第17話 本日のお仕事9 ラモン様

「やはり元気がない。タデウスと何かあったんじゃないですか?」


 昨日のお迎えの時に聞かれて何でもないと言ったのに、また送ってくれる馬車の中で同じことを問われる。


「いえ何もありませんし、普通ですよ」


 わたしは今猛省中だ。わたしはいつの間にか自分を過信しすぎていた。だからあんな余計な口出しをしてしまったのだ。


「それより、マテュー様はわたしを送ってくださってから演習場に行くので間に合うのですか?」


「はい、問題ありません」


「あの、送迎はありがたいですが、マテュー様の負担になるのが心苦しくてなりませんので……」


「……それでしたら夜会まで、俺の家に滞在するのはいかがですか?」


 は? いや、どうしてそうなる。


「とんでもありません。わたしは住み込みメイドではありません、派遣のメイドですので」


 これ以上話しかけられないために、わたしは馬車の窓に視線を移した。

 坊ちゃんはわりと勢いがあるから、言いくるめられる恐れがあるのだ。




 最初の予定では今日が魔術師令息のリングマン様宅で明日が司祭令息のハイン様宅のはずだったが、都合で順番が入れ替わったと教えてもらった。だから今日はハイン様のお宅に伺う。

 仕事終わりのお迎えはあまりにもよくし過ぎてもらうことなので断ったが、ひと月休みなく働かせるのはこちらの都合なので、できるだけわたしの負担にならないようにせめて送迎はと最終的には言いくるめられていた。


 ハイン様のお宅はツートーンでまとめられた、どこかモダンで洗練された感じがする。教会や祭壇に近い何かをイメージしていたわたしの考えは打ち破られ、スタイリッシュな家だった。

 その代わりお仕着せは襟のたった、どこか司祭様たちを思わせる服を取り入れたものだった。夏物のように生地が薄い。こちらのお宅は廊下もなんとなく暖かいからいいけれど、この季節にはまだ早いような気がする。

 やはりラモン坊ちゃんの専属ということだ。とにかくラモン様についていること、と言われる。


 最初のミッションはラモン様を起こすことだった。30分経っても起こせないようでしたらヘルプに入りますと言われる。寝起きが悪いみたいだ。取り合いになる仕事で今日はあなたに譲るわねと言われる。意味わからん。鑑賞はいくらでもしていいけれど、深みにハマると戻って来れなくなるから気をつけた方がいいと忠告をもらう。訳わからん。ラモン様の部屋に連れて行かれて、返事のない部屋に放り込まれた。


 部屋はジャングルだった。温風? お仕着せが薄いと思ったが、なるほど、この部屋にはちょうどいい。熱帯気候にふさわしいような植物がニョキニョキ生えている。植木鉢じゃない。地面があるよ。人の通り道にだけ床を敷いたみたいだ。床の上には美しい調度品がいくつか置かれ、部屋のほぼ真ん中に天蓋付きのベッドがある。そこにラモン様が眠っていた。


 完成された美。眠り顔まで美しいとは羨ましい。仕事詳細はラモン様が起きてから聞くよう言われている。起こせなかったら座って休んでいてもいいとも。

 人が部屋に侵入しているのに全く起きる気配がない。起こしてみるか。


「ラモン様、おはようございます」


 ベッドの横で声をかけてみる。ピクリともしない。


「ラモン様、朝もだいぶ過ぎていますよ」


 揺らしてもいいのかな?

 上掛けの上から肩らしきところを持って揺する。

 起きない。

 少し強く揺らす。

 反応がない。


「ラモン様、おはようございます。朝ですよ」


 ダメだ全然起きない。30分でヘルプに入りますと言われたのが耳に蘇る。

 ヘルプに入ってもらうなんて、オーディーンのメイドの名が廃る。

 目を覚ますには顔に水をかけるのが一番効果的だと思うんだけど、やったら問題ありそうだし。

 仕方ない。揺らす、声を大きくするしかないね。


「ラモン様、おはよーございまーす」


 かなり大きい声を耳元でだし、大きく揺する。

 ピクリと反応。よしっ!

 眉間にシワを寄せて、目があく。

 シワさえも美しいんだから、綺麗な人ってズルイよな。

 黄金色の瞳がわたしに向けられた。


「ん? 君は新しい子猫ちゃんかな」


 寝ぼけてる? こんなデカイ子猫はいないだろう。


「ラモン様、おはようございます。朝です。起きてください。わたしは人類、人科です」


「……そっかぁ。人類ねぇ。ご褒美は何がいい?」


「はい?」


 ラモン様はきれいなあくびをして、上半身を起こす。

 ええっ?

