第14話 本日のお仕事7 ストレッチ
「失礼します」
書類を手にしたまま乗り込んできた男性は部署長様のところに行く。白いシャツにベストとズボンにタイというありふれたいでたちだが、なんとなく気にかかる。
「休憩時間にすみません。何度申請してもこちらが戻ってくるんですが、どういうことですか? 今からやり始めないと雨季に間に合いません。これは毎年のことですよね?」
大量に戻しがあった5の部署の人だ。持ってったとき怒り心頭だったもんね。
部署長様は書類を受け取り、その書類をチェックした者のサインを見たんだろう。
「タデウス、お前が処理したようだ。説明を」
タデウス様が部署長様のところへ書類を受け取りにいき、目を走らせる。そしてその書類を5の部署の人に突き返した。
「不備があります。最初からやり直してください」
「不備とは?」
「そんなことまで、こちらが教えないといけないんですか?」
うわーっ。
5の部署の人は顔を赤くした。
タデウス様の手から書類を奪い取るようにして、部屋を出て行った。
「あそこは平民が多いからな」
トーレコ様が理解を示すていでおっしゃる。
え?
「そういうわけではありません。不備があるのです」
タデウス様は当然のことのように返す。
「あそこは上司も平民だからな。ちゃんと教えられないのだろう」
カチンとくる。そうやって無駄に蔑む人に限って、自分を省みることができないのだ。
平民だろうがなんだろうが、不備なく仕事ができるようにフォローできてない自分を省みろと思う。偉そうなことを言うのなら、偉いことをヤレ。敵同士じゃあるまいし、同じ城で国に仕えているのだから、足の引っ張り合いをしても仕方ないだろうに。
言いたいことがあっても貝のように口を噤む。これが意外にストレスになるので心の中では雄弁だ。毒を吐く、これ大事。
タデウス様がまた目頭をつままれている。目が疲れているんだろう。
「タデウス様、お疲れのようですね。ストレッチをされてはいかがですか?」
「ストレッチ……とは?」
あれ、ストレッチって前世の言葉だったっけ?
「ええと、書類仕事で凝り固まったところを解されると良いかと」
「だから、ここを押している」
「確かに目もお疲れでしょうが、目だって他の器官とつながっていますから、全体を解さないとひと時楽になってもすぐに痛くなります。恐らく首と背中が凝っていることもあると思います。頭の後ろで手を組んでくださいませ」
タデウス様は本気で痛いのだろう。素直にわたしの言葉に従ってくれた。
「肘は耳の高さまであげるようにして、そうです。そして首を下に向けるのではなく、少しずつ組んだ手に力を入れる感じで、その重みで首を気持ちのいいところまで下に下げます」
ゆっくりとタデウス様が縮んでいくように纏まる。
「ではそのまま静かに息を吸いながら首を起こし背筋を伸ばし、肘を後ろに開くように起き上がってくださいませ」
ゆっくりを起き上がる。
「もう一度、今度は首を下にするよう縮こまるときは息をゆっくり吐いてください。そしてまた息を吸いながら起き上がります」
タデウス様は呼吸法も完璧に首と背筋に効くストレッチをこなされる。
「いかがですか?」
「運動は好きではないが、この伸ばすのは悪くないな」
「では、もうひとつ」
わたしは椅子の背を利用して対角線上に体を伸ばし凝りをほぐすやり方を伝えた。
やっている最中にタデウス様の背中がボキボキ鳴ったが痛くはないようで、あ、さっきより首が動かしやすいと気づかれた。
おお、よかった。すぐに目を押さえなくなっている。
他の方々もタデウス様の真似をして体を動かして、体が楽になったと不思議そうにしている。
タデウス様の機嫌がよくなったので、さっきの書類にどんな不備があったのか尋ねてみる。
「何故そんなことを聞く?」
「不思議だったので」
「不思議?」
「何が不思議なんだ?」
「書類でしたらそのまま沿って進めれば間違いなど起こるはずがないのに、どうして不備という事になるのかがわからなくて」
「それは書くやつに頭がないと、不備ができるんですよ、お嬢さん」
したり顔でおっしゃったのはトーレコ様だ。
だから不備は起こらないようなテンプレートを作っとけばいいだろうがとは言えないけれど。わたしはにこりと微笑んでおく。
