第20話 Side ラモン 神力

「ビンクス、国王陛下が会ってくださるとおっしゃったら、どうする?」


「国王陛下にでございますか? それは誉れですね。光栄すぎて眠れないかもしれません」


「怖いと思うか?」


「怖い、でございますか?」


「陛下にお目通りがかなうとなったらメイドが真っ青になった」


「それはお可哀想に」


「可哀想?」


「ええ。メイドとして給仕もするでしょう。もし粗相でもしたなら首が飛ぶこともありましょう。そう思ったら恐ろしくてたまらないでしょうね」


 粗相を心配しているふうではなかったが。


「坊ちゃん、お茶でもお持ちしましょうか?」


「いや、もう結構だ。これも片付けてくれ。部屋に戻るから」


 ふと思い出し、博識なこの執事なら知っているかと思い問いかける。


「〝ヌリカベ〟を知っているか?」


「ヌリカベ、でございますか?」


 僕は頷いた。


「申し訳ございません。ヌリカベとは聞いたことがございません」


 ビンクスでも知らなかったか。

 帰りの馬車の中で尋ねられた。ヌリカベを知っているかと。知らないというとそうですかと視線を落とす。それは何なんだと尋ねると、自分も何なのかを知りたいのだと言った。おかしなメイドだ。


「今日の坊ちゃんは、楽しそうですね」


「そうか?」


「はい。いいことがあったようにお見受けします」


 僕が生まれる前から我が家で働いているビンクスは、そう言って静かに微笑み、カップを下げながら「おやすみなさいませ」と部屋を出て行く。


 ……いいこと? いいことは特になかった。

 反対に、朝からおかしな日だった。

 僕は寝起きが悪いと思われているが、それは事実ではない。眠りが浅く気配に敏感だ。

 神力を鍛えてからは、植物があれば家の中の気配を探れるぐらいにはなっている。神力は何かを媒体にして発現させることが多い。僕の場合それは植物だった。家の中なら、どこに誰がいるかも察知できる。朝も早くから目が覚めているが、植物と気を同調させてゆらゆら気配を辿っている。メイドたちの気は見知っているものだから、禊をしたくなるまでベッドの中でゆらゆらしているだけだ。


 それは今日も同じだった。でも、それがおかしい。リリーはこの屋敷に入ってくるのは初めてなのに、植物は気配をただ認知し放っておいた。警戒心を少しも起こさせなかった。そんな人間がいたとは驚きだ。植物にこんなに愛されている人間がいるとは。植物はなぜか邪な考えを持つ者がわかり、近くに邪な考えを持つ者がいるときは同調したかのように黒い気を出す。以前教会に植物を持ち込んだところ、真っ黒の気で充満したのを見てから、人が多いところでは植物を近くに置かないことにした。植物は近くの者の気に反応する。リリーは植物に愛されていた。植物は彼女に寄り添うようだった。


 悪意を持っていないのはわかったが、馬車を見て、あのマテューを手懐けたと思うと急に得体の知れない者だと思えた。邪な思いなく近づき、あっという間にマテューを虜にする。そんなことがあっていいのかと。弟のケヴィンを虜にしたという男爵令嬢を思い浮かべた。遠くから見ただけだが、愛らしい庇護欲をそそる容姿だった。愛されることを生きる糧にしているエネルギッシュな感じがして、すぐに興味を失った。それから少しして、弟が男爵令嬢に家宝を捧げたという話を聞いた。父は顔を真っ青にしていた。ただ古いだけで家宝といっても、あれはもらった方が困ったんじゃないかと思う。まぁ、別にどうでもいいことだが。


 ただマテューがそんな目に合うとなったら話は別だ。

 馬車の中で脅すと怯える様子は見せるものの、心あらずと言う感じで、手すりに捕まっていることの方が重要なようだった。僕はなぜこの一風変わったメイドに気をとられているのだろうと不思議に思った。僕の付き人をするのは不服なようだった。

 御言の感想を聞けば、神がいらっしゃるのかと思ったと泣きそうに顔を歪める。まるで神がおわしますのが哀しいように。

 神の存在を信じられないのかと問えば、信じないわけではなく感じられたことがないだけだと言う。禊の時に僕の神力と同調している植物を使って力を使ったくせに。


 城では陛下にお目にかかれるというのに、真っ青になり怯えていた。彼女ほどのメイドなら王宮でもやっていけるだろう。緊張したとしてもそこまでの粗相などするはずはないのに、あの怯えっぷりは不可思議だった。


