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半世紀と少し前、魔因子によって世界は狂った。実に一時間ほどだったらしい。世界人口の大凡、四割程度の人間たちが魔因子によって魔染生命体と呼ばれる生物に変異。
同種のものは一つもなく、全てが違う見た目。さながら小説に出てきそうな醜い化け物たちだった。
見た目だけではなく内面も醜く、欲望を抑えるタガが外れていた。常にお互いを殺し合い、喰らい合い、犯し合う、悍ましい何か。
それでも最初に変異した魔染生命体はまだマシだった。なぜなら人間たちがなんとか捕獲した魔染生命体たちはDNA上、全てが別個体。当時の人間たちが様々な実験を施しても魔染生命体が新しい個体を産むことはなかった。
魔因子を極力浴びず、これ以上魔染生命体に変異する者を減らす。各国はそこに兆しを見出し、連携しながら一進一退だったが魔染生命体を少しずつ駆逐していくことに成功する。
一度は崩壊しかけたが世界だが、数年で秩序ある世界に戻り、一旦は平穏を取り戻した。
――それがダメだった。安寧を求めてはいけなかった。常に闘争を繰り広げ、根絶させる必要があった。人間たちは減っていく魔染生命体を可哀想なものとして認識するようになった。
今では魔人と呼ばれる存在の出現。瞬く間に周辺各国を滅ぼし、自分達の国を作り上げた。最初の魔人の国は現在最も強大な国、
そこから数年も経たず、魔国と魔染生命体を相手にした人間の国は片手で数えられるぐらいだけに減った。
奇しくも魔人たちは見た目だけではなく、精神面も人間と似ているようだった。ただ個の強さが尋常じゃないということはこの際、置いとこう。
そう、魔人たちはわかっていなかった。魔人たちと限りなく似ている人間たちをわかりすぎていた。だから人間を見くびりすぎた。
だから人間という減っていく種族へ、魔人たちは哀れな感情を抱くようになった。
――魔人たちは中途半端に人間を追い詰めるのではなく、滅ぼすべき敵だと認識する必要があった。
窮鼠猫を噛む。かつて存在したある国のある言葉。もはや、かつてあった人間の国は全て滅んだが、そんなことは重要ではない。
人間たちの生存本能は振り切り狂ってしまった。自分達へ直接魔因子を注入。かつて国同士で禁じた人間への人体実験だ。熱狂は止まることを知らず、自分達の国で魔染生命体が暴れようとも誰も気に留めない。むしろ賛成とばかりに人々は魔染生命体を犯し、犯され、喰らい、喰われる。魔人が流入したとしても、誰も疑問視せず嬉々として同じことを繰り返す。
そんなある日、奇跡的に魔染生命体と人間の子が産まれた。しかし正常な人間はほんの一握り、大半は狂気に堕ちていた。もはや、どうでもよかったんだろう。ひたすらかき混ぜ続け、何代も何代にも渡って蠱毒のように煮詰めていく。
新人類の誕生だ。それは魔染生命体と人間の子と更に魔人を融合させた存在。狂った非人道的実験の産物。まさしく新人類とも言える。
魔人と同等の強さを持ち、ありとあらゆる生物と交配できる新人類。
一人目の新人類は強かった。いくつもの新興魔国を滅ぼし、人間の領土を取り戻していく。産まれた子は正義感を有していた。
二人目の新人類は逞しかった。押し寄せる魔人たちから何度ボロ雑巾にされようとも、守り続ける。産んだ子も同様に守り手になっていく。
――ここで終わらせればよかった。ここで魔人たちと同盟でも不戦でも条約でも組めばよかった。人間の欲は終わらない。全てを手に入れるまで立ち止まれない。
三人目の新人類。彼あるいは彼女は『悍ましい』という言葉一つに凝縮される。産声を上げて数時間。一人目の新人類と二人目の新人類を無惨にも殺し喰らった。
そのままで飽き足らず、新興魔国も人間の国も関係なしに暴れ回った。
ようやく目が覚めた人間たちも、時すでに遅し。めちゃくちゃになった国土。ほとんどが死に絶え絶滅が危ぶまれるほど減少した人間。人間たちは比較的近い位置にある魔国に膝を曲げ、地に額をつけ同盟を申し込む。
魔国も同様に三人目の新人類との戦いに疲弊しており、同盟は無事結ばれた。
「その一つが姿形を変え、現在に至る私たちが今住んでいる場所です。ここまでが四百年前の出来事です。みんな質問はありますか?」
…………う、うん。
面白い小説だね。作者は誰ですか?
