第1章・女王の食卓(5)

フォンドボウは、ガックリ肩を落としながら、トボトボ厨房に戻った。

  

ひょっとしたら、貴族の子弟がうらやむほどに磨きあげた美貌が女王様のおメガネにかない、伴侶とまではいわずとも、愛人の末席くらいには置いてもらえるのでは……などという浅ましいシタゴコロが、ほんの少しばかり彼にはあった。

つい、先刻までは。

  

だが、そんなバカげた思惑は、女王の冷ややかな瞳にあたって凍りつき、一瞬で吹き飛ばされた。

  

気高く誇り高い女王様にかぎって、そんなくだらない色ジカケに惑わされるはずがなかったのだ。

  

フォンドボウは、自分の愚かさに、ひとしきり泣いた。

それから、幼いころの記憶を頼りに、父の秘伝のシチューのレシピを必死に思い出しながら、食糧庫をあさった。

ありったけのナベに、さまざまな食材とスパイスをそれぞれに調合して煮込むのだ。

  

父親のレシピが再現できなかったら、国を追われる身となってしまう。

なによりツラく悲しいことは、女王様のおそばを離れねばならなくなることだ。

  

――そんなことになるくらいなら、死んだ方がマシだ。

フォンドボウの恋心は、女王様とじきじきに会ったことによって、ますます悩ましく燃えあがっていたのだ。

  

  

フォンドボウは、一睡もせずに料理に没頭した。

  

モウロウとする頭の片隅に、ふっと少年時代の思い出がよぎった。

女王の戴冠式の帰り道で、妖しげな異国の占い師に呼び止められた、あの場面だ。

  

――ルビーのような目をしたあの美しい男は、オレになんと言ったんだっけ?

  

それを最初から覚えていたならば、愛しい女王の胃袋を懐柔することは今頃たやすかったはずだが。

  

こうなっては今さら、思い出せないことが幸いだろう。

  

  

できあがったナベの中身を味見しては捨てて、また別の食材と調味料を調合して火にかける。

それを何度も何度もくりかえしているうちに、夜が明け、朝がきて、昼がすぎた。

  

  

フォンドボウは、全身にビッショリと汗をかきながら必死でナベをかきまわしているうちに、ひとりでに亡き父に思いをはせた。

  

――父も、こんなふうに汗だくになって、この厨房を切りまわしていたのだろうか。

  

真面目で勤勉な父は、城の料理人になってからは、しょっちゅう手足に包帯を巻いていた。

  

包丁でウッカリ指を切っただとか、熱した油が跳ね飛んでヤケドをしただとか。

そんな言い訳をよく聞いた。

  

下町の食堂とはワケが違う。女王の料理番となってからは、鬼気迫るほどに料理に情熱をそそいでいた。

おかげで、料理の腕を磨く以外のことには、まったく注意力が散漫になってしまっていたようで。

そのせいで、ちょっとした事故を繰り返していたらしい。

  

月日を重ねるごとにその傾向は強くなり、ついに最期の日、惨劇が起こった。

父は、巨大な粉ひき機の中に誤って転げ落ち、全身の血を押し出されて亡くなったのだった。

  

  

ロウビキしたサラシ布でぐるぐる巻きに覆われ、生前よりひとまわり小さいカタマリになってヒツギにおさめられた父の遺体を脳裏に思い出し、フォンドボウは、軽いメマイをおぼえた。

  

「うっ!」

  

とたんに、左手から真っ赤な血が噴き出した。

ぼんやりしたせいで、包丁の刃を指に滑らせてしまったのだ。

  

「しまった……!」

あわてて前掛けで左手をくるんだが、白い麻布にみるみる血が沁みでてくる。

傷は、そうとう深いようだ。

  

こんな状態では、もはやマトモに料理をつづけられそうにない。

  

――約束の晩餐ばんさんまで、もう時間がないというのに……。

  

フォンドボウは、血の気を失った真っ青な顔に幽鬼のような凄絶な表情をうかべて、グツグツと煮えるナベの中をじっと見つめた。

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