 考え事をしていたからか、気配を察知するのが遅かった。逃げ遅れた。


「ラモンさん、ここにいらしたのね」


 義母に声をかけられて、僕は立ち上がる。


「何か御用でしたか?」


「お礼をと思って。ケヴィンを助けてくれるのでしょう?」


「義母上、誤解です。賭けには参戦しますが、大昔の教本など取り返して何になるというのです?」


「でもあれを取り返せなければ、ケヴィンは許されないわ」


「それも神のお導きでしょう」


「やっぱりラモンさんはケヴィンが憎いのね? 継母の私を嫌うのはわかります。でもケヴィンは……あなたの弟よ」


「誤解です。僕はケヴィンも義母上も嫌っていませんよ」


 嫌うなんて心を動かすのに、どれくらいエネルギーがいると思っているんだ。

 もうなんの感情も残っていない。

 2つ下の半分血の繋がった弟。

 まだ母が生きている時に父上は義母上と深い仲だった。

 この国のトップの聖職者が、神の愛を語りながら、たったひとりの女性の愛をも蔑ろにした。貴族は一夫多妻を認められているが、聖職者においては推奨されていない。


 それまで父を尊敬していた、誰よりも。父のような聖職者になりたいと思っていた。神官になるべく教会に通い、神の御心に触れられるよう努力してきた。9歳の時に母が亡くなり、半年後、弟を連れた女性が義母となった。無邪気に兄様に会いたかったと、一緒に遊びたかったと、弟が手を伸ばしてきた。その手を取れなかった。ためらった僕を父は叱った。

 全てがばからしく思えた。母が可哀想だと思った。母に投影して自分を哀れんだ、という方が正しいかもしれない。


 あの時は神がいたとしても、いないのと同じことだと思った。皮肉にもそう理解した時に神力に目覚めた。神の力を感じるようになった。でも神の力は一方通行で、こちらからの問いかけは一向に聞き届けてもらえなかった。愛とはなんなのか知りたかった。子供は愛の証というが、その愛はどういう大きさで、ひとつなのか複数なのか、誰でも同じなのか、人により違うのか。愛を交わす相手と同じものなのか、違うものなのか。愛は貴族と聖職者と平民で違うものなのか。僕には全くわからなかったから。いくら修行を積んでも神は何も答えてくれなかった。神の力は感じられても、神は無口だった。


 そのうち、どうでもいいと思うようになった。愛? 神? 説教で説かれる話はいつも完結しているが、そんなのは嘘だと思う。嘘の話を聞いて、嘘だと思わない人々も嘘つきだと思う。

 僕は人が好きではないのだろう。植物になりたかった。


 学園に行かされ、僕はサボってばかりいた。学園の中の森に入り浸っていた。先生から頼まれて探しにくるのがいつもマテューだった。

 関わらないでくれと言えば、それは聞けないと断られた。なぜかと聞けば、そう決めたからだと言われた。意味がわからなかった。人はやはりわからない、そう感じたが嫌な感じとはまた違った。マテューと仲のよかった、テオ、タデウス、殿下と顔を合わせる機会が増え、話してみると今まで話した者たちと違った考えを持っていて、それでいつの間にかつるむようになっていた。


 義母上からの視線を感じる。


「ラモンさん、家の中だといってもローブでウロウロするのはよくないわ。風邪をひいたらどうするの? 春といってもまだ寒い日があるのよ」


 義母上も悪い人じゃないし、悪い感情も持っていない。ケヴィンのことだって、それなりに可愛いと思っている。ただ必要以上にエネルギーを使いたくないだけだ。


「部屋の温度を上げればいいことです。おやすみなさい、義母上」


 軽く会釈をして部屋へと向かう。


 ああ、なんであのメイドが気になるのかがわかった。同じだったからだ。

 リリーのあの時の表情は、僕がマテューたちと出会う前と同じだった。信じないとかそれとは少し違う。諦める……違うな、そうだ、希望を持てなかった。神に希望を見い出せなかった僕と同じだと思えたんだ。

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