第7話 本日のお仕事1 マテュー坊ちゃん
1週間は6日だから、6×3で18日。全て指名で埋まっている。その後2週間の春の夜会だから1ヶ月休みなしだ。
休みがないのはあんまりだと夫人にかけあったが、身分が高い上、条件もかなり良く断れなかったとのこと。これはもう途中で病欠になろうと本気で思う。ただお給金はかなりいいので、仕事はすることにする。それで一巡したら、病欠にしよう。
最初の日はパストゥール家だった。門番さんは昨日と同じでわたしのことを覚えていてくれて、確かめることなく通してくれた。庭園を通り抜け玄関にたどり着き、ノッカーを叩こうとしたら扉が開いて驚いた。
顔を出したのは昨日坊ちゃんを連れにきたハンスさんだった。
「こんにちは。昨日はどうもご馳走様でした」
「いいえ」
「オッソーさん、どうぞこちらに」
と2階にあがろうとする。執事さんかメイド長さんは今日は2階にいるのかしら?
部屋に通され、お仕着せを渡される。
少し不安になって尋ねてみる。
「あの、執事さんかメイド長さんにご挨拶しておりませんがよろしいのでしょうか?」
「ええ、大丈夫です。あなたはマテュー様専属なので、坊ちゃんの身の回りのお世話をお願いします」
えーーー、なんで坊ちゃん専属? やられた。監視目的?
特にここの坊ちゃんは他の坊ちゃんたちと違うと思っていただけに、裏切られたような気持ちになった。
着替えて、ハンスさんの先導で坊ちゃんの部屋に入っていくと、机で何やら作業をしていた手をとめ立ち上がった。
挨拶をしあうとソファーに座るように促された。仕事中なので指示をもらえればと言ってはみたが、少し長くなるので座ってくださいと再度言われる。ハンスさんは出て行った。
「来てくださって、ありがとうございます」
「仕事ですから」
わたしはにっこり微笑んでみせた。
坊ちゃんは一瞬表情をかたくし、わたしをじっと見た。
「では、仕事の話をしましょう」
坊ちゃんは静かに話し出した。
「ご存知だと思いますが、あなたには夜会まで俺たちについてもらいます。そこで人となりを見てください」
は?
「……それはどういう意味でしょうか?」
「俺たちは令嬢に危害を加えるつもりはありません。傷つけるつもりも。でもあそこであの話だけ聞いたのではあなたが俺たちを信じられないのもわかります。ですから夜会まで俺たちを見て、知って、あなたの考えでご令嬢に接してくださればいいのです」
「なぜ、そのようなことを?」
「言い訳に聞こえるでしょうが、俺たちは令嬢に選んでもらえれば令嬢を尊重するつもりです。確かにひとりの令嬢に5人の男が名乗りをあげるのですから、令嬢も困惑されるでしょうし。……女性に憤慨されることをしているでしょう。けれども俺たちが真剣で真摯に向き合うことはあなたにわかっていただきたいのです」
そうか外枠から令嬢にこれは怪しくないことだと伝えたいわけね。……そのためにわたしを懐柔するんだ。
「あなたは罪悪感を持つ必要はありません」
え?
「あなたはただ夜会で令嬢の身の回りの世話をしてくださればいいのです。心を痛める必要はありません」
その台詞の意味はわたしを気遣ってのことに聞こえる。令嬢にうまく橋渡しをして欲しいからじゃなくて?
ハッとする。まずい、さっそく懐柔されそうになっていた。絆されそうになっていた。危険だ、この坊ちゃん。
「夜会まであなたを持ち回りで雇うことを決めたのは殿下です。俺たちには人となりを見せて、令嬢に売り込んでもらえるように仲良くなれということでしたが、恐らくあなたは脅されてやることなのだから罪悪感を持つ必要がないと思わせるために考えられたのだと思います。タデウスはあなたに無駄な怪我や病気をして欲しくないしなと意味のわからないことを言っていましたが」
坊ちゃんはそこでにこりと笑った。ははは、タデウス様お見通しってわけね。
「ああ、そろそろ時間だ。これから騎士見習いの鍛錬所に向かいます。オッソー嬢にも来ていただきます。馬車の中にいてくださっても、外にいてくださっても構いません。ただ外には座るようなところはありません。質問はありますか?」
「パストゥール様、そのわたしは鍛錬所に行って何をすればいいのでしょう?」
「マテュー」
「はい?」
「マテューとお呼びください」
まぁ、この家みんなパストゥール様だもんね。
「かしこまりました。マテュー様、それでわたしは何をしたらいいのでしょうか?」
お坊ちゃんは微笑む。
「そうですね。……汗をかきますので手拭いの用意と、喉が乾くのでお茶をお願いします。飲み物のことはお任せいたします」
「マテュー様、メイドごときに丁寧な言葉遣いは不要です」
坊ちゃんは眉間にシワを寄せる。少し考え
「……メイドとして来ていただいていますが、オッソー嬢は調停者です。敬意を払いたいのです」
「ちょ、調停者? おやめ下さい。わたしはただのメイドです」
「令嬢のために、令嬢が傷ついたり不利になることがないように、あなたには目を光らせていて欲しいのです。ですから、メイドとしてだけではなく俺たちをしっかり監視してください」
ええ? わたしが監視する方なの?
