第8話 本日のお仕事2 二軍と一軍
馬車が止まった。わたしは坊ちゃんに掴まらせてもらったお礼を言った。
馬車の中にいるか尋ねられて、ついていくことを選ぶ。もう、座っているのに疲れてしまった。
外はちょっと肌寒かった。何気なく腕をさすると、坊ちゃんがハンスさんに何かをいい、ハンスさんが薄手のコートを渡してくれた。パストゥール家の使用人に配られるコートだそうだ。
薄手のスプリングコートで見目も優しい生成色だ。それに触り心地がいい。伯爵家は使用人も大切にしていることが窺える。
その広い敷地には演習場が2か所あった。そのひとつの方に坊ちゃんは入っていく。
ハンスさんに尋ねると説明してくれた。
ここは騎士になる試験を受ける仮の騎士見習いが3ヶ月の間通うところで、試験前のその3ヶ月のことも合否の査定に入るそうだ。後半に入ると主に2チームに分かれて競い合うことになるらしい。ハンスさんは言葉を濁していたが、一軍が貴族で成り立っていて、二軍は平民が多い。坊ちゃんは貴族だけど自分から二軍に入ったそうだ。坊ちゃんを敵対視している伯爵家の次男と折り合いが悪いので面倒だと二軍に逃げたらしい。
わたしが坊ちゃん付きだと、まさかとは思うが嫌がらせを受けるかもしれないと思い、気を付けろという意味で教えてくれたみたいだ。
本当だ。坊ちゃんが入っていかなかった方の演習場にはメイドや侍従たちがわらわらといた。
対してこちらはわたしとハンスさん、それと小さな子供が何人かいるだけだ。
寮っぽい建物から着替えて出てきた男の子たちが、柔軟体操をして体をほぐしている。坊ちゃんも出てきた。
騎士の制服を着た人がやってくると坊ちゃんが号令をかけてみんなを集めた。騎士が先生というわけか。先生は坊ちゃんたちを走らせて、足に重りをつけて走らせて、障害物競争みたいなことをして、やっぱり走って……。いや、そりゃ基礎体力づくりは必要だろうけど長すぎない? 隣は剣を模したもので打ち合いとか始めているけど。
ただ思い返してみると、同じ走らせるでも微妙な違いがあり、鍛えるというか、その動きで効果を狙うのは違う箇所なんだろうと思えた。飽きが来ないようにか短いクールで回すという工夫もされている。……そうか、彼らはまだ……。
今度は2人1組にして、一方が手を出したらその手を握れるかどうかの手合いを始めた。手を出す方は捕まれないようにし、片方はその手を捕らえようとして、反射力を磨いているみたいだ。
終わりの時間が近づいたのか、ハンスさんが馬車から飲み物などを取ってくると言った。わたしも一緒に行こうとしたら、ここにいるように言われた。なんか、わたしが来た意味あんまりないんですけど。
ひとりで鍛錬の様子を見ていると、チラチラとこちらを見ていた子供が話しかけてきた。
「お姉ちゃんはマテュー様のメイドさん?」
「そうだよ」
茶色い髪をみつあみにした子と、その女の子よりもっと小さな男の子だ。
「お兄さんが中にいるの?」
うん、とふたりは頷いた。にこっと笑うととても可愛い。
「マテュー様と組んでいるのがお兄ちゃん!」
ああ、少し小柄な茶色い髪の彼が、この子たちのお兄さんってわけか。
「毎日、見にきているの?」
「うん。家にいるとおばさんの邪魔になるから」
女の子は淋しそうに言った。
「わたしリリアンっていうの。あなたのお名前は?」
明るい声で尋ねてみる。
「ケイトよ。弟はルトっていうの」
「ケイトにルトね、よろしくね」
ふたりと話していると大人が構ってくれるのがいいと思ったのか他の子も近寄ってきた。
お兄さんたちは走らされてばかりで、隣では剣を模したもので打ち合っているので、納得できないようだ。少し大きな子が言う。
「きっと、平民だから走らせてばっかりなんだ」
「うーん、それは違うと思うけどな」
「違うってどこがだよ?」
「平民だからって理由じゃないと思うよ」
ハンスさんがバスケットを持ってやってきた。わたしはそのひとつを今更だが持たせてもらう。
ちょうど号令がかかり、皆が先生の騎士に向かって頭を下げた。
坊ちゃんにとりあえず手拭いを渡し、先生騎士にお茶を出すべきか尋ねたところ、お願いしますと言われたので、紅茶を持っていく。制服を着た先生騎士は面食らったように見えたけれど、お礼を言って受け取り紅茶を一気に飲んだ。熱くないのかしら。
