親睦を、深める?
翌日のHR。クラス委員を決めることになった。盛んな運動部員が多い我がクラスでは、もちろんのこと誰の立候補もない。
「部活に入ってないやつがやればいいんじゃね」
「それいいじゃん!」
「さんせーい」
そんなやりとりがあり、僕と同じく部活に所属していない瑠璃川さんがクラス委員になった。他にも部活に所属していない生徒はいたが、成績順(どうやら瑠璃川さんは前回のテストで学年一位だったらしい)で決まったのである。
運動部員の狡猾さに辟易しながらも、瑠璃川さんと親睦を深めるチャンスを得たのは僥倖だった。
するとさっそくこの日の午後、僕は担任の
放課後、瑠璃川さんと化学準備室で待ち合わせ、職員室で借りてきた鍵を使って部屋に入った。
花城先生から入口すぐにあるロッカーの中に掃除道具があると聞かされており、実際にそのロッカーを開けてみると、聞かされていたとおり中には箒が二本とちりとりが一つ入っていた。
取り出した箒の一本を瑠璃川さんに手渡し、僕も箒を取り出してから掃除道具入れとは反対の壁にある電気スイッチを入れ、掃き掃除を始める。
薬品の香りが鼻につくこの化学準備室は、電気をつけても薄暗く、少々不気味な雰囲気を醸し出していた。
瑠璃川さんと関わる機会を得たことは確かに嬉しく思ったが、こんな場所で親睦を深められるだろうかと不安が頭をかすめる。
ふと顔を上げると、準備室の一か所だけにある窓から優しい光が差しているのが見えた。その窓の前には黙々と掃除を進める瑠璃川さんがおり、陽光が彼女の身体を縁取っている。
天真爛漫そうな彌富と落ち着いている瑠璃川さん。全然タイプが違うのに、二人は幼馴染で仲が良いんだよな。
そんなことを思っていると、窓の外から運動部の溌溂とした声が聞こえてきた。
「こんなことになるなら、部活に入っておけばよかったよな」
床を箒ではきながら、僕は瑠璃川さんに声をかける。しかし、瑠璃川さんはずっと無言でうんともすんとも言わない。
気まずい……どうしよう。このままじゃ、本当に嫌われそうだな。
「華弥と、仲が良いのね」
あまりにも唐突に掛けられた声に思わず目を見張り、その方を見た。
「あ、ああうん。中二の時に同じクラスだったから」
「そう」
「うん……」
どうして瑠璃川さんが急に話そうと思ってくれたのだろう。そんな疑問は残ったままだったが、彼女にしてみれは特に意味のないことだったのかもしれない。
なんにせよ、少しでもコミュニケーションを取れたのだから、これはこれで一歩前進だ。
しかし結局交わした言葉はその時だけで、以降掃除中に瑠璃川さんが口を開くことはなかった。
そして片付けの後、僕が化学準備室に鍵をかけているうちに瑠璃川さんはさっさと鞄を抱えてどこかへ行ってしまった。
やることは終わっていたので、いつの間にかいなくなっていることに対して特に文句はないけれど、なんだか少し悲しく思う。
そんなに僕と一緒にいたくないのかな……やっぱり彌富と仲が良いのが気に入らない、とか?
