声を荒げた理由をいまだに分からずにいた。
「私が心無いことを訊いてしまったということだったのかしら……」
相変わらず私は一人で昼食を摂りながら、考えを巡らせる。
そもそも黒木君の噂は、きいた話以上の内容を誰も知らない。
――ただ、一つ誤解していたことが分かった。
黒木君はバンド活動を高校二年の秋に終了し、それ以降は活動していなかったらしい。
それはおそらく、受験のためにバンド活動をやめたということなんだと思った。
彼にとってバンド活動は大事なものだったのかもしれない。大好きなおもちゃを親から取り上げられたような気持ちでいるのかもしれない。
そう考えれば考えるほど、黒木君のことが気になった。彼は一人で何を抱えているのだろうと。
私なんかとは比べ物にならないくらいの苦悩を抱えているのかもしれない。
「もう一度、彼に会ってみよう。無理でもいい。彼から本当のことを聞きたい」
そう思い立ってからがまた長かった。なかなか彼に会うことが叶わないうえに、きっかけすらない。
そもそも学部が違うから会うこともなかった。偶然キャンパスのどこかで会えるかと期待したけれど、私の心理学部と彼の医学部は同じ敷地内でもキャンパスは離れている。
やはり会うことは無理かと思った矢先、私は参加した講義でぐうぜん彼と再会したのだった。
「やっと会えたわね!」
私がそう言うと、黒木君は明らかに不機嫌そうな顔をした。まだあの日のことを根に持っているらしい。なんて小さい男だ。
黒木君は一方的に私のことを避け、帰るときまで一度も言葉を交わそうとしなかった。
再会できたのに、このまま何も訊かずに別れるわけにはいかない――と私は教室から出ようとする黒木君の前に立ちふさがり、その目をじっと見つめる。
「話をさせて」
「なんでだ」
「いいでしょ」
「ちっ」
黒木君はそっと顔を背けた。
「えっと――」
「聞いてやるって言ってんだ」黒木君はぽつりと言う。
ああ、そういう意味だったのね。わかりにくい人だ。私は思わず嘆息した。
「こんなところじゃ、何だし。食堂でお茶をしながらでもいいかしら」
私が尋ねると、
「好きにしろ」と黒木君は渋々頷いたのだった。
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