狂ったナスビ

ジャンパーてっつん

狂ったナスビ

鼻のひん曲がった男が別れをきりだしてきたのは付き合ってから一年がたったころだった。

普段は、彼女の尻に敷かれてばかりいた男が思わぬタイミングで反旗を翻してきたのだ。


「よ、よびだして、ご、ごめん。つ、つたえたいことがあって。」

男の声は通常どもっていて聞き取りづらい。


「お、おれ、いち、一花、と、別れたい、いと、おも、思ってる。」

嫌な顔をしながら女は口を開いた。


「は?なんていったの。聞こえないから」

きつい言葉に、男は負けてたまるものかとぐっとにらみ返す。


「しょ、正直、い、一花と過ごした、ひ、日々は、俺にとっては、ま、まるで存在価値を、まるっ、まるっ、否定されたようなっ、はぁ。はぁ。く、屈辱的な、日々だった。んだ、だから、別れてほしいっ。」

反抗的な目でにらみ返した割には、声はますますどもり、元来緊張しい性格もあってか言葉の端々に男の興奮した息遣いが混じった。


「だからさぁ。私の話きいてた?聞こえないから。お前の言葉。別れてほしいから何なの?」


「き、きこえ、え、て、はぁ。はぁ。る、るじゃ、ないか。」


鼻のひん曲がった男は一花を再びぐっとと睨む。


あまりのどもり声ゆえ常人には聞き取り不可能な彼の言葉をこれから読者諸君には、通常の字体で記すこととしよう。


男はこう続けた。

「オレは一花といてつらい。今までに一花の笑っている顔なんか見たことがないし、付き合っているのに恋人らしいと言えることなんて一つもなかった。それどころか。オレがちょっとでも動こうとしただけで、『じっとしてろ。カス』だの『調子に乗るなゴミ』はいつものこと。おまけに『お前みたいなブタと私が付き合っているのはそのひん曲がった鼻があるから。』なんて訳の分からないことを言ったりする。これって彼女彼氏じゃなくていじめだよね。オレはこんなに一花のことを愛しているのに、君のそんな態度にはもう理解が追いつかないよ。」


徐々に熱をましてきた男の言葉はもはやどもっているどころか、この世の言語とは別の何かである。

一花の耳に聞こえている音はこうだ。


「だbさsだgsbcsかjdfなkっ▽ぁdshふぇfvhs☆んdsdそあはsj」


男は続けた。

「確かに、オレは太っているし何のとりえもないブタかもしれない。友達もいなければ社会にはまともになじむことが出来ず、親のすねをかじっては甘え、底辺を生きている。でも。それでも。こんなきれいな女の子とオレが付き合えたのは自分が少しでも変わろうと思ったからだって。前に進もうとしたから、そんなオレの成長を見てくれていた神様が、頑張れよと励ましの形で、君というプレゼントをオレの新しい人生にそっと、あたえてくれたんだって思った。でも、ふたを開けてみればどうだ。君はただのひん曲がった鼻が性癖のド変態女じゃないか!あぁそうさ!俺は鼻がひん曲がってる。まるでナスビみたいだ。腐って異臭を放つブリっとしたナスを、ぐにゃりと潰し、身が中から垂れ流れたままに干からびさせたような立派なナスですよ。」


実際の唸り声。

「さだだいrげうふsがだlkvrbぁd、、あsだsぢさdbうぇ、だsだskんjdなsk;dcナスですyo。」


幸運にもナスという言葉だけ聞き取れた一花はにやりとした。


「毎日毎日つねっては緩ませつねっては緩ませ、これ以上にひんまがらせたいのか。それともこのひん曲がったナスが間違っても、もとの形にもどらないようにひんまがり具合を調整しているのか。ある時は鼻にオリーブを塗られたり、ある時は長いことつままれて窒息死させられそうになったり。一花の家に行くときはいつも鼻以外を覆った黒タイツのスーツを着せられていたり。さんざんな目にあってきた。それでもオレが絶えられたのは暗闇の中で、オレの鼻をかき乱す一花を想像してはこんなオレでも必要とされていると自分自身に言い聞かせてきたからだ。最初はこんな変態まがいなこともちょっと変わった一花のキュートな一面なんだと思っていた。終わればスーツは脱がせてもらえるし、ほんの一瞬だけど、帰り際に、先ほどの狂ったように鼻をつね回す狂人とはあまりにも程遠い見た目をした繊細で守ってあげたくなるような、かわいらしい一花の顔を拝められたひと時は、もうずいぶんとつめたい雨風に吹き曝され、着火部分の糸がすりきれては今ではもう使い物にならないズタズタの心のろうそくにポッと灯がともったような温かい気持ちになれた。またここに来たいと思えたんだ。だがしかし、もうオレは耐えられない。それもこれも日に日に鼻がひん曲がり進んでいるからだ。別れよう」


「csdfはsdf....別かれよう。」


「わかったわ。」


男の顔に安堵の表情が浮かぶ。


と思ったのは束の間。

女は男のナスビをさっとつかみ爪に思いっきりの力を込めて、顔から引きはがした。

うぎゃー-。

男の悲鳴があたりに響く。


何事かと駆け寄ってきた人たちの目には、鼻のない男と、血だらけのナスビを手にしたかわいらしい少女がうつっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

狂ったナスビ ジャンパーてっつん @Tomorrow1102

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