「はあ。まだ始まったばかりだもんな。気長に頑張ろう……」
職員室に化学準備室の鍵を返すと、僕はまっすぐに教室へ向かった。その足取りは重い。
これから瑠璃川さんとクラス委員をしなければならないこともそうなのだが、彌富はずっと瑠璃川さんに付きっ切りで話す機会がまったくないのだ。せっかく同じクラスなのに、逆に遠い存在のように感じる。
「早く瑠璃川さんと仲良くならないとな……もともと僕が人間嫌いなのも悪いけど、そこまで愛想悪くしたつもりはないぞ」
教室に着くと、そこには誰の姿もなかった。
ほんの数時間前まで四十人もの生徒がいた空間だとはとても思えないほどの静けさだった。瑠璃川さんは本当に先に帰ってしまったようだ。
「僕もさっさと帰ろう」
僕は自分の席にある鞄を肩にかけると、後方の出口へと向かった。その途中、ふと足を止め、教室前方の席を見遣る。
彌富の席だ。
今、教室には僕以外の生徒はいない。
廊下側の最前列にある彌富の机に僕はそっと触れ、周囲を確認してから椅子を引き、ゆっくりと腰かけた。
「彌富の席……ここが彌富の席かあ」
後ろを振り返り、僕の席がどう見えるのかを確認する。窓側から二番目の列の最後部。窓からオレンジ色になり始めている光が、わずかにその机の左側を照らしていた。
ほう。彌富からはこういう角度で僕が見えるのか。授業中はこの間に複数人が挟まるだろうから、実際にはほとんど見えないのだろう。少し悲しくなる。
「はあ」
それから額を机にあてて、擦り付けるように頭を左右に動かした。犬で言うマーキングみたいなものだ。まあ、実際に匂いなんてつかないんだけど。
するとガラガラと教室の扉が動く音が響く。ハッとして顔を上げると、扉に背を預けてニヤリと笑う瑠璃川さんの姿があった。
「いいもの見ちゃったわね」
「る、瑠璃川さん!? 帰ったんじゃ……」
「ちょっと忘れ物を取りに来たの。そうしたら、うふふ」
「へ、へえ。そっか」
僕は瑠璃川さんから目をそらして立ち上がった。
早くこの場を離れなければ――。
つかつかと僕の前にやってきた瑠璃川さんは、バンッと手のひらで机を叩く。僕はぎょっとして瑠璃川さんの顔を見た。
「ここ」
その冷たい視線は僕の内臓を突き差し、この場を離れることを良しとしていない。
「――華弥の席よね」
「そう、だったっけ」
「華弥の席、よね?」
そう言う瑠璃川さんの威勢に気圧され、僕は「はい」と首をたれた。
「何していたの? 随分、楽しそうだったけれど」
「そ、それは……」
言えない。マーキングしていたとは、断じて言えない!
「首のストレッチ、かな」
自分で言ってなんだが、苦しい言い訳だと思った。ストレッチってなんだよ。しかも
「ふうん。なんだか必死に自分の匂いをつけているみたいだったけれど。まるで犬のように。すりすり、ペロペロと」
「ペロペロはしてない! 断じてしていない!!」
「じゃあすりすりはしていたのね」
「しまった……」
「うふふ。ねえ、速水君――」
瑠璃川さんはニヤニヤと笑いながら机の上に座り、そこから僕を見上げた。
「なんだよ」
「私が今見たことを華弥が知ったら、彼女はあなたに何を思うかしら」
「脅してるのか」
「まさか。ちょーっとお願いを聞いてほしいだけ」
「お願い……?」
「ええ」
何をお願いしようって言うんだ。これ以上、彌富に近づくなとか? それは頷けない。
「その、お願いってなんだよ……」
額に汗がにじんだ。生唾を飲む音が、やけに大きく聞こえる。
そして瑠璃川さんの黒い双眸は僕を捉えたままで離そうとしてくれなかった。なんだか並々ならぬ思いさえ感じる。
「今度の日曜日、私とデートをしなさい」
「――――え?」
拍子抜けする言葉に、思わず間の抜けた声が漏れ出た。
「今度の日曜日、私とデートをしなさい」
「聞こえてたよ! でも……は!? なんで?」
「何よ、華弥に言うわよ!」
「それは困る! でも、デート!?」
「ええ。楽しみにしているわ。最高のデートプランを考えておいてね」
瑠璃川はそう言うと、小さく笑って教室を出ていった。
「まったく要領を得ない。なんでデート?」
いや。待て待て待て。たぶんあれだな。デートに見せかけて、『実はどっきりでした!』みたいなやつ。僕をはめて、笑いものにしようってことに決まっている。
「僕は騙されないぞ……」
それにしても。仲良くなるつもりが、逆に弱みを握られてしまうとは思いもしなかった。
だが、せっかく彌富と同じクラスになったんだ。瑠璃川さんの脅威なんかには屈せず、僕は彌富と親密な関係になってやるんだ。
「って……一人の教室で意気込んでもなあ。帰ろ」
それから再び一人になった教室を後にしたのだった。
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