ソのゴ「元凶の住まい」

 闇雲に歩いていても地理が覚えられるわけではないだろう。ある程度、道なりを記憶できるように当たりを付けながら歩くことにした。

 次に、川沿いや竹藪など特徴的な場所に向かってみることにする。

 元来、散歩を趣味としている劉生にとっては、どれだけ歩こうがそれを苦痛に思うことはなかった。

 むしろ、新天地の長閑な景色をゆっくりと堪能しながら歩けるのだから、心地良さすら感じていた。


 そんな調子で気ままに散策を続けていた劉生は、竹林の道を抜けた先で──例のその屋敷の前へと辿り着く。

 突如現れたその広大な敷地を有するお屋敷に、劉生は目を奪われてしまったものだ。高い塀が屋敷の周りをぐるりと囲むように聳えていて中は見えないが、趣きのある瓦屋根がひょっこりと覗いているのが見えた。


「へぇー。変わってないなぁ……」

 自然とそんな感嘆の声が劉生の口から漏れていたが──当人にはそれを発した自覚がないようであった。

 明確な記憶はないが、幼少期に立ち寄ったことでもあるのだろうか。ただ、それを無意識に発している時点で、劉生にとって大切な場所のようにも思えた。


 劉生はお屋敷の外壁に沿って歩きながら、幼少期の自分とどんな縁があるのか考えていた。

──幼い頃の自分は、この竹林を歩いたのであろうか?

 少年時代なら好きそうなものである。友達と追いかけっこでもしたのであろうか。


 そんな風に考えながら歩いていると、ふと劉生の目に気になるものが写った。

 思わず足を止めて、劉生は顔を顰めたものである。

──というのも、立派なお屋敷の外壁にスプレーで落書きや貼り紙がしてあったからだ。

 それも、非行少年たちが縄張りをアピールするためや芸術家がアートのために描いたようなイラストではなく──罵詈雑言。

 このお屋敷の住人に向けた、憎悪の篭ったあらゆる恨み辛みが文字として書かれていたのである。


『出て行け!』

『人殺し』

『しねしねしねしねしね』


 壁面を埋め尽くすようにビッシリと描かれた文字には、かなりの怨念が込められているようであった。

 圧倒された劉生は、思わずぶるりと身震いをしてしまった程である。


 その文字からは、筆者のあらゆる負の情念が感じられたものである。しかも、それは一人ではない。筆跡からして何十人もの──老若男女違わず多くの人々がそれを書き連ねていたのである。

 つまり別々の人々が、人様の家の塀に落書きをしたということだ。

 そんな異様な光景を不気味に思いつつも、劉生は歩みを進めた。


 貼り紙には破かれた跡があり、何度も上から貼り直したようだ。その執念たるや──余程のものである。

 恐ろしい落書きたちを横目に劉生は、速歩にその場を離れた。

「何なんだよ、この家……」

 すると──別にそれを意図した訳ではないのだが──壁伝いに歩いていた為、表門へと行き着いた。


 そこへ来て、劉生は外壁にあった落書きの理由について察することとなる。門柱に『姫野』という表札が掲げられていたのである。


「あぁ……」


 劉生はそれを見て、すぐに合点がいった。

 父の言葉が思い返される──。


『姫野家には近付くな』


 趣きのある外観からして、このお屋敷は歴史ある建造物であるのだろう。

 そう忌み嫌われる『姫野家』の人々とはいったいどんなに性格がねじ曲がっているのであろうか。

 地域全体からタブー視されるとは──姫野家の人々は長い歴史の中で余程のことを仕出かしたに違いない。

 しかし、そんなこの町の歴史などとは無縁の立場である劉生は、純粋に落書きを見てそれを行った人間たちに対して嫌悪感を抱いたものである。

「凄いお屋敷なのに……」と、ちょっぴり景観が崩れたことに対して残念に思ったのであった。

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