1-2 マネージャー八上、推しとの別れ


ここは現実世界。

御茶ノ水駅近くにある

Vチューバーグループ『フェアリーテイル』の事務所だった。


シャラの卒業配信が終わり、時間は二十三時を回っている。


貸事務所の一角には防音壁などで覆われた

手作り感のある防音室があった。

その中で、


「終わっちゃったな」


シャラと同じ声をした女性が、ヘッドホンを取り、

映画を見終えたような声でつぶやいた。


寂しそうな目で配信ソフトの画面と、

2Dモデルを動かすアプリの入ったスマホを見る。


パソコンとつながっているアプリにはまだシャラが映っていた。

こちらも寂しそうな動きだ。


スマホを操作してアプリを閉じた。

いつもどおりスマホを持ち帰るため、

パソコンからのコードを外してバッグの中へ。


そこで防音室のドアがゆっくり開いた。

女性はドアの方に目を向ける。


「お疲れ様、シャラ……

いやもうソノミンって呼んだほうがいいか」


目が真っ赤になったスーツの男性が、

女性へねぎらいの言葉と訂正を口にした。

自分の言った言葉でウルッと来たようでハンカチで目元を覆う。


「いいよ八上さん。

心の整理がつくまでは、マネージャーって呼ぶよ」


シャラ――ソノミンは優しく笑いながら声をかけてくれた。

八上はなんとか前が見える程度に涙を拭いてソノミンに向き合う。


「すまない……。

推しの引退も担当Vの卒業も慣れないものだな」


「もしかして、

シャラの卒業配信中もずっと泣いてた?」


「ああ。だが見なきゃって思ってたし、

受け入れるって決めたし、

親分の無期限スリープだって俺は受け入れた。

リッカだってこれから伸びる。

モトコの企画だって叶えてあげたいし、

アスナのスケジュール管理だってしないとだし、

ソラが酒を飲みすぎないように注意してやらんといけない」


「シャラがいなくても大忙しだね」


「ああ。割とガチで悲しんでられない。

そもそもこれでVの時代が終わるわけじゃない。

親分がスリープを解除したときに、

バーチャルユーチューバーの業界が

もっと盛り上がっているようにしたいんだ」


八上は口元に力を入れてキッとした決意の顔を作ってみせた。

ソノミンは安心したように穏やかに口元を緩ませる。


「期待してますよ」


顔を固くして強くうなずいて見せたが、

八上の頭の中には失望感があった。


バーチャルユーチューバーなんて言っても

生身の人間がすることだった。


Vチューバーが世に認知されたバーチャル元年、

リアルタレントのようなトラブルが起こらない存在が出たと

自分たちは大きく盛り上がった。


これで推しを見限ったり、

失ったりするような辛い出来事を恐れることはなくなる。


だが魂は現実にある。


だからどうしても現実の出来事に影響されてしまう。

Vチューバーも現実と同じトラブルを起こし、

それを理由に活動ができなくなることもあった。

シャラがまさにそうだった。


八上は、シャラが卒業をする理由について、

不安の声を隠さずに聞く。


「俺よりもソノミンのほうが心配だ。

実家に帰って治療に専念するんだよな?」


「うん、病院通いながら東京で一人暮らしは大変だし、

実家の近くの病院で診てもらえることになったから。

でもいきなり死んじゃったりする病気じゃないから安心して。

『推しは生きているだけでえらい』んだから

これからもちゃんと生きて褒めて貰わないと」


当事者なのにソノミンはノーテンキに冗談みたいにしゃべった。

シャラが配信中にする語りとまるで違いはない。


「分かってるよ。

シャラはこういうとき嘘をつかないってのは俺がよく知ってる」


「うんうん。

遅くなっちゃうからそろそろ帰り支度しないと」


八上はうなずいて、

ソノミンのために防音室のドアを大きく開けた。



ソノミンの契約にかかわる

めんどくさい事務手続きは予め済ませており、

あとは帰るだけとなっていた。


「タクシーがもうすぐ来る。

領収書とかお釣りはいいから、

これで帰ってほしい」


ビルの入口で八上は封筒を差し出した。

封筒には『推しへの最後の投げ銭』と書かれている。


「投げ銭ありがと」


ソノミンは配信でシャラが言うような声で言った。

ソノミンは別に演技をしているわけでもなく、

素でこういうひとだ。


分かっているのに、八上の涙腺が揺さぶられる。


「そうだこれも返さないと」


思い出したとソノミンは

ガサゴソとバッグに手を入れた。

出てきたのは配信に使っていたスマホ。

シャラがデビューしたときには最新機種だった。


「小さい事務所だからね。使い回すんだよね?」


「ああ……。新人が入ればな」


八上は重い声で答えた。

スマホを受け取ろうと手を伸ばすが、

まるで世界を壊す大切な道具を前にしているかのようにためらう。


「Vの活動にしか使ってないから

すぐに初期化しても大丈夫だよ。

入ってても多分、

ソラちゃんに送った雲の写真くらいだよ」


安心させるようにソノミンは声をかけてくれた。

それでも八上の手の動きは重い。


(俺がこれを受け取ったらシャラが本当に終わる。

それはシャラのV人生の終わりだ。

ソノミンの人生は続いても、

シャラはもう動かないし喋らない。

もしソノミンにもたせておけば……)