周りを見れば、みんな気だるそうな空気で聞いている。
……あのぉ、せ、先生?
俺、まだ全然これっぽっちも理解できてません。
そんな質問をできるわけもなく。先生は話を続けていく。
はぁ……渋々、学校に通ってるけどさぁ、全然わっかんねぇよ。
結局魔人って何よ。魔力がある人間ってこと?
ファンタジー要素強すぎんよ。
これ以上は俺の脳がパァーンしそうになる。防衛本能から俺の愛くるしい耳がへたり込んだ。
ちょん、ちょんちょんっ。
ん? 誰かが後ろからペンを刺してきた。チラッ。
「ふふ。ササキ君、全く理解できてないでしょ?」
白い絹のような肌にサラサラした長い金色の髪。ぴょこんと生えた耳はどうみてもファンタジー世界定番のエルフさん。
セーラー服を来ている姿は違和感が凄まじいが、みんな制服を着ているし、そんなもんなんだろう。知らんが。
「わ、わかってるし」
ちょっと声が震えたけど、気のせいだ。俺が理解できていなくても俺の素晴らしい脳はわかっているはず。
…………多分。
「ゴホンッ」
先生が俺とエルフさんと会話していることに気づき、わざとらしい咳を立てた。急いで視線を戻し、先生の話を左から右に流していく。
あ、だめだ。きちんと脳に入れないと!
ふんがぁッ!
キーン、コン、カーン、コーン。
お、俺、頑張ったけど……だめだったよ。
四百年前以降の話は一層複雑すぎて、全く頭に入らなかった。
脳から蒸気が出そうになっていたため、机に突っ伏して脳を少しでも冷却させる。
「ほら、ササキ君。授業終わったよ?」
チラッ。エルフさんが俺の横にいた。
「……知ってる」
そう返せばクスクス笑うエルフさん。そのたびにチラチラ見える太ももが悩ましい。
ぐぅぅ、相手は子供だ。
耐えろ、耐えるんだ俺!
子ども相手に劣情を抱くなんて大人として失格だ!!
なんとか視線を逸らせば、俺の尻尾がワタワタと左右に揺れる。めっ!
「ふふ。私、この後部活あるけど、ササキ君はどの部活入るか決めたの?」
「いや、入らん」
「ぶぅ……一緒に部活やりたかったのになぁ」
ちょっと悲しそうな顔をするエルフさん。思わず悪いことをしてしまったと思いきや、エルフさんはすぐにまた笑う。
「嘘だよ。ササキ君忙しいもんね? 私、もう部活に行くから気をつけてね」
「おう。部活頑張れよ、リン」
「ありがとう。また明日〜」
エルフさんもとい、リンはそのまま教室から去っていった。
「ふぅ……」
少し経ってから首をポキポキさせ、教材を鞄に放り込み立ち上がる。窓から外を見れば、部活をしている学生たち。
……剣を振り回したり、火の球やら電気を放出しているけど、多分俺の見間違いだろう。うん。
最初は部活って何かの隠語かと思ったが、今の物騒な時代は鍛錬や戦う訓練を部活と言うらしい。俺の知っている部活と違いすぎて、脳が飛んでいきそうになったが、俺はこれからやることがある。
脳を頭に縛り付け、学校を後にした。
ーリンー
ぽた……ぽた…………
一定のリズムで滴が落ちていく。それ以外に聞こえる音はない。
違う……訂正しないと、私の荒い息遣いも一緒に反響して聞こえてくる。
わからない。
覚えていない。
頭がクラクラする……私はいつからここに?
