運命の導き

 それから私は華弥を呼び出し、車内であったことを一部始終伝えた。


「なるほど、なるほど。つまり紗月はその名前も学校も知らない彼のことが好きになっちゃったってわけか」


「え、ええ」


 華弥に言われて初めて気づいたけれど、確かに私は彼がどこの誰かもわからなかった。


 なんでちゃんとお礼を伝えられなかったのかしら……今さらこんなことを思っても遅いのにね。


 小さなため息がこぼれた。


「まあ紗月が運命だって思うのなら、きっとまたどこかで会えるよ!」


「そう、かしら……」


「そうだよー!」


「……そうね。ありがとう、華弥」


 私がそう言うと、華弥はニコッと笑ってくれた。


 彼女の笑顔は太陽のように温かく、見ているこちらまでが笑顔になれる。本当に不思議な子。私の大好きな子。


 興奮が冷めてようやく落ち着いて華弥の顔を見ると、その頬が少し腫れているように感じた。


「ねえ華弥。そのほっぺ、どうしたの」


 私が尋ねると、


「ああ、これ? ええっと……ちょっとぶつけちゃって。あはは」


 と苦い顔で華弥は笑う。


 そんなところをどうやったらぶつけるのだろうか、という疑問もあった。けれど、華弥が私に嘘を言うはずがない。


 だからきっと何かの拍子にぶつけてしまったに違いないと思うことにした。


「案外おっちょこちょいなのね」


「う、うん……」


 そう答える華弥は、少し悲しそうに見えた。


 もしかしたら、今の一言で彼女を傷つけてしまったのかもしれない。そう思うと、胸が苦しくなった。


 華弥は大切な友達。

 私にとって、かけがえのない人なのだ。


「ごめんなさい。冗談で言ったの」


「分かってるって。ありがとう、紗月」


 華弥はそう言って笑いながら、私の頭を優しく撫でる。その手から彼女の温もりが伝わって、心が安らいだ。


 私が不安そうな顔をすると、安心させるためなのか、華弥は決まって私の体のどこかにそっと触れる。


 それは華弥から生まれた優しい温もりを分けてもらえているようで、自分だけが彼女の特別なようで嬉しかったりするのだ。


 華弥が友達で本当によかった。心からそう思う。


「じゃあ、さっそく紗月の運命の人を探さないとね!」


「ええ」


 それから私と華弥は時間が合う時だけ、運命の人探しをすることになった。


 少ない時間を有効的に使い、私たちは出来うる限りのことはしていたと思う。


 しかし。名前も学校も分からない相手を、ただの中学生がそう簡単に見つけられるはずなんてなかった。


 もう諦めよう。

 私のワガママに華弥をこれ以上、巻き込むわけにはいかない。


 私はいつしかそんなことを考えるようになっていた。




 そして、運命の彼を探すようになって数ヶ月。季節は巡り、秋になった。


 諦めはじめていた私の前に、その機会は唐突にやってきたのである。


 それは、私が華弥の中学校の文化祭に訪れた時のことだった。


「ねえ、華弥のクラスはどんな出し物をやっているの?」


「お化け屋敷だよ! すっごく気合い入れてるから、楽しみにしててね」


「ええ」


 そんな話をしながら、私は華弥と廊下を進んだ。あたりを見回し、楽しそうな雰囲気に心が躍る。


 転校しなければ、私は華弥とここに通えたのにね。隣で笑顔で話す華弥を見ながらそんなことを思った。


 校舎中央にある階段を上がり、二階の廊下に出て右に折れる。


 そのまま進むと、少し先の教室の前にある机で、退屈そうに本を読んでいる男の子の姿が目に入った。


 隣で歩く華弥は、相変わらず楽しそうに話を続けている。しかし、その内容は私の頭には入ってこなかった。


 他にも通行人はいるのにも関わらず、私はなぜかその男の子を凝視していたからである。


 どこかで見覚えがあるような気がする、と私はその男の子を見据えたまま逡巡した。


 前髪が長くて、あの暗そうな雰囲気――服装は違うけれど、おそらくあの時の男の子に違いない。


「華弥、華弥」


 私はくだんの男の子の前を少し通り過ぎたところで、華弥の腕を肘でつく。


「どうしたの?」


「さっきの、教室の前で座っていた人。あの人よ」


「え、何? どういうこと?」


「前に話した痴漢から救ってくれた男の子」


 目を丸くした華弥は、ゆっくりと後ろを振り返る。


 そして華弥は顔の向きを戻すと、


「あの、さっきの?」と怪訝そうに言った。


「そうよ」


「へえ。意外だなあ」


 華弥は眉間に皺を寄せる。


 人当たりの良い彼女が、同じ学校の生徒に対していい顔をしないことに私は少し驚いた。


 もしかしたら、彼と華弥との間に何か悪いことがあったのかもしれない。そんな不安を抱く。


「華弥は、彼のことを知ってるの?」


 恐る恐る尋ねると、


「うーん。同じクラスになったことはないけど、いつも孤立しているって言うか。自分の世界を持っている人かな。だから誰かを助けるなんて、しょうじき意外だったなあって」


 華弥はそう答え、感心したとばかりに何度も頷いていた。


 その好意的なしぐさを見るに、華弥の中の彼に対する評価が変化したのかもしれない。


「へえ。そうなのね」とそっけなく返しつつも、華弥が彼のことを受け入れてくれようとしているのは嬉しかった。


「どうする? 声かけてみる?」


 せっかくの提案だったけれど、今はまだ勇気が出なかった。もう少し心の準備をしておきたい。


 そして、今は華弥も知らない彼のことを知っているだけで十分だとも思っていた。


 だって、あの日の笑顔と優しさは私だけのものなのだから。


 そんなことを思い、つい頬が緩む。


 隠されていた秘宝を一人で見つけ出した時のような優越感が、私の心を満たす。


「今日はやめておくわ……ここの中学だってわかったのなら、探し回る必要はないし」


「それもそうだね」と華弥は笑う。それから何かひらめいたような顔をすると、


「あ、じゃあ……私が紗月の代わりに、彼のことを調べてあげる! 彼が本当に優しい人かどうか。紗月にふさわしい人かどうか。私が見定めるよ!」


 そう言って鼻息を荒くした。


 なんだか面白がっているようにも見えたけれど、きっと華弥は華弥の考えがあるに違いない。そう信じることにした。


「それじゃあ、お願いしようかしら」


「うん! 任せてー!」


 そして時は流れ、私と速水正直君は運命に導かれるようにあの教室で再会することになる。

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