 なんで裸! 細いのにシックスパックに腹筋が割れていて、体の造りまで完璧なのねと、しっかりと見てしまった。

 ラモン様が手を出す。


「な、なんでしょう?」


 ラモン様が首を傾げ、上掛けをはねようとするから、慌てて抑えた。


「服を着ましょう」


「うん、ローブを取ろうと思ってね」


「どちらに?」


「君の後ろ」


 なるほど、それが欲しくてさっきは手を出されたのね。メイドさんたち教えといてよ。


「失礼しました」


 わたしは後ろのハンガーにかかっていたローブをラモン様に手渡す。

 そして下がった。


「ご褒美は、何がいいのかな?」


「ご褒美をいただくようなことをした覚えがないのですが」


 ラモン様はわたしに視線を合わせて、ふんわりと微笑った。


「じゃあ、ご褒美をちょうだい」


 なんでそうなる!?


「ラモン様は何かご褒美をもらうようなことをしたんですか?」


 ラモン様は少し考える。


「あ、起きたよ」


「起こしたから、ですよね?」


「じゃあ、次にひとりで起きたらご褒美くれる?」


 身内なら〝寝言は寝て言え〟と言えるところだけど、仕事先なのでそういうわけにもいかない。


「……何か欲しいものがあるんですか?」


 貴族だからバカ高いものとか言い出すのではないかと訝しんでしまう。


「ん? あるよ」


 だから何だよと思いながら、『そうなんですね』と話を終わらせる。

 言わないなら、あげられるものかどうかわからないので、なし崩しにしておくに限る。


 ラモン様が立ち上がる。

 ローブは腰のところで紐を軽く結び合わせているだけなので、胸のところが大きく肌けていて意外にたくましい胸板を見せつけている。


「禊に行くよ、ついておいで」


 わたしはラモン様の後について歩き出した。ドアを開ければ3人のメイドが揃っていて、手にはタオルやら着替えやらを持っている。


「子猫ちゃん」


 メイドさんたちが振り返ってわたしを見てくる。

 ん?


「坊ちゃんが呼んでいらっしゃるでしょう、返事をなさい」


 わたし?


「ラモン様、わたしは先ほどお伝えした通り人類です」


「じゃあ、名前を教えてよ、子猫ちゃん」


「オーディーンメイド紹介所から参りました、リリアン・オッソーです」


「ああ、あの時の娘か。……ふぅん、リリーか」


 誰だ、それは!?

 3人のメイドさんがわたしを見て、何を言っても無駄よと言いたげに首を横に振った。ラモン様は自由人らしい。



 禊。お風呂にでも入るのかと思ったが、風呂というより、外!? 川が流れ、滝がある。家の中なのに?? 中は植物であふれている。

 わたしはタオルや着替えを持たされた。


 ラモン様が両腕を広げると、左右からメイドがローブを脱がす。そのままラモン様は滝のある川の中に入っていかれる。きれいなカーブを描いた形のいいお尻が丸見えなんですけど。っていうことは振り返っても真っ裸ということで。


 メイドさんたちがローブをたたみながら戻ってくる。


「あなたがタオルを持っていく?」


 わたしは聞かれて首を横に振った。


「水、ですよね?」


 小さい声で尋ねれば、頷かれた。室内の温度が高いわけはこれか!

 水の中に入るなんて寒すぎる。ひょっとして真冬でもこれを毎日?

 長い時間、手を合わせ身を清められている。

 終わったのか、振り返り、こちらに歩いてくる。わたしは着替えを持っているよう言われ、タオルを持った3人がラモン様にタオルを渡す。

 なるべく視線を伏せてやり過ごすが、裸だけに下を向いている方が余計なものが見えそうでひたすら地面を見る。


「リリーさん、下穿きを」


「はい」


「リリーさん上着を」


「はい」


「リリーさん、帯を」


「はい」


「リリー拭いて」


「はい?」


 メイドさんからタオルを渡される。ラモン様が頭を下げて赤髪をわたしに突き出す。

 頭を拭けということらしい。

 タオルを髪の生え際に合わせて押さえるようにして水分をとり、そのまま髪の水分をタオルに移す。地肌の水分をまず拭きとり、髪の水分をとるようにするのを繰り返す。

 椅子に座ってやるなりしたほうが体勢は辛くないと思うのだが、頭を突き出されたからな。

 皮膚が赤くなっている。そうだよね、寒いよね。

 魔術とか使えて温かくしてあげることができたらよかったのに。


 ふわん。


 春の風が吹いたような気がした。眠りを誘うような温かい風が。

 ラモン様が頭を起こす。黄金色の瞳に捕らえられる。驚いたような顔をしている。


「……リリーは優しいんだね」


 何が!?

 拭けって言われたから拭いているだけなんだけど。


「ラモン様、お時間でございます」


 困惑していると、執事さんらしき人が外から声をかけてきた。


「今、行く。リリーはこのまま一緒に神殿に行くよ」


 そう、手を取られる。

 メイドさんの1人がわたしからタオルを取り上げて、ラモン様に首を垂れる。


「いってらっしゃいませ」


「ああ、行ってくる」


 わたしはわからないながらメイドさんたちに頭を下げた。

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