混濁する意識と落ちそうな視界。体はがんじがらめに縛り付けられ動けない。なんとか眼球だけでも動かし、消えそうな意識を繋ぎ止める。
「ふぅ……ふぅ……」
少しずつ思い出す。
そう、いつもと同じように学園へ行き、転校してきたばかりのササキ君に絡み、部活へ行った。その後は……その後は……部活を終え、友人と挨拶を交わし……そうだ。影に襲われたんだった。
私は何をしているんだろうか。先生から最近誘拐が多いと聞かされていたじゃないか。いや、学園で一、二争うほどの力を持っていたと思っていたゆえの油断かもしれない。
惨めだ。
家族に、兄に、合わせる顔がない。
由緒正しい家に生まれたのに誘拐されるなんて。
カツ……カツ……
滴と私の呼吸以外に新しい音が聞こえてきた。
体が眠ろうと意識を落とそうしてくるが、根性だけで瞼を開け続ける。
「ほう? これは確か、森人という種類か? かなり難しかったろうによく捕まえられたな」
「光栄です。同志ラスング」
脳の半分以上が休眠状態に落ちたのか、ほとんどの言葉が頭に入ってこない。なんとか目の前で喋っている人を見るが、黒尽くめだということしかわからない。
「開けろ」
ガッシャン、と牢屋が開けられたが私は動けない。
彼らがこれからしようととすることを見るだけしかできない。
「ふぅむ。かなり強めの魔眠剤を投与したのか?」
「そうです。同志ラスング」
「そうか……まぁ、森人ならしょうがない、か。次からはきちんと私の元にも連絡しろ。種類によってはそのまま死に至ることもある」
「申し訳ござません。同志ラスング」
閉じようとする瞼を無理やりひっぱり上げられた。
覗き込んでくる相手を睨む。
二つの漆黒の眼球。
「ぐッ」
脳がそれを認識する前に髪を思いっきり掴まれ、首に注射器を刺された。
「がァァァ!!!!」
注入されていくと、一瞬にして心臓が爆発するほど暴れ回り、両手両足が燃えるような熱さ。
だというのにまるで極寒の大地にいるような寒気に襲われる。
尋常じゃない震えに襲われ、私はカタカタ震える。
注入された影響なのか、目の前にいる人物のせいなのか、もはや何もわからない。
わかりたくない。
この男の存在が何かわかったが、どんどん……どんどん…………意識が…………かき消え………………遠のいてい………………く……………………
「ぷはぁ、はぁ!! はぁ!!」
自分の舌を噛みちぎる勢いでやれば、なんとか意識を取り戻す。
口端から血を垂らしながら精一杯睨みつける。
「ほぉ? 面白い小娘だ。しかし、もう足らずでお前も我らと同じく昇堕するだろう」
昇堕? 何を言っているの? 聞いたこともない単語。
「げほォッッ、げほォッ!」
突如、むせかえる何かをそのまま吐き出せば、口から大量の黒い液体。
「面白い。さすがあれらの子孫ってところか? 無様にも抗おうとするなんてな。それによりむしろ苦痛が増えるたけだろうに。まぁ、数日もせずにお前も完全に昇堕する。さすれば、我らの****も喜ぶだろう」
…………今、何を言ったの? 聞いたこともない言葉が耳に入った瞬間、気持ち悪い感覚が身体に走った。
わかりたくないのに、胸には気持ち悪い感情だけが溢れる。
それを知りたくないのに、私の脳はそれが『憎悪』だとうるさく訴えてくる。
キィッと強く奥歯が割れるほど食い縛る。
私はそんな感情は認めない。
私は暗雲立ち込める世界を晴らした新人類の末裔の一人。
私を嘲笑うかのように身体の中は暴れ回り、あともう少しでそれが這い出ようとしたその時。
「ア? ナ……デ……リ……ガ……コ……ニ……イ……ル?」
うるさい鼓動のせいだろう。耳がおかしくなったせいで、いつもより途切れ途切れですごい低い声のササキ君の声が聞こえた。