「ご馳走さまでした。ありがとうございます」
濃いブルーの髪の騎士さんは、サッと礼をして演習場から出て行った。
坊ちゃんに熱いお茶か冷たい飲み物にするか尋ねると冷たいものをご所望なので、レモン水はどうかと尋ねる。それをと言うので、コップに注ぐ。
坊ちゃんはバスケットにかけた布巾をつまみ中をのぞき込み、コップもいくつもあるのをみると
「給仕を頼む」
とわたしに告げ
「飲み物あるぞ」
とみんなに声をかけた。
わらわら男の子たちが寄ってきて、わたしは飲みたいものを尋ねて、給仕をしていく。ハンスさんも手伝ってくれた。ハンスさんが蜂蜜レモンに気づいて尋ねられたので、疲労回復にいいんですよと答えると、坊ちゃんが食べたいと言う。
どうぞと出せば輪切りのレモンを口に入れ、表情を変えることなく食べ切った。大したもんだ。蜂蜜で甘くしたと言っても酸っぱいと思うんだけどな。
男の子たちも食べたいと言ってきて、坊ちゃんが配っている。みんなすっぱい顔をしながらも食べている。
坊ちゃんのお腹がなった。料理長さんが用意してくれたお菓子を見せると、それもみんなで分け合って食べ出した。子供たちも一緒だ。マテュー坊ちゃんはやはり優しい。
「それにしてもあの騎士ひでーな。毎日走り込みばかりで」
「平民だからバカにしてるんだ」
騎士見習いの男の子たちが拗ねている。
「そうじゃないって、あのねーちゃんが言ってたよ」
あ。しまった。子供だから油断していた。メイドが考えを言うべきではないのに。
「どういうことです?」
詰め寄られ焦る。
「いえ、すみません素人考えでそう思っただけですのでご容赦ください」
「リリアン、言ってみろ」
坊ちゃんに促される。
「……たんに皆様の体が出来上がってないからだと思います」
「ど、どういうことだよ」
ひぃーーーーーっ。同年代の男の子、それに騎士になりたいだけあり体も大きくて、詰め寄られるとかなり怖い。これがおばさまやらおじさまからのお叱りだったら耐性があるのだが、同年代は絡むことがないのでからっきしなのだ。
坊ちゃんがわたしの前に手を出す。
「騎士になりたいなら女性への態度も身につけろ。女性は壊れ物だと思え」
みんなに凝視される。なんだかいたたまれない。
「大きい声を出して悪かった。それであんたが、いや、あなたが思った、おれたちの体が出来上がってないとはどういう意味なのか、教えていただけませんか?」
坊ちゃんが手を下ろす。
「……はい。貴族の騎士見習いの方はこれまでもきっと体を鍛えてきたのだと思います。だから次の段階の打ち合いに入れたのではないでしょうか? それに、やはり働き出してからも職場では身分の壁はあります。移動するにしても馬の数が人数分あるわけではありません。その時下の者が悠々歩いていられると思います? わたしはそうではないと思います。それだけではありません。荷物も貴族様より持つことになるだろうし、武器も防具もいいものを授かれるかわかりません。そんな時自分を守れるのは何なのか?ということではないでしょうか」
「あの走り込みはおれたちのため?」
あの騎士は戦いに行っても、過酷さに負けず帰ってこられるようにするには、身体がとにかく資本なんだと彼らに教えているのだと思う。短時間のローテーションで飽きさせずに取り組めるよう、工夫された優しさ付きだ。未来の部下になるかもしれない子たちのことを、見て、考えてくれていると思う。
「そっか。騎士になるってそういうことだもんな」
遠くを見る表情になる。
何かを守るということは生半可な気持ちではできない。できることではない。自分のことだけだって大変なのにそれ以上のことを請け負うことなのだから。
わたしはいつも自分のことだけで精一杯だ。だから余力がある人や、誰かのためになろうとする人を心から尊敬する。志すことがすでに凄いと思っている。恵まれた家の出でなくても、こんなに多くの人が誰かのためになりたいと思っていると知ることができて、それだけでも今日はここに来られてよかったと思った。
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