第4話少年アルヤの絶望

 それは唐突だった。

 魔族が攻めてきたんだ。

 元々、不戦の協約など無いも同然だった。

 だけど一気呵成に攻めてきたのは、父の病を知ったからだ。


 領地の畑が燃やされ、領民の家が破壊された。

 常備兵は真っ先に殺された。勇敢に戦ってくれたけど、敵の進攻は止まらなかった。

 屋敷が囲まれて、逃げ場はなかった。

 メイドも執事も殺されて、残されたのは僕たち家族だけだった。


「アルヤ! ルミネと逃げるんだ! マミアも早く!」


 屋敷の地下に外へ通じる秘密の地下通路があった。

 僕は母とルミネを先に歩かせた。

 母は胸を抑えながら泣いていた。

 ルミネは震えて泣いていた。


「父上はどうするんですか?」

「……私はここに残る。そして魔族を一人でも道連れにして死ぬ」


 貴族そのものの言い方だった。

 誇りある死にざまを望んでいるような――悲しい覚悟だった。


「僕も残る――」

「馬鹿なことを言うな。お前は生きるんだ」


 父は僕の肩を掴んだ。

 今までにないくらい真剣な顔で――恐いくらい本気の目で言い聞かせた。


「自分の性質に負けるな。人を殺したくても、抑えるんだ。多分、アルヤの人生はこれから大きく捻じ曲がるだろう。だけど、それでも幸せになっちゃいけないってわけじゃないんだ。これから幸せになっても良いんだ!」


 幸せになっていい。

 そんな言葉は前世でも聞いたことが無かった。

 だって、殺人鬼の僕にそんなことを言ってくれる人なんて、いなかったんだから。


「分かった。父上――おさらばです」

「ああ、さらば私の愛しき息子よ」


 最後に見た父の表情は――僕の愛情とこれからの覚悟を混じらせた、とても複雑なものだった。

 だから忘れない。

 僕のような殺人鬼を守ってくれた父の顔を。

 家族を守ってくれた、とても素敵な父の顔を。

 僕は一生涯、忘れないだろう。


 地下通路の中は酷く空気が澱んでいた。

 母が時折苦しそうに、咳き込んだ。

 ルミネはその度に「大丈夫?」と背中をさすった。


 息苦しい通路――光を頼りに歩く。

 手足が泥だらけで汚くなってしまった。

 父と別れて数時間が経った。

 もうそろそろ、出口があっても良いのだけれど――


「お母さま、お兄さま! 光が見えるわ!」


 ルミネの必死な声。

 自然と早足になる――光の近く辿り着いた。

 重い扉を上へ押し上げる――やっと外に出られた!

 そこは馬小屋のようだ。柵の内側に馬が数頭いる。

 なるほど、これで逃げるなり応援を呼ぶなりできる――


「アルヤ、ここの馬飼いはどこにいらっしゃるの?」


 母がキョロキョロ辺りを見回す。

 この時間なら馬の世話をしているはずなのに。

 うーん、人気が無いところ見ると……もう既に逃げてしまったようだ。


「母上。どうやら馬飼いは逃げてしまったようです」

「そう……」

「とりあえず、馬に乗って王都へ向かいましょう」


 ルミネが地下から出るのを手伝いながら、僕は母に言う。

 幸い、手綱は近くにあったので三人乗ることができた。

 本当は馬車のほうが良かったんだけれど。


 外に一番大きな馬を出して、母とルミネを乗せて、僕もまたがった。

 後方が真っ赤に燃えている――


「お父さま……お父さま……」


 ルミネがしくしく泣いている。

 母は声も出さず、泣いている。

 僕は泣かなかった。既に悲しいという感情を失くしていたから。


 馬を走らせる。急いで王都へ。

 このまま行けば、きっと助かる――


「おや。生き残りがいたのですね」


 耳元で囁くような声――ほとんど同時に雪氷が僕たちを襲う!

 身体中がずたずたに切り裂かれる感覚。

 咄嗟に抱えていたルミネを庇った――無事でいてくれ。


 一瞬、前後不覚になるけど、少しの間を開けて立ち上がった。

 ルミネは気絶しているようだ。大した怪我もしていない。

 一方、母は――


「母上! そんな……」


 背中に大きな氷柱が刺さっている。

 驚愕の表情で固まったまま――絶命していた。


「兄が妹を庇い、母が兄を庇った……美しいですね」


 魔族の気配――振り返るとそこには氷の化身とも言える男が立っていた。

 真っ白い肌に紫の唇。白髪がさらさらと流れている。

 男は鎧を着ていた。近くにいる魔族の兵を率いる立場だと分かる。

 総勢、二十人の魔族の軍勢。

 僕はルミネの傍に近寄って――守るようにナイフを構えた。

 脱出する前に父から貰ったナイフだった。


「この人数相手に、抵抗しようとは。美しいですね」


 僕たちを攻撃した魔族がせせら笑う。

 他の魔族も追従の笑いを見せた。


「このジェラが一思いに殺してあげましょう」


 こいつがジェラなのか。

 そう認識したとき。

 またも雪氷が僕たちを襲った――


「あああああああああ!」


 僕はナイフで応戦した――撃ち落とせるものはナイフで弾いた。

 だけど弾丸以上の速度で襲い掛かる雪氷には無駄な足搔きだった。

 すぐにまたずたずたに切り裂かれてしまう。

 そして鳩尾に鈍い塊が当たって――


「ぐ、ふう、ううう……」


 意識が飛ぶ感覚。

 堪えようとしても無駄だった。

 暗い闇の底へ落ちていく――


 ゆっくりと僕の元へ魔族が近づいてくる気配を感じた。

 もう駄目だ、そう思って意識を手放そうとしたとき。

 身体から緑色の光が発せられた――

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