勝負しない?

 思えば、あの時のお願いがいけなかったのかもしれない。


 同じ高校に入れたのは嬉しかったけれど、結果として速水君は華弥に夢中になってしまった。


 あの時に声をかけていたら、違っていたかもしれないのに。


 私の視線に気が付いたのか、華弥はニコニコと笑いながら私の元へと駆け寄ってくる。


「どうしたの? すっごく熱い視線を感じたんだけど」


「どうかしたってわけじゃないわ。ただ、昔のことを思い出していただけよ」


「昔のこと?」


「そう。中学生の時のこと」


「ああ、速水君のことかー」


 華弥は私の前の席の椅子に後ろ向きで座り、組んだ腕を椅子の背に乗せた。


「紗月は速水君が大好きだものね」


「ちょっと! 速水君に聞こえたら、どうするの」


 私が声を潜めると、華弥は嬉しそうに笑った。


「いいじゃん。毎週デートしてるんだから、もう付き合ってるみたいなものでしょ? 公言しちゃえばいいのに!」


「そういう問題じゃなくて――」


「私は良いと思うよ。紗月と速水君はお似合いだ。私のはいる隙なんてないからね」


 悲しそうに華弥はそう言った。


 たまに華弥は、速水君の話をするとそういう顔をする。私が彼の話を初めてした時、華弥はそんな顔をすることなんてなかったのに。


 教室内に次の授業を知らせるチャイムが鳴ると、華弥はいつもの明るい笑顔になった。


 その表情に私はホッとする。


 やはり華弥は笑顔のほうが似合う。

 悲しい顔をさせる速水君に、華弥はきっとつり合わない。


 私は速水君の気持ちを知っているのに、そんな意地悪なことを思った。


「先生が来る前に――んじゃ、またね紗月」


「ええ」


 華弥は自分の席に戻って行った。華弥が着席すると、周囲の席にいるクラスメイト達が盛んに華弥へ声をかけている。


 華弥はこのクラスでも人気者なのだ。小学生の時から、ずっと華弥はみんなの人気者。


 私や速水君とは違って、多くの人から好意を受けている。きっと有り余るくらいに。


 だから速水君からの好意くらい、私に譲ってくれても良いんじゃない? と密かに思っていたりする。


 ねえ華弥。もちろん譲ってくれるわよね。

 だって華弥は、私の恋を応援してくれているんだものね?




