美しさは悲しさを誤魔化してくれる

 翌日。教室に入ると、窓側から二列目の最後尾にある速水君の机に目がすぐにいった。


 華弥と速水君が向き合って話している。

 二人は速水君の机を挟み、身振り手振りをしながら互いに何かを伝えあっているように見えた。


 もちろん教室には他のクラスメイトたちもいて、それぞれで固まって談笑している。


 しかし、そんな中で華弥と速水君に目がいってしまうのは、他のクラスメイトたちからは感じない二人の特別な空間のせいかもしれない。


 華弥は速水君と話す時、他の誰かには見せない表情をする。そんな華弥を見て、速水君も嬉しそうに笑う。


 笑い合う二人を見ていると、少し心が痛んだ。


 そして私は、ずっと教室後方の入口に佇んだまま動けずにいる。


「あ、紗月ぃ! おはよー」


 その声でハッとすると、華弥が私に向かって笑顔で手をあげている姿が目に入った。


「おはよう、華弥。速水君」


 ニコリと笑顔をつくって答えた。


 それから自分の席に鞄を置き、少し躊躇いつつも二人の元に向かう。


「あ、そうだ紗月! 昨日の勉強の件だけど、なんとかなりそうだよ!」


 華弥は嬉しそうにそう言った。


 この状況でそのことを言うなんて。なんだか嫌な予感がする。でも、きっと気のせいに違いない。私はそう言い聞かせた。


「どう、なったの?」


 私が恐る恐る尋ねると、華弥は速水君に視線を向け、


「速水君が教えてくれるって」


 そう言ってからまた私の方へ視線を戻した。


「だって彌富、困ってたみたいだから」


「おうおう。相変わらず優しいねえ」


 華弥は速水君の腰を肘でつつく。彼は恥ずかしそうに笑っていた。


 何よ、それ。私は本気なのに。真剣にこの勝負に賭けているのに。あなたは違うの?


 唇と両手が震えていた。


「紗月? どうしたの?」


 その声にハッとした私は、華弥の方を見る。華弥は心配そうな顔で私を見つめていた。その隣にいる速水君も同じ顔で。


「ごめん瑠璃川。もしかして、勝負のこと怒ってる?」


「勝負?」


 きょとんとした顔で華弥は速水君の方を向いた。


「そう。今回、テストの点数の勝負をしようって話になってて。だから、僕が適当に勝負をするんじゃないかって思っているのかなって」


 目を丸くした華弥は、速水君と私を交互に見つめている。


「そうだったんだ……ごめん。じゃあ、やめとくよ。速水君にも紗月にも悪いし」


 申し訳なさそうに言う華弥を見て、なぜか良い気はしなかった。


 悪いって……何が悪いと思っているの華弥。そう思うなら、彼に近づかないでほしいのに。


「大丈夫よ! それに、私が勝てば速水君は私の言うことを一つ聞いてもらうんだもの。華弥の勉強でもなんでもみればいいわ。私は、絶対に負けない」


「紗月――」


 手を伸ばして近づこうとする華弥から、私は一歩立ち退く。すると華弥は、寂しそうな顔をした。


 笑顔の華弥が好きなはずなのに。なんで、私は。


「……私に、遠慮なんてしなくていい。それに今後の部活がかかっているんでしょ。彼から教えてもらうのが一番だと思うわ。きっと楽しい時間になるだろうしね」


 どうして私は素直になれないの。こんなことを言いたかったわけじゃないのに。


 もう一人の私は、無遠慮に私の心を引き裂いていく。言葉の刃はいつもより切れ味がいいみたいだ。


「でも……」


 華弥がしゅんとすると、そんな華弥を庇うように速水君は芯のある声で言う。


「わかった。じゃあ責任を持って僕が彌富の勉強を見る。それで瑠璃川にも勝つからな」


「……ええ、楽しみにしているわ」


 そう言って私は彼らに背を向ける。


 そして立っていることがやっとの足取りで、のろのろと席に向かって歩き出した。


 本当は、『嫌だやめて』って言いたかったのに。なんで、私は――


 椅子に座ってから速水君たちの方を見ると、二人は何かを話し合ってから解散していた。


 おそらくどこで勉強するかの相談をしていたというところだろう。


 自嘲するような小さな息が、ふっと漏れ出た。


 二人はきっと、私が何を想ってあの場所を離れたのか考えてすらいないのでしょうね。


「そうだ。今週の日曜日……」


 スマートフォンを取り出して、スケジュールを確認する。


『速水君とチョコレートパフェ』


「この予定はキャンセルね」


 速水君にメッセージアプリでその旨を伝えると、『わかった』とすぐに返信があった。そしてその中に『僕は適当に勝負をしようと思ってないからな』とも書かれていた。


「そんなことわかってるわよ。そうじゃない……そうじゃないのに」


 そう呟きながら俯くと、ぽたりと水滴が机に落ちた。


 今日も、暑い。


 そんなことを思いながら、私は目の端を拭う。



 

 翌日曜日。勉強の息抜きに私は隣町で開催している生け花の展覧会に顔を出していた。


 柱を真ん中で切り取ったような展示台に白い布が被せられ、均等に並んでいる。


 その上には夏の花、向日葵をメインに据えた元気な作品や、熱帯地方に生えるいくつもの葉を妖艶に生けた作品などが展示されていた。


 そういえば、会場の入り口に『自由を生ける』というキャッチコピーを見ていた気がする。


「今年の夏の題材は『自由』ってことなのね。面白いわ」


 私はそんな驚嘆の声をもらしながら、次へ次へと進んでいく。


 今回の展覧会では既存の型に囚われない作品が多く、ただただ舌を巻くばかりだった。


 華道は幼いころから習っており、私の好きな趣味の一つなのである。


 生けられた花々はその限りある生命力で、私たち人間に懸命に何かを訴えようとしているように見える。


 その姿がなんとも美しく、愛おしい。


 だから、私は生け花が好きなんだと思う。


 作品たちを見ている今、私は自分が悩んでいたことなんてすっかり忘れていたのだった。

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