「ササぁ……キぃ……くぅ…………んッッ!?」
視線を向けた瞬間、後悔した。
たちまち、ぶわぁぁっと全身の穴という穴から汗が噴き出る。
飛んでくる悍ましい魔力が私を襲っていた何かを殺す。
今いる場所はかなり大きな空間だ。だというのに、それがいるだけでとてつもない圧迫感。黒い体毛は美しくもあったが、悍ましいほどの内包している魔力量。
私たち新人類の子孫がいくら魔力に適応した種族だとしても、その荒れ狂う悍ましい魔力に呼吸が苦しくなる。
なんとか息を整えようとしながらそれの身体を見れば、腕も足もまるで大木の幹のようだった。
それが口を小さく動かすたびに、悍ましい魔力が吹き荒れる。
それはかつて狂気に堕ちた人間たちが作り上げた三人目の新人類の系譜。
全てを憎悪し、全てに怨嗟を吐く、狂気の塊。
私たち新人類から枝分かれした悍ましき種族。
最初の
憎悪で染め上げられた漆黒の両目。それは私に何かを注入したと人物と同じ…………
世界の絶対悪。
魔族だ。
くっせぇ………
うるせぇから仕方なく来てみたけどよぉ。なんで、こいつらこんな臭いところを拠点にしてるの?
バカなの? アホなの?
下水道に入って数分。俺のキュートなお鼻ちゃんもひん曲がりそうだよ。
というか、もうひん曲がってすごい形だよ。
およ? 人間さんだ。やっほー!
…………鬱陶しいから、それやめてくれない?
挨拶したのになぜか人間たちは黒い球だったり黒い光線を放ってきた。パーティーグッズなのか、痛くないけど半端なくイライラする。
とりあえず、蠅相手に手のひらを左右に振れば、それらは壁へ飛んでいく。
うーん。人間っぽい見た目だけど、なんかキモいんだよなぁ。
どうなってんのそれ?
人間たちは全員が黒いローブを纏っていた。そして、チラチラ見える目は墨につけたように真っ黒。
モフモフの俺が言える立場じゃないけどさ。
目がすごいことになってるよ? もしかして不眠すぎて目が黒くなった感じ?
優しくもう一度挨拶したが、一層喚き始める人間たち。しかもさっきよりちょっと強くなってチクチクする。
い、良い加減にしてくれない?
仏の俺だって流石にプンプン丸になるよ?
むしゃむしゃ。
案外うまいな。
え? お前、ついに人間を喰うようになったのか、だって?
そんなわけあるか!
人間の俺がカニバリズムなんてするかよ!
寛大な俺もしつこさの前には堪忍袋の緒が切れたからね。優しく人間を鷲掴みにしてローブを外したら、どうみても悪魔的なやつだったんだよ。
お目目が六つあって顔から無数の指が生えてたんだぜ? 学校にいたやつらも獣耳とかエルフっぽい人たちはいたが、ここまで悍ましくない。
最近教えてもらった魔力? を見ても、人間が放ってるやつじゃなかったし。
絶対に人間じゃないね。俺にはわかる。人間の俺は直感で理解した。どやっ。
……それでも人間と同じ二足歩行を喰うのはキモいって?
うるせぇ!
掴んでたらいきなり身体が膨張して外にいる化け物になったんだから、もう関係ねぇだろ!
人間じゃなきゃセーフだ。セーフ!
むしゃむしゃ。
スナック感覚でボリボリむしゃりながら下水道を歩いていると、一気に開けた空間に到着。
牢屋っぽい前には俺が喰ってる人間……じゃない、悪魔みたいなやつより汚らしい色の魔力を放っている人間がいた。チラッ。
あれ? なんでリンがここにいるんだ?
牢屋の中を見れば、恍惚の表情を浮かべているリン。
…………お、お楽しみ中でしたね。拙者のことは気になさらず。
拙者、ドロンするでござるよ!
さらば!
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