坊ちゃんは、ふっと笑みをもらす。それがあまりにも素敵だったから思わずどきっとしてしまう。
「そういう表情もされるんですね。俺たちにはどんな意見をしてくださっても構いません。メイドから外れていると思わず、どんどんご意見ください」
坊ちゃんの様子から本気でメイドとしてだけでなくわたしを尊重してくれようとしているのがわかった。平民のメイドなのに意見していいなんて、なかなか天晴じゃないか。
「わかりました。でも、その、オッソー嬢はおやめ下さい。わたしは平民ですのであらぬ誤解を招いてしまいます。ただのオッソーとお呼びください」
度が過ぎていなければ丁寧な言葉遣いをする人はいるからいいが、オッソー嬢なんて他の人たちが聞いたらわたしも貴族だと思われちゃう。
「……それではリリアン嬢とお呼びしても?」
どうしてそうなる!?
「いいえ、オッソーとお呼びください」
「では、リリアンと呼ばせていただきますね」
ダメだ、この人。意見しろって言っておいて、聞いているようで、自分のいいように話を持っていく人みたいだ。
まぁ「嬢」をつけるより、名前呼びの方がましかもしれない。呼び方については諦めることにする。
わたしは飲み物を用意するためと断ってから、キッチンへと向かう。
部屋を出るとハンスさんが控えていた。
飲み物を取りに行くところだというと、案内してくれるという。一応昨日行っているのでわかる旨はいってみたのだが。
お湯のポット、お茶っぱ、ポット、そして冷たいお茶、レモン水、水と各種揃えられていた。レモンと蜂蜜もみかけて目が離せないでいると、使っていいと言われたので、蜂蜜レモンを仕込んだ。それにお茶請けのお菓子もたっぷりとあった。鍛錬の後はお腹が空くのねと昨日お腹を鳴らして恥ずかしそうにしていた坊ちゃんを思い出して口の端が上がってしまう。大きなバスケット2つになる。その両方をハンスさんが持ってくれた。持ちますと言ってみたが拒否された。そのために控えていたみたいだ。それらを馬車に詰め込む。
馬車かーー。馬車、苦手なんだよな。単発メイドの仕事だとどこかに付き添いで行くってこともないしね。何せ現代は道が整っていない。王都だからレンガが敷かれているところもあるけれど、それでもガタガタだ。その上を馬車が走るんだもの、揺れが半端なく酷い。そして個人馬車は捕まるところがない! ひとりで乗る分には大きく足を前後に開いて置き、あともう一方に手をつき、3方向を固定して踏ん張り衝撃に耐えるのだが、主と一緒となるとそういうわけにもいかない。
ため息しか出なかったが馬車に乗ってわたしは感動した。さすが伯爵家の馬車だ、揺れはするけど衝撃が全然違う。うわー、お金ってこういうところでも力を振るうものなのねー。
「あの、リリアン」
坊ちゃんがわたしに話しかけると、ハンスさんが目を見開いて驚いている。
「隣に座ってください。そして、俺に掴まってください」
「いえ、その必要はありません」
坊ちゃんはこめかみを押さえた。
「揺れるたびに落ちそうになるのを見ているのが疲れるんです」
それはあなたの家のお仕着せのせいです。そう、このメイド服、裏地がツルツルで滑りやすいのだ。
「俺に捕まるのが嫌だとおっしゃるなら、強制的に抱え込ませていただくこともできますが」
この人、メイドに対しても気を配る人なのね。メイドさんたちから評判のいい理由がわかる気がする。抱え込まれるのは嫌なので、わたしは席を移動した。腕に手をかけさせてもらう。これでずいぶんずり落ちなくなった。
「すみません、揺れが酷くて」
坊ちゃんが謝ってきた。
「いいえ、とんでもないです。さすが伯爵家の馬車ですね。いつもより全然衝撃が少ないです」
「……失礼ですが、いつもその……衝撃のある馬車で耐えられているんですか?」
「ああ、こちらの服の裏地がツルツルで滑るのと、いつもは少々はしたないですが、前後に足を開いて、手は横について3方向で力を拮抗させるんです。そうすると多少の衝撃は乗り越えられます」
ふっとハンスさんが吹いた。
「……お仕事にいかれる時はほとんど馬車ですか?」
「いえ、歩いてですけど?」
馬車しか使わない人からすると不思議なのかしら?
「明日はタデウスの屋敷ですよね? 家からは遠いのでは?」
確か宰相の家はお城まで行かないから1時間以内だと思う。それより問題は魔術師宅と司祭宅だ。お城より向こう側なんだよね。2時間は歩くことになる。
「1時間以内ですので、大したことはないです」
「あ、歩くつもりなのか?」
「はい」
坊ちゃんは何か考える風だ。
「それより遠い、テオやラモンのところはどうされるんですか?」
「歩きますけど?」
坊ちゃんが固まる。貴族からしたら考えられないかもしれないけど、平民には普通なことだ。
「……馬は乗れますか?」
はい?
「いえ、乗れません」
「そうですか……。俺は馬は得意なんです。人を乗せることもあります」
「へー、そうなんですねぇ」
相槌を打ったときに、激しく揺れて腕を強く握ってしまった。
「す、すみません」
「いえ」
坊ちゃんはニコニコしている。ハンスさんは窓から見える景色を楽しんで?いるみたいだ。窓に映り込んだ顔はなんとなく叩きたくなるぐらいニヤニヤしていた。
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