 放課後。私は授業プリントを提出するために速水君と職員室に向かっていた。


「はあ。高橋くんがプリントを無くしたって言った時は焦ったよなあ。見つかってくれて、本当によかったよ」


「あら。別に私としては、その方が面白い結果になったと思ったのに」


「お前、どんな嫌がらせを考えていたんだよ」


 速水君は呆れた顔でそう言った。私にとってはそんな表情すら愛おしく感じられる。


「それはその時のお楽しみよ!」


「なんだよ、それー」


 それから山南やまなみ先生にプリントを提出して帰りの挨拶を済ませると、私たちは揃って職員室を出たのだった。




 窓から漏れる四角い陽光がところどころに差す廊下を、私は速水君と並んで歩いていた。


 放課後の廊下は閑散としており、窓の外からは蝉の大合唱が聞こえてくる。


 ここ数日の猛暑ぶりを経験しているはずなのに、ようやく蝉たちの鳴き声で今の季節をはっきりと自覚したような気がした。


「チャンスだ、走れー!」


 どこかの遠くの方から運動部の掛け声が聞こえ、蝉の鳴き声だけだった静かな廊下に響く。


 その気合い入りように、夏の大会前の大詰めを迎えているのかもしれないと思った。


「そうか。もうすぐ夏休みなのね」


 聞こえた掛け声に耳を傾けたまま、私は誰にともなく呟いていた。


 大抵の運動部が出場する夏の大会は、夏休みの時期に開催される。それは今年も例外ないこと。


 しかし、夏の大会が行われる夏休みの前に、学生である私たちはやらなければならないことがあるのだ。


「ねえ速水君。そういえば、もうすぐ期末試験ね」


「ああ、もうそんな時期かー」


 と速水君は嘆息をする。


 私も速水君も帰宅部であり、高校生活において力を入れているものと言ったら、勉強のほかはなかった。


 たまには学校行事や先日行なったボランティア活動などのイレギュラーはあるものの、それらを除けばやはり勉学以外はないのだ。


 そして、速水君は意外にも勉強ができるタイプのようで学年順位もそこそこに良いらしい。


 優しいうえに頭も良いだなんて、本当に非の打ち所がない。素敵すぎる! と眠りにつくまで延々に思った夜もあった。四月ごろの懐かしい思い出である。


 そして、私はそんな彼にまたいつものような意地悪を思いつく。


「ねえ。どうせなら、勝負しない?」


「勝負? 勝負ってなんの?」


「テストの合計点数を競うの。どう?」


「どうって……僕が勝てるわけないだろ。瑠璃川はいつも学年一位なんだから」


 速水君は呆れた顔でため息をつく。


 あまり華弥の前では見せないその表情を見られたことは嬉しかった。

 きっと今のは、華弥が知らない速水君に違いない。自然と口角が上がる。


「大丈夫よ。速水君だって成績は悪くないんだし、本気になれば勝てるでしょ? それに、拒否権があると思っているのかしら?」


「すぐにそれなんだから……わかったよ。善処する」


 うまく話に乗ってくれた速水君に、私は内心で舌なめずりをした。


 そう、ここからが今回思いついた意地悪の最骨頂なのである。


「ちなみに負けた方は罰ゲームよ! 勝った方の言うことを何でも聞くの」


「はあ!? それが目的だったんだろ! 騙されたー」


 そう言って速水君は肩を落とす。


「まあ、お互い頑張りましょう」


 私は満面の笑みでそう返した。


 もちろん私は負けるつもりはない。

 だから、彼には私のいうことをしっかりと聞いてもらわないとね。




 そして、速水君との勝負が決まった翌日。


「紗月ぃ! 助けてー」


 華弥は私にそう言いながら、顔の前で両手を合わせて見せた。


「助けてって……どうしたの?」


「実はね。今回の期末試験、やばそうで……赤点になったら、部活に参加できなくなっちゃうんだよお。だから助けてー」


 いつも以上の真剣な頼み方に、華弥の夏の大会への出場がかなり危ういということ察する。


 夏の大会は運動部にとって一大イベント。皆、そこに向かって日々鍛錬していると言っても過言ではない。


 そして、そんな大会に出場できないとなれば、精神に与えるダメージがかなり大きいことくらいは想像できた。


 もしも出場できなかったとしたら、前向きな華弥であっても立ち直りに時間を要するかもしれない。


 けれど私はまた、そんな華弥のために時間を使うことが正しい選択なのだろうか。そんな迷いが生じる。


 前回の中間試験時も私は華弥に頼まれて、その勉強を見ていた。


 それでも結果は学年一位ではあったけれど、落とすはずのない問題を落とし、結果は納得のいくものではなかったのである。


 前回同様に何もない試験であれば、それでよかったかもしれない。でも――


「ごめんなさい。今回はどうしても落とせないのよ」


 私がそう答えると、華弥は露骨に肩を落とした。その姿から察して、今回は本当に危ないのかもしれない。


「そっか……わかった。ありがとね、紗月! 今回は何とかしてみるよ!」


「ええ。華弥ならきっと大丈夫」


「うん! 紗月も頑張って!」


「ありがとう」


 私が笑顔でそう返すと、華弥はニッと笑ってからくるりと踵を返し、少し元気がなさそうに歩き出した。


「ごめんなさい、華弥」


 私は華弥を、大切な友人を突き放してしまったのだろうか。


 その背中を見送りながら、彼女の存在が少し遠のいてしまったように感じた。




 放課後。帰宅した私は自室の勉強机に向かい、数学の問題を眺めていた。


 集中しなければならないとわかっていながらも、気づけば華弥のことを考え、ノートを見つめてはぼうっとしている。


 大きなため息をこぼし、


「今日はダメね……」とノートをそっと閉じた。


 私は華弥のお願いを断ってしまったことを後悔しているのかもしれない。


 私だっていつも華弥に助けられているのに。

 私は友人ではなく、自分のことを優先したのね。


 おそらく華弥に勉強を教えたところで、私が速水君に負けるとは思わなかった。だから、本当は華弥の勉強を見てあげてもよかったはず。


「でも。速水君だって本気で勉強しているかもしれないもの。私が本気じゃないなんて、フェアじゃないわ」


 これは勝負なの。だから私は、彼に負けるわけにはいかない。必ず勝って、彼にお願い事を聞いてもらわなくちゃならないの。


 華弥と違って、私にはそれくらいしか彼との距離を詰める方法はないのだから。


 だからごめんね、華弥。

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