と考えたところで、

バトンを受け取るようにスマホを手にとった。


(違う。

バーチャルユーチューバー

『白雪・シャラ・シャーロン』の物語はこれで終わるんだ。

俺が感じたVの可能性がこれで閉じるわけじゃない。

次に繋がないと)


自分に言い聞かせて、

ソノミンの手からスマホを離した。


これでバーチャルユーチューバー

『白雪・シャラ・シャーロン』は

ソノ・ミンというひとりの女性に戻った。


(現実の影響を受けないVチューバーなんて存在しない。

俺がVチューバーに期待していた完璧性も永遠性もないんだ。認めろ)


そう思うとスマホを持つ手に力が入った。

目線がスマホの黒い画面に行く。

そこには現実を受け入れないガキのような自分の顔がある。


「ありがとう、八上さん。

なにかあったら連絡してね。

相談でも愚痴でも嬉しいことでも聞くからね」


ソノミンは子供の成功を信じていた母のような顔で、

八上を見つめていた。


八上の目から見ても、

そこにはもうシャラのアバターは重ならない。


ちょうどそこにタクシーがやってきた。

信頼できる会社を指定しているので、

ソノミンをここに載せたらもう心配することはない。


「気を使わせてばっかりだったな。でもありがとう」


ソノミンがタクシーに載ると、

タクシーはあっさりと走っていった。


八上はタクシーがすぐに見えなくなってしまったので、

手を振ったりすることもできず、

とほとほと事務所へ戻る。


自分のパソコンの画面にはシャラの配信が残っていた。

『この配信は終了しました』

と出ているのにまだまだひとが残ってコメントをしている。


八上はデスクの椅子に座り、

自分のパソコンにシャラのスマホを接続した。


「女々しい行為だな」


とつぶやいてデスクにふさると、

そのまま眠りについた。



朝起きると八上は、

自分が事務所で寝ていたことに気がついた。


こんな時間では家に帰る気にはなれず、

自動スリープしていたパソコンを起こす。


シャラの配信後には、

なぜか十三人も残っていた。

八上は顔をあげてそれを見ると、

自虐的に笑ってつぶやく。


「俺含めて円卓の騎士かよ。

小人なんだから七人だろ……」


少し元気が出た八上は別タブでツイッターを開いた。

シャラの配信実況と感想用のタグ

『#シャラの小人さんたち』で検索する。


「ちゃんとシャラを見送れた」

「シャラらしいのほほんとした卒業配信だった」

「泣くかと思ったら笑って配信を見ていた」

「一生シャラの小人でいるわ」

「永遠はやっぱないけど、物語は終わってこそだな」


 という感想の中に、

「泣かないで追われたのすごい(なおマネとリッカは」


「うるせーよ」


八上は思わず言ってしまった。

立場上ツイートしたひとにリアクションできないので

これしかできなかったが、

八上を笑わせるには十分だった。


次に見たのはファンアートタグ『#シャラの魔法の鏡』だ。

シャラがこれがいいと決めたときも小人たちから

『鏡は魔女のほうだろ』総ツッコミで面白かったのを思い出し、

八上はニヤニヤとする。


ファンアートは当然卒業祝いや、

思い出振り返りのようなものが多かった。


「病気で引退っていうのは明かしてないからなぁ。

おかげで明るい絵が多いから、

シャラが見たら卒業アルバムみたいだと笑うかもな。

この絵も『いいね』されることはないんだろうが」


八上は寂しげにつぶやいて、

シャラのスマホを見た。

当然スマホは動いた形跡がない。

申し訳ないと感じながら八上はツイッターを閉じた。


代わりに別タブに放置されていた

シャラの卒業配信がリログされる。

すぐにそれも閉じた。


八上はようやくパソコンの前から動いた。

洗面所で顔を洗って戻ってくる。


「仕事しよう。

シャラが引退してもVは続くんだ。

親分が、シャラが切り開いた道を、

もっと伸ばさないとな」


つぶやいてまずはメールを開いた。

そこには同僚のリッカからメールが目にとまる。


メールには、シャラ卒業配信の感想が爆買いレシートのごとく添付されていた。

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