ラのゴジュウキュウ「カチコミ」

 静かな夜に音もなく、その者は八百万九十九組の敷地内へと侵入していた。

 その者の体からは多くの鎖が垂れ、そのどれもが地面を引き摺られていたが──音が発せられることはなかった。

 そのせいで、誰もその者の存在に気が付く者はいない。お屋敷の警備を担当し、見回りをしていた強面の男でさえも闇に溶け込んだその者を発見することは出来なかった。


 何の障害に差し当たることもなく──その者はいつしかお屋敷の中にまで潜入していた。


──ギシィッ!


 さすがに足音までは消せない様だ。

 廊下をゆっくりと歩くその者の足音だけが、ギシギシと薄明かりの中に響いたものである。


──スーッ!


 歩いていると──不意に障子戸が開いた。


 そして、その者は──中から出て来た強面の男と目が合った。


 強面の男も、異変を感じて見に来たわけではないらしかった。

 はじめ、強面の男は動きを静止させて目を瞬いていた。

「あぁん? なんだ、お前は……?」

──運が悪かった。ただちょっと厠へ行こうと部屋を出たところで、不審な人物と遭遇してしまった。


 その者はその場に立ち尽くし、抵抗することもあしなかった。一瞬の隙をつて強面の男を捩じ伏せたり逃げ出したりすることも出来ただろうが──堂々とそこに立って、周囲を見回していた。何か、狙いがある様である。


「おい、侵入者だ!」

 その間に、強面の男は大声を上げて仲間に侵入者の存在を知らせた。その情報はすぐに、部屋の中に居た他の強面の男たちにも伝わったらしい。


「誰だ、てめぇ!?」

「おいっ! 人を集めて来い!」

「へい!」

 部屋からゾロゾロと出て来た強面の男たちが、不審なその者を睨み付けたものである。

──ここまで来たところで、お屋敷内は一気に慌ただしくなった。


「誰かー! 大変だー!」

 強面の男が大声を上げながら屋敷内を駆け回った。

 お陰で──組全体に、侵入者の存在が知れ渡ってしまう。


 それでもフードを被ったその者は落ち着いていた。

──いや、むしろ呆れた様子だ。

「……思ったよりも警備体制がザルだなぁ……」


「あぁん? どっから入りやがった?」

 そんなフードの者に、強面の男たちが睨みを利かせる。

 相手は明らかな不審者であり、不法侵入者である。

 強面の男たちは必要以上に左右に肩を振り、威圧でもするかの様に大きく足音を鳴らしながらその周りを取り囲んだ。

「お宅さん、入る家を間違えているんじゃないか? ここは八百万九十九組だぜ。分かっているのか?」


「……知っているわ。勿論」

 ベーッと舌を出し、その者は笑った。

 声の質からして女性である。


「なんだ、女か……」

 途端に、強面の男たちの緊張の糸が緩む。

「おい。今出て行くのなら、大目に見てやるよ。さっさと帰んな」

 シッシとばかりに手を振るい、強面の男たちはその者を追い返そうとした。相手が女性であるなら、これくらい脅せば怯えて帰ってくれるだろう──と、勝手に考えたらしい。


──が。

 案の定、そう上手くはいかなかった。

「……帰るわけがないじゃないさ」

 強面の男たちの脅しなどまるで通じていない様子で、その者は小馬鹿にした様にケラケラと笑っていた。


「ああん?」

 強面の男の眉間の皺が、よりいっそう深くなる。

 さらに睨みを利かせて脅しでどうこうしようとしたのだ。

 しかし──ふと強面の男の表情が引き攣った。

 フードを被ったその者のマントの中から──ウネウネと鎖が、まるで生きているかのようにのたくって出て来ているのが見えたからである。

「な、なんだ、それは……?」

 それぞれが意思を持ったように動き回るその鎖を前に、さすがの強面の男たちも恐れ慄いたものだ。

 口をあんぐりと開け、距離を取ろうと後退った。


「私はね……」

 フードを被ったその者が、ニタニタと笑いながら言う。

「狩りをしに来たのよ」

 言うが早いか──袖口から鎖が勢い良く飛び出した。


 それは強面の男の頬を掠め、天井の梁へと巻き付いた。

 恐怖に震えた強面の男の目の前で、鎖を手繰ったフードを被ったその者の体が宙に浮かび上がって床から離れた。


「あなた達も、私に狩られると良いよ」

 フードを被ったその者が腕を振るうと袖口から、数本の分銅付き鎖が飛び出した。


 それらは強面の男たちへと襲い掛かった。


──ある者は頭部にそれを受けて倒れ。

──ある者は体に鎖が巻き付いて動きを封じられた。


「あぁ……うわぁあぁあぁ!」

「なんだこいつは!? ひぃっ! 助けてくれぇエエェェ!」

 阿鼻叫喚する強面の男たちを前に──フードを被ったその者は愉快そうに笑ったのであった。

「もっと可愛く鳴いてみなさいよ! アーハッハッハッ!」

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