待ち人来たる
夏祭り当日。僕は指定された駅のロータリーで瑠璃川と彌富の到着を待っていた。
この駅は僕たちが住んでいる地域の中ではかなり大きな方で、僕の家の最寄駅から三つ隣にあるのだが、利用した記憶はほとんどない。
改札を出てすぐのこのロータリーの前には、チェーンの居酒屋がいくつも並んでおり、今日の夏祭りでは出張販売も行なっているようだった。
その店先には多くの浴衣着の若者のたちが、陽気な顔をして缶ビールを口にしている。
そこには、今日で世界が終わっても構わない、といっているかのような幸せオーラが充満していた。
さすがに酒は飲まないが、そのうち浮かれた僕もあの人たちが放っているオーラと同等のものを放つのかもしれないな、となんとも言えない気持ちになっていた。
「十七時二十四分、か」
スマートフォンに表示された時刻を確認して、小さくため息をつく。
「少し早すぎたかな。誰も来ない……」
瑠璃川はともかく、彌富もまだか。
彌富には僕も行くことになったと瑠璃川から伝えることになっていたけれど、そもそも瑠璃川は彌富にちゃんと伝えたのだろうか。
キリッとした青から、少しずつ大人しく白んでいく空を見つめ、僕はそんな不安に駆られる。
三人で夏祭りに行くと決まった日から、彌富を含めて瑠璃川と話す機会があったものの、彌富から夏祭りについての言及はなかった。
まさか……と何度か瑠璃川を疑うこともあったが、『彌富は誰と夏祭りに行くのか』とクラスの男子たちがコソコソ話している姿を見て、瑠璃川も彌富もその空気を読んだのだろうと察したのである。
それに。いくら遅刻癖があると言っても、頭脳明晰の瑠璃川がまさかそんなイージーミスをすることはないだろうからな。
「しかし、三十分も前に着いちゃうなんて……僕はどれだけ今日を心待ちにしていたんだろうな」
ボランティアの日の三十分とは大きな違いである。
しかし、それは仕方がない。だって、今日は彌富と夏祭りに行けるのだから。
昨日の夜も楽しみ過ぎて全然眠れなかったし。なんだか遠足前の小学生みたいだな。
そんなことを思っていると、正面から私服姿の彌富がやってきた。
Tシャツにショートパンツ。いつものポニーテールに頭にはオレンジ色のキャップを被っている。
期待していた浴衣姿ではなかったものの、私服の彌富を見られるのは嬉しかった。
「彌富ぃ!」
僕が呼びかけると、彌富は目を丸くしてこちらに駆け寄った。
「あれ、速水君? なんで?」
「なんでって……夏祭りに行くんだけど」
「え!? まさか、紗月と?」
このリアクション。もしかして――
「瑠璃川から聞いてないのか?」
「聞くって何を?」
瑠璃川……任せなさいと息巻いていたのに、これはどういうことだよ。僕はついつい大きなため息を吐いてしまう。
「ごめん……私、何にも知らなくて。邪魔になっちゃうよね。私、帰るよ」
「ま、待って」
僕は踵を返して去ろうとする彌富の腕を無意識に掴んでいた。驚いた顔で肩をすくめた彌富は足を止め、じっと僕を見つめてくる。
「ああ、ごめん勝手に」
僕は彌富の腕から手を離し、自分のポケットに手を入れた。
「でも、二人で約束していたんでしょ? 私はお邪魔じゃない?」
「そんなことないよ。それに、今日は僕がおまけ」
「え?」と彌富は目を丸くした。
「彌富と瑠璃川の荷物持ちで呼ばれたんだ。だから彌富は何も気にすることないよ」
「そう、だったんだ」
「そうそう。それに、瑠璃川は彌富と夏祭りをまわれるって楽しみにしているみたいだったからさ。だから彌富も楽しんでやってよ」
「分かった。速水君がそこまで言うなら仕方ないね」
彌富はそう言っていつもの明るい笑顔をした。
作り物ではない本当の笑顔。見ていて胸の奥がほんのり温かくなった。
「うん――」
それから僕と彌富は、集合時間の十八時まで瑠璃川を待った。しかし時間をすぎてもなお、瑠璃川はまだ到着していない。
「また道が混んでるのかな」
もしくは準備に手間取っている、とか。
「仕方ないよね。夏祭りなんだもの。毎年こんなもんだよ」
「彌富は毎年来ているんだ」
「うん、まあね。出かけられるときは極力出かけてるんだ」
「へえ。やっぱり家族と?」
そう尋ねると彌富は少しだけ苦い顔をして、答える。
「――ううん。友達」
その彌富の声色に、憂いを感じた。
「そうなんだ」
「うん、そう」
「僕の勝手な憶測だけど。彌富の両親って彌富みたいに明るくて、家族の絆とか大切にする人たちなんだろうなって思ってた」
「あはは。両親はそうかもね」
彌富は少し悲しそうな顔をして笑う。
両親は――?
