第2話少年アルヤの教育

「お兄さまはいつか――この家を出てしまうの?」


 二才年下の妹、ルミネから出た言葉。

 僕は「そんなことはないよ」と頭を撫でてあげた。

 ちょっと力を込めれば粉々になってしまいそうな、小さな頭だった。


「僕は父上の跡を継いで、立派な領主になるんだ」


 幼い頃からのありきたりで予定調和のような夢らしきことを、ルミネに言い聞かせる。

 するとルミネはほんのちょっと悲しそうな顔をする。


「お父さまと森で良くないことをしているの、知っているんだよ」


 僕たち家族の証とも言える、真っ赤な髪。

 ルミネは特に綺麗だった。

 顔立ちも母に似て美しく、将来が楽しみな妹のルミネ。

 そんなルミネが僕と父に疑念を抱いている。


「良くないこと? ううん、そんなことはしていないよ」

「……お父さま、帰るたびに悲しそうな顔をしていた」

「それは、魔物を退治しているからだよ」


 僕たちに王様から与えられた領地には森が多く、野生の獣の他に魔物も住み着いている。

 ここで言う魔物とは『魔力を持つ食用ではない獣』を指す。

 領地の整備は領主の仕事だ。僕と父は積極的に魔物を退治――駆除していた。


「誰だって魔物を殺すときは疲れるし、悲しい気持ちになるんだ。だって魔物も生き物だからね」

「……そう、なんだ」

「うん。ルミネは知らなくていいことだよ」


 もう一度、ルミネの髪を撫でてやる。

 くすぐったそうにして、ルミネは純粋無垢な瞳をのぞかせて――僕に問う。


「お兄さまは疲れたり、悲しい気持ちになったりしないの?」

「うん? どうして?」

「だって帰ってくると、少しすっきりした顔になっているから」


 自分に殺人衝動があると気づいたのは、七才の頃だった。

 メイドや執事が仕事をする様子を見ながら、どうやって殺そうか考えていた自分に気づいたときは、正直驚きを禁じえなかった。

 ごくごく普通に、殺人について思いをはせていたのだ。

 それが自分だったので、ゾッとしてしまう。


 もしかすると、前世の頃から殺人衝動を持っていたのかもしれない。

 だからこそ、平気で人を殺す生業――殺し屋を営んでいた。

 考えてみると、己の性質をコントロールできていなくて、滑稽に思える。


「すっきり、というより安心しているのかもね。だって、魔物は恐ろしいから」

「安心、なの?」

「夜、トイレ行って部屋に帰ってきたら安心するだろう? それと一緒さ」

「…………」


 ルミネは納得していない様子だった。

 だから僕はわざとおどけて言う。


「まあ分からないか。ルミネは昨日もおねしょしちゃったんだっけ」


 僕のからかう声にルミネは顔を髪の毛より真っ赤にした。


「もう! お兄さまの馬鹿!」


 怒鳴って僕たちが話していた場所――僕の部屋から出て行った。

 その後姿を見送って、これからどうしようかと考えた。

 母は僕の性質について、薄々気づいているようだった。

 だけど、母は何も言わないだろう。父に任せるはずだ。


 そうなると妹のルミネの疑念を聞く者はメイドか執事に限られるけど、それらにしたって僕の殺人衝動を見破れるほどの頭脳は持ち合わせていないはずだ。

 だからほっとくことにした。一番はルミネが誰かに言わないよう口を封じることだけど、それはしたくなかった。

 何故ならこの世界で唯一、僕が殺したくないと思える存在だからだ。



◆◇◆◇



 この世界には魔物や魔族、そしてそれらを統べる魔王がいる。

 僕が住んでいる地方は、比較的魔王や魔族の領地が近いから、よく魔物が森の中に紛れ込んでくる。森の生態系や狩人たちの仕事を守るために、僕と父は定期的に魔物を狩っていた。


「ごらん。この魔物――ユニラビットは弱いけれど、角に毒を持っている。決して触れてはいけないよ」

「はい、父上。気をつけます」


 父の『指導』は優しいものだった。

 無理や無茶なことはさせない。

 冷静かつ慎重な行動を求められた。

 それは僕の性質に合わせたもので、居心地が良かった。


「血痕や痕跡を残してはいけない。無論、自分から『臭い』がしてしまうのもアウトだ」


 普段からお風呂に入っているけれど、それでは不十分だからと、香水をつけるようになった。優しい匂いで子供ながら好きになった。


「アルヤ。相手の弱点が分からないときは、目や鼻の器官を狙いなさい。そこを襲われて怯まない魔物はいない」

「はい、父上」


 それから父は僕に剣の手ほどきをしてくれた。

 とは言っても長剣を持つには身体が出来上がっていないから、短剣を使った。

 昔はよくこれを使っていたものだ……


「お前には才能がある。良い才能ではないが」


 初めて魔物を一人で殺したとき、父は悲しそうな顔をしていた。

 褒めるのではなく、貶すのではなく、とても――悲しそうな顔をしていた。


「きっとお前は人を愛することができないだろう。もし愛することができても、その才能のせいで苦しむことになる。愛した人を殺したいという欲求。それをどうしても乗り越えられない」


 多分、それは正解なんだろう。

 僕には人を愛するという気持ちが無い。

 野良犬を殺したときだって、ルミネや母のためだけではなく、自分が殺したかったからもある。


「だけどな、お父さんはお前のことを愛しているよ。私だけではなく、母さんもルミネも、お前のことを愛している」


 そう言って父は僕のことを抱きしめた。

 ああ、今なら楽に殺せるな。

 そうとしか感じられなかった。

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