それは運命的な出会い
中学一年生の夏。私は同じクラスの友人宅に向かうため、各駅停車の電車に揺られていた。
自家用車での移動が多い私は、日常生活であまり電車を使うことがない。だから、今日は私にとって初めての乗車日だった。
車内には冷房が良く効いており、電車に乗るまでの間で火照った体を冷やすにはちょうど良かった。
周囲を見渡すと、仲睦まじそうな老夫婦や若めの成人女性。同い年くらいの男の子。子連れのママさん。思っていたよりも空いている車内に少し驚いた。
テレビで観ていた電車って、もっとぎゅうぎゅう詰め状態だったのにな――。
想像とは違ったものの、あの混雑を覚悟するほどでもなかったことにはホッとする。
「そうだ。せっかくだから、電車からの景色を」
と乗り込んだ扉の前に立ち、ガラス戸から広がる景色を見つめる。
建ち並ぶ一軒家群。ベビーカーを押しながら歩く親子。楽しそうに自転車を走らせる学生たち。
そして、少し先の方を見遣ると広大な海があった。夏の陽光が揺らめく海面は、美しく輝いている。
光景に効果音なんてものはないはずなのに、なぜかキラキラと輝く音が聴こえた気がした。
もしかしたらそれは、初めての経験に浮き立つ、私の心の音なのかもしれない。そんなことを思う。
普段、車から見ているよりも少し高い位置にある線路は、私に違う世界を見せてくれているようでとても新鮮な眺めだった。
「たまには電車を利用するのも悪くないかもしれないわね」
また、利用しましょう。
そんなことを思いつつ、小さく笑う。
それからも私は、ぼうっと外の景色を見ていた。車内では時折話し声はするものの、静穏さが漂う心地よい空間だった。
その空間と窓の景色を楽しんでいると、ガンッと何かがぶつかる音が唐突に耳まで届く。
少し驚いて肩をすくめたけれど、私は窓から視線を外さなかった。
それだけ私は車窓からの景色が気に入ったのだと思う。
そして、そのまま夢中で外の景色に見惚れていると、真後ろに人の気配がした。
重苦しいような、粘着質な気配。
見ず知らずの人間にそんなことを思うなんて失礼だとは思ったけれど、なぜかあまり良いものは感じなかった。
少しだけ我慢しましょう。
もしかしたら、次の駅で降りる人なのかもしれない。
そんなことを思い、私はまた外の景色に意識を戻す。
そしてまた景色に見惚れていると、とつぜん背筋に悪寒が走った。
何かの気のせいよ。そう言い聞かせ、窓の外を見つめる。
しかし、それが気のせいじゃないことを、私は悟った。
――後ろの人、痴漢だ。
背後にいる見ず知らずの誰かは、背筋に悪寒が走ったあの瞬間から、ずっと私のおしりの辺りを撫でまわしている。
徐々に荒くなっている痴漢の吐息に、足がすくんだ。
何もなかったようにここから立ち去れば何とかなるのかもしれない。けれど、追いかけられたらどうしよう。そんな恐怖を覚えた。
目を瞑り、痴漢がいなくなるように私は祈った。きっとこのまま我慢をすれば、どこかに行ってくれるはず。
しかし、痴漢からの行為が終わることはなかった。それどころか、その痴漢の息は先ほどよりも荒くなっている。
私はただただ恐怖の感情が膨らんで、もうどうしようもなく動けなくなっていた。
いやだ。誰か、助けてよ――
鉄の取っ手を強く握り、私は願い続ける。冷え切った指先のせいで、握った取っ手が生温かく感じた。
「あれ、こんなところで偶然じゃん! お出かけ?」
聞こえた声の方に視線を向けると、目にかかりそうなくらいの長い前髪をした同年代くらいの男の子の姿があった。
「え、あの……」
私が戸惑った声を出すと、その男の子は何も言わずニコッと微笑む。
自分に合わせて――そう言われた気がした。
私は小さく頷き、彼を見つめる。
冷たかった指先に熱が戻ってきた。
ついでに頬も熱くなり、胸のあたりがチクチクするような感覚もある。
私、どうしてしまったの――?
「その、大丈夫だった?」
ハッとして我に返ると、胸に手を当ててホッとした表情をする男の子の姿があった。その様子を見る限り、彼も怖かったのかもしれない。
そして、いつの間にか痴漢の姿もなかった。そういえば、隣の車両にいそいそと逃げていく姿を見たような気がする。
「えっと……聞こえてる?」
私がぼうっとしていると、彼は首を傾げてそう言った。
「あの、えっと……」
彼のその問いに何か返事をしなければならないことは分かっているのに、どうしても言葉が出てこなかった。
ありがとう。
たったその五文字を伝えるだけなのに――
電車が駅に着き、扉が開いたタイミングで私は車外へ駆け出した。
どうして彼から逃げ出したのか、自分でもわからない。けれど、身体が勝手に動いてしまったのだ。
駅のホームで知らない人の肩にぶつかり、「すみません!」と謝ってから足を止めた。
それから電車の発車音が聞こえ、私はハッとして走ってきた方を振り返る。
すると乗っていた電車は動き出し、助けてくれたあの男の子の姿はもう見えなくなっていた。
「なに、これ」と自分の胸にそっと右手を添える。
「どうしたらいいの……胸の高鳴りが、治まらない」
早鐘を打ち続ける心臓に、私は戸惑うしかなかった。
きっとこれは痴漢被害による恐怖もあるけれど、助けてくれた彼への特別な感情によるものだろうと察する。
「私、さっきのあの人のこと――」
いないはずの彼が、私の目の前で微笑んだ気がした。私は思わず赤面してしまう。
脳裏に焼きついた彼の笑顔が、私に幻影を見せているのかもしれない。
それから私は震える手で肩掛けタイプのポーチからスマートフォンを取り出し、ある人へ電話をかけた。
「もしもし? 珍しいじゃん、紗月が電話なんて――」
「華弥! 私……見つけたかもしれない」
「急に何!? どうしたの? 見つけたって何を?」
困惑するような声で、華弥は問う。
「私の、運命の人よ!」とやや興奮した状態で私は華弥に答えた。
「え……え!? どういうこと? ってか今どこ?」
「い、今は――」
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