三人の、思い出

 しばらく彌富と話していると、黒地に大きな花の描かれた浴衣を着た瑠璃川がやってきた。


「ごめんなさい、道が混んでいて」


「おおーう、紗月可愛いじゃん」


 彌富はそう言いながら、瑠璃川に抱きつく。

 それを少しだけ羨ましく思った。


「華弥!? 話が違うわ! 今日は浴衣で来るって……」


「そんな話したっけ? んじゃ、行きますか!」


「え、ええ」


 僕には割と高圧的な態度を取る瑠璃川だが、彌富に頭が上がらないらしい。


 約束を反故にされたことについて、それ以上彌富に食い下がることはなかった。


 だがしかし。もしかしたら彌富も浴衣だったかもしれないのか。少し残念だ。またいつかチャンスがあればいいけど。


 絡み合う彌富と瑠璃川を見つめながら、僕は思わず嘆息する。


 それから歩き出そうとしていた彌富は「あ、その前に」と急に足を止めて、僕の顔を見た。


「速水君、紗月の浴衣姿どう? 欲情した?」


 彌富に覗き込まれるように問われ、僕は一歩後ずさる。


 笑顔ではあるものの、なんだか少し嘘くさい。そんな彼女のその瞳はいつもの明るさを感じられず、なんだか妙に昏くて怖かった。


 これもまた、理由は分からない。


「よ、欲情なんてするわけないだろ! で、でも」


 と恥ずかしそうに佇む瑠璃川の全身を見回す。


 華道を嗜んでいるだけあって、やはり和服の着こなしは完璧だ。


 普段は下ろしたままの綺麗な黒髪をまとめ上げ、質素な花柄の櫛を差している姿はとても貴重だと思う。


 そして、ほんのりと化粧をされた顔も普段より大人っぽさが出ており、美しさを増していると感じた。


「似合うなあとは思ったよ」


「へえ」と淡白な返答の後、


「だってよ、紗月。良かったねえ」


 先ほどの瞳の昏さが消えた彌富は、ニヤニヤと笑いながら瑠璃川の腕をつつく。


 いったいあの瞳はなんだったのだろう。


「か、華弥ぁ!」


 何も気づいていない瑠璃川は、そう言って涙目になりながら彌富を睨んだ。


「あー、はいはい」と彌富は楽しそうだ。


 彌富はあれから笑っているし、特別何かに怒っているというわけでもなさそうだ。


 気に留めることでもないのかもしれない。


 そして僕は涙目になっている瑠璃川を見て、馬鹿にされたと思い込んでいるであろう彼女のフォローをしておくことにした。


「本当だからな! 今言ったのはうそ偽りなく、本当のことを言ったんだ」


 僕がそう言うと、彌富は口に手を当てて楽しそうに笑う。


「速水君、あなたは黙りなさい!」


「なんで!? 僕、今すっごく褒めたじゃないか!」


「いいから! ほら、さっさと行くわよ」


 瑠璃川は怒りながら歩いていってしまった。


「よくわからん奴だな……」


「隅に置けないなあ、速水君は!」


 彌富はそう言って僕の肩を叩くと、瑠璃川を追いかけていった。


「いかん。もしかしたら、僕が瑠璃川を口説いたように見えたのかも。それだけは弁解しないと」


 僕は急いで二人の背中を追いかけたのだった。




 駅からすぐのところにある河川敷公園についた僕たちは、順々に並ぶ屋台を見てまわる。


 普段は深閑としているだろう河川敷公園では、屋台の灯りが煌々と闇夜照らし、人々の楽しげな声がそこここで響いていた。


 そんな雰囲気に当てられた僕はいつもより饒舌で笑い声が多く、幸せな心地だった。


 それこそ、今日で世界が終わっても構わない、と思えるくらいに。


 駅前のあの人たちもこんな気持ちだったんだろうな。


 そうしているうちに時間はあっという間に過ぎていった。


 公園の通りに設置されたスピーカーから「まもなく花火が始まります」とアナウンスが流れると、僕と瑠璃川は彌富に先導され、人の流れに逆らうように河川敷公園から遠ざかる。


「よしっ。この辺がいいんじゃない」


 そう言って彌富は、ドスンとその場に腰を下ろした。


 河川敷公園から少し離れた勾配の緩い土手。僕は瑠璃川と顔を見合わせてから、彌富の左右を挟むように隣に座る。


「本当にここから見えるのか? もっと近いほうが仕掛け花火とか見えそうなのに」


 と周囲を見回した。


 あたりは暗く、先ほどまでいた祭りの会場の灯りが遠くに見える。


 ここからでも、まだあの場所に幸せな何かが満ちていることを感じられた。


「ちっちっちっ。逆なんだよねえ。近ければ近いほど、人は集中するでしょ? そうすると逆に見えなくなっちゃうんだ。だからここからの方が――始まったよ! ほら!」


 彌富が指さした方に目を向けると、紺色の画用紙を広げたような夜空に、まるい光の花が開花する。


 開き切ったその花は、残された輝きとともにパチパチと音を立てながら、夏の夜空に散っていった。


 それを寂しく思う暇もなく、次の花が夜空に開いていく。


 祭りの会場にいたら、こんなに綺麗な花火は見えなかっただろうな……。


 そんなことを思いながら、僕は夜に咲く光の花を感慨深く見つめた。


「そういえば。昔もこの辺で見たわね」


「おお紗月、覚えていてくれたんだ! さっすがー!」


「あの時のことは大切な思い出だもの。それに、きっと今日のことも思い出になる。そうでしょ、速水君?」


 そう尋ねられ、彌富と瑠璃川に視線を移す。


 暗くてよく見えないけれど、僕と過ごす今を二人は楽しんでくれているような気がした。


「ああ、そうだな。こんなにきれいな花火は初めて見たよ」


「お気に召してくれたみたいでよかったよ」


 彌富はそう言って嬉しそうに笑う。


「ありがとうな、彌富も瑠璃川も。今日、夏祭りに来られて本当に良かった」


「私もよ」「もちろん私もね!」


 そしてまた、僕は顔を上げる。

 目の前に広がる夏の夜空には、次々と大輪の花が咲き乱れていた。


 小学生のころ、友達だと思っていたやつらに裏切られてからずっと一人で過ごしてきた。


 寂しくは思っていたけれど、僕はそれでもいいとずっと思っていたんだ。


 でも。隣に誰かがいてくれるってこんなに嬉しくて、幸せなことなんだよと彌富と瑠璃川が教えてくれる。


 また来年も、この三人で一緒に来られたらいいな。


 並んで咲いた三つの大輪の花を見ながら、僕はそんなことを思った。

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