「……事を起こすには各担当部署からの承諾のサインがないと話にならない。材料と人足の手配はしているようだが、そのための財政からの承諾を忘れている。予算にもともと組み込まれているから気づいてないのだろう。材料と人足にしても今年は寒さが長引いたため木材などの輸入が遅れているのに、そこを加味していない。半月ほど後ろにずれ込んだときのマイナス計上を全く考えていない。致命的だ」
上にあげる前に自分たちの部署内で気づけというのもわかる。でも、そういうのってヒントをあげないと永遠にわからないのではないかとも思う。そして両方ともまたかよとイライラしているだけで、全然いい事ない。ふーむ。
30分で、休憩は終わりだ。次は13時半から1時間お昼休憩で、16時に終わる。他の方々は1時間の休憩を挟み17時から19時まで。以降は残業扱いだそうだ。タデウス様はあくまでお手伝いなので16時までの早上がりなのだそうだ。
わたしも箱内の振り分けをし、他部署へと赴いた。5の部署に書類を持っていく。
わたしが入ると露骨に顔をしかめられた。
「失礼した。あなたではなく、あなたの持っている書類に思うところがありまして」
先ほど乗り込んできた人だ。立ち上がってくれたので、メイドさんではなくその人に書類を渡す。
「同じ文官でありながら、平民だと難癖つけられましてね」
「タデウス様はそういう方ではありませんよ」
男性は目を逸らした。
「先ほどのものも、不備があったようですよ」
「だから、どこにあるんだよ!」
本気で悩んでいるんだろう、頭を掻き毟っている。
机の上で眺めていたらしい、先ほどの書類を放り出した。
見てもいいのかしら? 見ちゃえ。
あー、書く順番は決まりがあるんだろうけど、みんなバラバラだ。こういうのがまず見にくい。かくいうわたしも、その書類がどの部署のものか、一番上に書かれているはずなのに、書く場所が自由すぎて、わかりにくいったらなかった。
「あの、いらない紙とペンを貸してもらえます?」
日付、部署、名前欄は欄外に、その左側の空いたスペースを利用して本人と部長などの承諾サイン欄を作る。
その下に、議案タイトル、内容の説明。
そのために必要なもの、事。それに携わる概要的なこと。
かかる費用、予算案の何に該当しているのか。
など、元の提出書類に沿って整え、雛型を作っていく。
必要となるところに各部署のサイン欄も。罫線で仕切るだけでもだいぶ見やすくなるはず。
わたしが書き込むのを見ながら「おお」とかなんとか声が上がっている。新たに作ったサイン欄で財政省の承諾がなかった事に気づいたみたいだ。
「わたしはよく存じ上げませんが、タデウス様がこぼしてらっしゃいました。今年は寒さが長引き木材を輸入するのに時間がかかりそうだとか」
ハッとした顔をしている。
ふむ。
わたしは下に点線を書いてそこにチェック項目を書き込む。
下記の一番近いものにチェック印を入れてください
□ 書類上の不備
□ 案件そのものが認められない
□ 企画の練り込みが足りない
「メイド殿、これはなんだ?」
「全部教えてくれというのはおこがましいですが、ヒントぐらいほしくないですか? 言葉を書き込むのは相手側も忙しいですし無理ですが、最初からチェック項目を作っておけば、それくらいならチェックを入れてくれるのではないですかね? 何度も通らないときはこういったものもつけてみるとか……」
チェック印の見本も横に書いておいた。
「おおこれは」
「これは例ですが、忘れてはいけないものは組み込んで、見やすくわかりやすく雛型を作ったらいかがでしょうか?」
不備なものを何度も見る方も気の毒だし、不備しているところがわからず、ただ書き直す、清書しまくっているだけなのも気の毒だ。
ノック音がして入ってきたのはタデウス様だった。
やばっ。長居しすぎた。
「失礼します。うちのメイドがお邪魔していたようですね、すみません。リリアン」
「はい」
「あ、ボウマー様、ありがとうございます!」
「礼を言われるようなことはした覚えはないが?」
「メイド殿から教わりました。これから精進いたします」
「教わる、ねぇ」
タデウス様に睨まれる。
「はい、これからは雛型をしっかりと作り込み、お手間を取らせ……」
タデウス様がわたしが書いた雛型案に目を走らせる。しっかり見た後、ちろりと視線をわたしにむけた。
「では、失礼する。戻るぞ、リリアン」
タデウス様が無言で歩き出した。
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