そもそも僕は彌富がそんな顔をしなければならない理由も、彼女の家族構成すらもよく分かっていない。
彌富とはずいぶんと仲良くなったつもりでいたが、まだ知らないことも沢山あるんだなと思った。
それを知りたくないといえば嘘になる。
けれど、おそらく言えない理由があるのだろう。だったら今は、無理に言及することもない。
「何があるのかは詳しく訊かないけど、でもしんどくなったらいつでも相談しろよ。すぐに彌富は無理をするんだからさ」
「……うん。ありがとう」
彌富は顔を上げて、僕の方を見ながら「やっぱり君は優しいね」そう言って笑う。
恥ずかしくなった僕は、急いで顔を反らした。きっと耳まで顔が赤くなっているに違いない。顔に熱を感じる。
「そ、そういえば。瑠璃川、遅いなあ」
「そうだねえ。ちょっと連絡してみようか」
「ああ、うん」
それから彌富が電話をかけると、だいぶ道が渋滞しているらしくあと三十分ほど遅れるということだった。
意図したわけではないだろうが、ナイスタイミングだよ瑠璃川。
「分かった。じゃあ速水君と待ってるよー」
通話を終えた彌富のスマートフォンの画面がふと視界に入る。
そこには金色の屏風の前に置かれている綺麗な生け花の写真があった。その中にアネモネの花もある。
もしかして、彌富もアネモネに興味があるのでは? そんな期待が膨らんだ。
「彌富、花とか好きなのか」
「え?」
「ごめん、待ち受け見えたから」
「ああ、これ? これは紗月が生けたお花なんだよ」
「へえ、瑠璃川が」
華道を嗜んでおられるとは、やはり瑠璃川はお嬢様なんだな。
「合格発表の日の帰りに紗月の家に寄ってね。その時に撮らせてもらったんだ。すごくきれいだなあって思って」
「へえ」
瑠璃川の家か。なんだか大豪邸をイメージしてしまう。専属の運転手がいるから、そう思うのだろう。
しかし、部屋の写真から察して、瑠璃川家は和風なつくりなのかもしれない。まあ華道用の和室がある可能性も捨てきれないけれど。
「だからさっきの答えは、ノーかな。普段はお花のことなんて全然詳しくないんだよ」
申し訳なさそうな顔で彌富はそう言った。
「そうか……」
アネモネ談義ができるかも、と少しだけ期待してしまった自分が恥ずかしい。
「私は違うけど、紗月は好きなんじゃない? あ! もしかして、速水君もお花とか好きなの?」
「僕がってより、母さんがな。ガーデニングが趣味で、家に花壇もあるんだ。といっても、アネモネしか育てていないんだけど」
「アネモネ?」
「ちょうどその写真にも写ってる。真ん中の白い大きな花だよ」
僕が指を差すと、彌富はまじまじとその画像を見つめた。
「これ、アネモネって言うんだね! 知らなかったよ」
感慨深そうに呟いて、写真を見ながら彌富は目を輝かせる。
そんな彌富のうなじがチラリと見え、僕は少しだけドキッとした。
彌富のうなじ、綺麗だなあ。
僕はそんなことを思いながら、黙ってそのうなじを見つめていた。
「そっかあ、アネモネか。速水君の好きなお花ってことだよね」
そう言って突然振り返った彌富に、僕は少しだけ体を引いて狼狽える。
しかし、彌富はそんな僕に気づくことなく、明るい笑顔を向けていた。
どうやら、うなじを見ていたことはバレていないらしい。良かった。
「す、好きな花って言うか……うーん。まあ、そう言われてみれば、そうかもしれない」
僕と両親を繋ぐ花。彌富にいつか贈りたいと思っている愛の花。
思っていても、今はまだ口にはしない。
「じゃあ、覚えておくね!」
そう言って彌富はふわりと笑う。
「ああ」と僕も笑顔で返した。
ふと懐かしい景色が蘇る。
二年前の、記憶。こっそりと二人で会っていた、夕陽が照らす渡り廊下。二人だけの秘密の会話。
なんとなく、あの時の空気に似ていると思った。しかし、今この場にいるのは僕らだけじゃない。
今の僕らは周囲からどう見えているのだろう。
もしも、そういう関係に見えると言われたら、彌富は嫌がるだろうか。
いいや。こんな祭りの日だ。きっと誰も僕らのことなんて、気にしない。
僕だって目の前にいる彼女以外、気にする余裕なんてないのだから。
それから僕と彌富は、他愛ない話で盛り上がりながら瑠璃川の到着を待ったのだった。
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