ヤブ医者の初恋
こぼねサワー
【1話完結・読切】
ここは、病院。
深夜おそくに救急車が到着した。
患者は30代半ばの若い男。
サカリ場で酔っぱらいとケンカをして、相手の持っていたナイフで腹部を刺されたとのこと。
傷は深く、意識はない。出血もひどい。
「どうか、夫をよろしくお願いします……」
血相変えてかけつけた若い女性は、気丈に唇を噛みしめながら、医師に頭を下げた。
当直の独身医師は、彼女のあまりの美しさに、思わず息をのんだ。
品のいい白い顔にただよう、しっとりとした控えめな色香。
絹のような長い黒髪。
地味なワンピースに身を包んでいても、華やかな曲線は隠せない。
医師は、ひとりでに彼女の手を両手で握りしめ、
「お任せください! きっと、必ずアナタを助けますから!」
そう鼻息を荒くして宣言してから、ハッと我にかえって彼女から離れた。
「すいません、つい……!」
「わ、わたしを?」
患者の妻は、当惑して美しい目を見開いたが、切なそうにフッと微笑んで、
「お願いしますわ、先生」
そう言って、もう一度、深々と頭を下げた。
患者は、すぐに手術室に運ばれた。
医師は、別室で着替えをしながら、
「僕ときたら、なんて軽はずみな約束を。僕の腕じゃあ、あんな大ケガは神か悪魔にでも頼らなきゃ助かりやしないのに」
と、深いタメ息をついた。
すると、一瞬のマタタキの直後、いきなり目の前に、ルビーのような赤い髪と瞳の青年が現れた。
青年は、端正な白皙に笑顔を浮かべて、少し鼻にかかった
「我が名は、悪魔アルミルス。お招きにあずかり光栄だ」
「あ、あ、悪魔だって? 冗談じゃない、こんなとこに来られたら困るよ!」
「なぜ? 私なら、君の願いをなんでも叶えてあげられるのに」
「だって、代わりに僕のタマシイを寄こせっていうんだろう?」
「いやいや、今回は特別サービスだ」
「と、特別サービス?」
「なにせ、君の手術にかかると、本来は長寿の運命をもっているはずの患者でも、すぐに合併症を起こして命を削られてしまうんだからな」
「うっ。そ、それは……」
「おかげで、死期を恐れる患者たちからの
と、美貌の悪魔は、貴族的な白い手の片方を胸に当てながら、黒いマントに包んだ優美な長身を軽くかがめた。
医師は、「うーん」とウナリ声をあげてから、ヤブレカブレに意を決した。
「ええい、ままよ! ならば、悪魔アルミルス。願いを叶えてくれ」
「なんなりと」
「僕は、子供の頃からワキ目もふらず必死に勉強して医大を出て、やっと半人前の冴えない医者になれた」
「ふむ」
「そんな僕が生まれて初めて恋におちてしまった、ついさっき。ヒトメボレだが、胸がハリサケそうに恋い焦がれている」
「ほうほう、それはそれは」
「彼女は、今から手術をする患者の妻だ。どうにもならない恋だとは分かっているが、それでも僕は、彼女との約束をどうしても果たしたいんだ」
「よかろう、お安いご用だ」
悪魔はニッコリ笑って、医師がマバタキをしたスキに一瞬で姿をカキ消した。
それから医師は手術室に向かったが、すでに患者の出血はひどすぎて、手のほどこしようがなかった。
「ああ、やはり、悪魔なんかのいうことを真に受けるんじゃなかった。まんまとカラカワレてしまった」
医師は、頭をワシワシかきむしった。
そして、重い足を引きずって控え室にいき、そこで待っていた患者の妻に、夫の臨終を告げた。
すると、彼女は、黒目がちの瞳をみるみる
「ほ、本当ですか? 本当にあの人は、死んでしまったのですか?」
「ええ。誠に申し訳ありません。どうにもキズが深すぎて……」
「ああ、先生。ホントにわたしを助けてくださったのね。ありがとう」
「は?」
医師は、目を白黒させた。
患者の妻は、びしょ濡れになった目元をハンカチでぬぐった。
すると、メイクが落ちて、痛々しい青いアザがあらわになった。
「これでやっと、わたし、自由になれます。先生のおかげですわ」
そう言って、彼女は、親愛に満ちた熱っぽい微笑みで、うっとりと医師を見つめた。
おわり
ヤブ医者の初恋 こぼねサワー @kobone_sonar
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