第3話少年アルヤの覚悟
母のマミア・ゴートは優しくて美しい人だったけど、ベッドから起き上がることはほとんどないほど病弱で、僕と関わることは少なかった。
もちろん、朝の挨拶は欠かさなかったし、夜眠るときはおやすみも言った。
だけど育てられた記憶はあまりない。抱きしめられたことはあるけれど、その時間すら短かった。
それは母の容態が悪化しないようにするためだと分かっていた。
母に対して思うことは感謝であるはずだけど、死んでしまう前に僕が殺してあげたほうが幸せなんじゃないかと思わなくも無かった。
長年苦しめた病魔に侵されて死ぬよりも、いっそのこと一思いにナイフで胸を貫かれたほうが――
それを考えるたびに自分が薄汚れたモノに思えて、吐き気がするほど苦しくなる。
ルミネと父を思えば、しないほうがいいに決まっている。
二人は家族として、母に生きてもらいたいのだろう。
僕の考え方が異端なのは、自分でも分かる。
これは邪推なのだけれど、もしかしたら父が僕に魔物退治をさせていたのは、妹や母を僕から守るため――魔物を殺すことで殺人衝動を抑えて、家族に手を出さないようにするためではないだろうか。
魔物を殺すと、霧が晴れるようにすうっと思考がクリアになる。
殺すことしか考えていなかったのに、急激に冷静になれるんだ。
そういう風に教育されているのかもしれない。
父上、ご安心ください。
そんなことをしなくても、僕は家族を殺しません。
殺したいとは思っても、絶対に殺さない。
前世から今の人生において、唯一の家族だし、僕は結構、父と母、そして妹のルミネに感謝している。
家族を知ることができて――心の隙間が埋まった気がするから。
「アルヤ。ルミネのことを守ってあげて」
僕は十二才になる頃、いつものように母と会話していると、唐突にお願いをされた。
どうしたんだろうと思った僕は「どうかしたの?」と訊ねる。
頬がこけている、赤毛の母はにっこりと笑って「あなたはいいお兄ちゃんよ」と珍しいことを言った。
「だけど、時々不安になるの。どこか遠くに行ってしまいそうで」
「あははは。ルミネにも同じことを言われたよ」
「家族を捨てることはしないけど……こほこほ、あなただけが離れていくのよ」
よく分からない言い方だった。
僕はベッドの母に近づいて、やせ細ってしまった母の右手を掴む。
そして「約束するよ」と母に誓った。
「決してルミネを一人きりにしない。大事にする」
命を懸けてもいいとは思わなかった。
ただ母の不安を取り除いてあげたかった。
善意から言った言葉だった。
だからかな、母は嬉しそうな顔をして。
僕にとびっきりの笑みを向けた。
まるで思い出に残ってほしいと思っていたように。
「約束よ? アルヤ」
笑う母に対し、今の状況なら何十回も殺せるなと思ってしまった。
してはいけない考えだったけど、思ってしまったなら仕方ない。
できない約束などあってはならないんだ。
◆◇◆◇
僕が十二才になった頃。
にわかにゴート家の領地が騒がしくなった。
魔族の進攻が活発的になり、緊張状態が続いている。
出てくる魔物も手強くなっていた。
「ジェラという魔族の中でも恐ろしい男が、やってくるようだ。本国に援軍を求めたが……来るのは遅くなりそうだ」
書斎で父が苦渋に満ちた顔で僕に言う。
背丈だけが伸びて肉付きの良くない僕だけれど、既に一人で魔物を殺せるようになっていた。おそらく魔族がやってきても対処できるだろう。
その代わり、父は随分と弱ってしまった。
父もまた、持病があって――良くない状態が続いていた。
だからまともに戦えるのは僕と常備兵数人程度だった。
弱小貴族だからか、兵力はとても少ない。
「もしものことがあったら、ルミネを連れて逃げなさい」
「父上と母上はどうしますか?」
「私たちのことは何とでもなる。子供に心配されるほど、弱っていないぞ?」
強がっているのはよく分かった。
おそらくそのときが来たら貴族として立派に戦って、名誉の戦死を遂げるだろう。
僕が果たせなかったことをするはずだ。
「……分かりました。ルミネのことは任せてください」
父と共に戦う道もあったけど、僕はそれを選ばなかった。
世界を救えずに死ぬと地獄逝きということもあったけど。
それ以上に子が親より死ぬのは良くないと思ったし、父の気持ちを汲むことも必要だなと思ったから。
「アルヤ。お前はそれでいい」
父は水差しから水をコップに注いで飲んだ。
僕は黙ってそれを見守った。
「私が死んでも、私の教えがお前を守ってくれるだろう。一番は人を殺さないことだけど……もしも裁くべき人やいざというときがあったなら、容赦なく使うがいい」
初めて――父から許可をもらった気がする。
今まで禁じられていたことを肯定されたのは、なんというか、言いようのない気分になる。
「父上……僕は自信がありません」
「己を抑える自信がか?」
「はい。どうしようもなく……」
「そのときは、私を心の中に作りなさい」
父はにこやかに笑っていた。
いろんな覚悟を決めた顔だった。
「助言しているかのように、心の中で父を作るのだ」
「…………」
「もちろん、作らなくてもいい。ただし油断は大敵だよ」
僕は頷いた。
父のことを尊敬していた。
だけどもう、殺意は無くなっていた。
殺しても僕の中に残り続けるのだから、当然の反応だった。
書斎から出ると、十才になるルミネが廊下をうろうろしているのが見えた。
すっかり夕方を超えて夜になっているようだ。
「ルミネ、どうしたの?」
「あ、お兄さま……その……」
もじもじしているのを見て「眠れないのかな」と言い当てる。
ルミネは恥ずかしそうに頷いた。
「いいよ。一緒に寝よう。そんな日もあるよね」
「……ありがとう」
兄離れができない妹だなと思いつつ、僕は自分の部屋にルミネを招いた。
少しお話して、それからルミネは目を閉じた。
隣ですやすやと寝るルミネの顔を見ていると、愛おしい気持ちが出てくる。
命を賭しても、守らないといけないなと僕は覚悟した。
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