『儚い恋』――では終わらせない

「ここにいたのか……探したよ」


 速水君はそう言って、私の方に向かってくる。


 そんな彼に、私は困惑していた。


 こういう時、なんて言えばいいの?

 全身全霊で謝ればいいの? 全身を使って喜べばいいの?


 華弥――華弥だったらきっと、こういう時は笑顔で「ありがとう」って言うような気がする。


 だったら、私も――


「こないでっ」


 彼はその言葉に、ピタッと足を止める。


 違う。そうじゃないでしょう。


 本当は嬉しいくせに。このまま慰めて、抱きしめてほしいと思っているのに。どうして私は、肝心な時に素直になれないの。


「瑠璃川……」


「私のことは、放っておいてよ」


 そう言いながら、また膝に額をつけた。数本の髪の束が、パサリと肩から滑り落ちる。


「……放ってはおけないよ」


「なんでよっ! 華弥にでも頼まれたの?」


「そうじゃない……僕がそうしたいからだ」


 どうして、そんなことをいうのよ……。


 膝を抱える腕に力が入る。一度、小さく息を吐いてから、私はゆっくりと速水君を見据えた。


「――期末試験で負けた方が、勝った相手の言うことをなんでも聞くって約束は覚えている?」


「ああ」


「じゃあ、もう私に構わないで。負けたんだから、もちろん言うことを聞いてくれるのよね」


「ああ――でもそれが、本当に瑠璃川の聞いてほしいことならな」


「何言ってるのよ! これが私の聞いてほしいことよ! もううんざりしていたのよ、速水君に付き合うのは」


 嘘だ。そんなはずはない。


 これからも、彼と仲良くしていたい。今の関係よりももっと先に進みたいと、私は思っているのに。


 速水君は悲しい顔で私の目を見つめていた。


 彼は何を考えているのだろう。どうしてそんなに悲しい瞳を?


「無理、させてたんだ。ごめん。てっきり瑠璃川も毎週楽しんでくれているのかなって思っていたから」


「え……?」


「そうだよな。僕みたいのと一緒に遊んでいるなんて、あんまり良い話じゃないもんな」


 彼はあの日々を楽しいと思ってくれていたの?


 私は呆然と速水君と見つめる。速水君は私の前に腰を降ろし、胡坐をかいた。


「ありのままの僕を友達って言ってもらえたことが嬉しかったんだ。僕もずっと友達がいなかったから。だから僕だけが楽しんじゃったっていたのかもしれない。ごめん」


 その言葉を聞いた時、私は鬼頭の聞かせてくれた話の意味が分かったような気がした。


 もしかしたら私も少しずつ、彼の心に棲むことができているのかもしれない。


 すぐに彼の気持ちが変わらなくたって、少しずつ変化のキッカケを与えることくらいは私にも。


 いつの間にか、胸の痛みは消えていた。

 そして、口の端が自然と持ち上がる。


「――まったく。少し意地悪が過ぎたかもしれないわね。そんなに悲しい顔しないでよ。冗談よ」


「え?」


「うんざりしてたっていうのは冗談! 私もその……楽しかったわ」


「そっか……よかったあ」


 速水君はそう言って柔らかな表情で笑う。その笑顔を見て、顔がぽっと赤くなるのを感じた。


 彼はとくべつ整った容姿をしているわけではないけれど、ふとした時に見せる笑顔がとても無邪気で可愛らしいと感じる。ずっとこの笑顔を見ていたいと思った。


「そんなに僕の顔を見つめて何? もしかして、なんか付いてるか!?」


「ええ。目と鼻と口が付いているわ」


「人間なら誰でもついてるからっ!」


「あら速水君、人間だったの? 犬かと思っていたわ。華弥の机に――」


「ああああああ! もう、それは良いから!」


 恥ずかしがる彼を見て、私は小さく笑った。


「それで? 瑠璃川の本当にしてほしいことって何なんだよ」


「そうだったわね。それじゃあ」


 私は速水君の耳元に囁く。


「これから毎週日曜日は私のために使って」


 耳を赤くした速水君は少し身体を反らせると、「今までと変わらないじゃないか」と声を裏返して答える。


「ええ。でもいいの。日曜日だけは何かあっても私のために使ってほしかったから。週末カップルって感じかしらね」


「カップルって……」


「冗談よ。これからも仲の良い友達でいてね」


「それはもちろん」


「ありがとう」


 そう、今は友達で良い。少しずつ彼の心に棲んで、いつかその隣に立てるように。


「じゃあ、そろそろ帰るか。いつまでもこんなところにいたら、怒られるだけじゃすまないぞ」


「私はそれでもいいけれど?」


「すぐにそういう冗談を」


「うふふ」


 そして私たちは二人で化学準備室を出たのだった。




 翌日曜日。私は一週休みにしていた日曜デートを再開する。


「お嬢様、今日はどちらへ」


 鬼頭はいつものようにそう尋ねてきた。


「隣町の映画館にお願い」


 私が淡々と告げると、


「かしこまりました」と鬼頭は少し嬉しそうに言った。


 車が動き出し、私は外の景色を見つめる。


 カップルや家族連れの多い歩道。立ち並ぶ店々。真夏の太陽が燦々と照りつけているのにも関わらず、そこに満ちる陽気で楽しげな雰囲気は車内にまで伝わってきた。


 私はその光景に、惨めさを感じることはなかった。


 それから何気なく、鬼頭に告げる。


「昔話を聞かせてまで伝えたかったこと、ようやくわかったわ。私もあきらめない。時間はかかるかもしれないけれど、頑張るから」


「ふふっ。私はいつまでも応援しておりますよお嬢様」


「ありがとう、鬼頭」




 いつになるかは分からない。それでも『儚い恋』では終わらせないわ。


 私の一途な思いが、あなたに届きますように――。




 私たちのあつい夏が始まろうとしていた。

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