おまけの番外編2
どうしてこうなってしまったの。
マルタは痛みをこらえながらずりずりと地面を這って逃げる。
身体は泥だらけ。捻った右足は赤黒く腫れて役には立たない。必死になるあまり逃げる方向を間違え、こんな森の奥深くまで来てしまった。
今この瞬間まで運よく生き長らえたが、ついに年貢の納め時かもしれない。腹を空かせた闇色の獣が、涎を垂らしながらハァハァと生臭い息を吐き出した。
凶暴な魔獣が数多く住むという幻魔の森。
普通の人間ならば絶対に近寄ったりしない危険な場所。
けれど、この森にしか生えていない稀有な薬草が数多く存在しており、薬師であったマルタは何度かこの森を訪れていた。
魔獣が苦手とする香りを調合、極限まで存在感を薄める隠密スキルを利用し、今まで何の問題もなく採取に成功していた――というのに、どうして今日に限って。
いや、心当たりはあった。
ほんの少し、吹きかける時の一瞬だったが、調合した香りから甘い匂いがしたのだ。彼女の住んでいる町で、幻魔の森から薬草を手に入れることのできる薬師はマルタだけ。他の薬師からの妬み嫉みには気付いていたが、まさかここまでするとは。
マルタの目に涙が浮かぶ。
人の役に立とうと薬師になったのに、その果てが事故に見せかけて殺されるだなんて。酷い。あんまりだ。ぽろぽろと大粒の涙をこぼしながら彼女はすべてを諦め目を閉じた。
けれど想像していた痛みはなかなか襲ってこない。
不思議に思っていると、突然声が降ってきた。
「お嬢さん、大丈夫かい?」
「……え」
中性的な、けれど独特の色香を纏った声にハッとして顔を上げる。
目の前にはさらりと揺れる黒髪に、涼しげな青い瞳をした青年が心配そうにマルタを見つめていた。
綺麗な人だ。返事もできずに見惚れてしまうが、獣に襲われていた事に気付いて辺りを見回す。
闇色の毛皮を纏った獣は、なんと首と胴を切り離されて地面に転がっていた。
「たす、かった……の?」
「安心するのはまだ早いよ。ここは危ないからね。出口まで送ろう。歩けるかい?」
「あの、私、わた、し……!」
「え――」
ずっと張りつめていた緊張の糸が切れると同時に、安堵と痛みと恐怖の記憶がごちゃまぜになって襲い掛かってくる。マルタは青年に抱きついてわんわん泣いた。そりゃあもう、最初は落ち着くよう説得していた彼が諦めて最後は好きにさせてあげるくらい、顔をぐちゃぐちゃにして泣いた。
恥ずかしさなんて感じなかった。この時だけは。
* * * * * * *
「さて、落ち着いたかな」
「たいっへん失礼いたしましたァ!」
顔を地面にこすりつけ土下座をする。
いくら怖かったとはいえ見知らぬ美形に抱きついたうえ、子供みたいに泣きじゃくるなんて。恥ずかしい。恥ずかしすぎる。今すぐ逃げ出したい。そんな気持ちで謝り倒すマルタに、彼は気にしていないからと優しく微笑みかけてくれた。
「うう。神はいたのね……」
「す、少し混乱が残っているようだけど、無事で良かったよ。けれどその足、痛いよね。よくここまで頑張ったものだ」
「……あはは、実はかなり痛いです。立つのも苦しくて」
腫れに効く湿布を使っても数日はまともに歩けないだろう。
マルタは足首をさすりながら、はぁとため息をついた。
木の幹に蹴躓いて足首を捻ったが、止まったら喰われてしまうので無理に無理を重ねて全力で走った。これはその成れの果てだ。見るも無残な有様になるのもやむなしである。
「うーん、そうだな。でも彼女ならきっと」
「え?」
「実は、わけあって別行動中なんだけど、優秀な魔術師様と一緒でね。彼女ならきっと治せると思う。専門は攻撃魔法だけど治癒魔術も凄くてね」
「本当ですか!?」
この世界、魔術師というだけでも一すくいの選ばれし者だというのに、難しい治癒魔術を高度なレベルで使いこなせるなんて。どの国へ行っても重宝されるエリート中のエリートである。
そんな人と知り合いなうえ、魔獣を一刀で切り伏せる青年も只者ではないだろう。
出会えたことが奇跡とすら思えるが、しかし彼らのような人たちがどうして幻魔の森なんかにいるのだろう。
マルタは不思議に思ったが、問いかける勇気はなかった。きっとやむにやまれぬ事情があるに決まっている。尋ねたところで迷惑になるだけだ。
「そうと決まれば早速彼女と合流しようか」
「あ、はい! ……ですがその、重ね重ね申し訳ないのですが、肩を貸していただけるととっても嬉しいです。足がもう……」
「ああ、それなら問題ないよ」
なんて優しい人だ。ここまで完璧な男性には出会った事がない。まるで絵本から抜け出してきた王子様だ。ほわわ、とマルタが見惚れていると急に身体が宙に浮いた。
「ほわわ!?」
「手荒な真似をしてすまない。けれどこの方が君への負担も少ないだろう」
「いや、だって、これっ、お姫様抱っこ! 服が汚れます!」
「何か問題でも?」
「でも重たくないですか!?」
「全然。羽のように軽いよ」
さらりと言ってのける。
人間の身体が羽のように軽いわけがない。マルタが負担に思わないよう配慮してくれたのだ。なんという心遣い。そして細身なのに人一人を軽々持ち上げるパワー。王子様だ。やっぱり王子様だ。
「うぅ、理想の王子様……」
「お、王子様はガラじゃないかな。クリスでいいよ。そう呼んでほしい。最近魔物が増えてきたからね、討伐がてらに見回りをしていたんだ」
「クリス、さん?」
「うん」
優しげに眼を細める彼の姿に頬が熱くなる。今までどんな男性にもときめいたことすらなかったというのに。この人は駄目だ。心臓がうるさいくらいバクバク鳴っている。
「ほッ、本当に危ないところを助けていただいて――」
「ふふ、それ以上はやめておきない。この人、見た目よりずぅっとタチが悪いわよ?」
凍えるような冷たさと、蜂蜜のようにとろける甘さを含んだ美声――とでも言うのだろうか。深い青の瞳。美しい銀髪を手で払いながら現れた絶世の美少女に、マルタの視線は釘付けになる。
こんな綺麗な人、初めて見た。
「リミエラ様」
「あら、敬称は必要ないといつもいっているのに。意地悪ね」
「い、意地悪はしておりません。どうにも昔の癖が抜けなくて」
「ふふ、そうね。ごめんなさい。今朝もちゃんとベッドの中で呼んでくれたものね」
ベッドという単語にマルタの身体が強張る。
それはつまり――そういうご関係って事なのか。いや、確かにお似合いだ。美男美女。眼福だと拝んでしまうくらいお似合いである。
クリスの言う魔術師とは彼女のことだろうか。
「……リミエラ様」
「あら、事実でしょう? ちょっとした手違いであなたの部屋とわたくしの部屋を統合してしまったお馬鹿さんがいたんだもの。一緒に寝起きするしかないじゃない?」
「しかし、言い方というものがあるでしょう」
「これくらい可愛いものよ。わたくしなんて、はぐれたあなたをようやく見つけたと思ったら、わたくしではない女を腕に抱いていたのですから。この程度の意趣返し、笑って流すべきではないかしら?」
頬を膨らませてぷい、とそっぽを向く美少女――リミエラ。
大人びた風貌とたおやかな仕草から、やんごとなき生まれの方だろうと容易に推測できる。だからこそ、ほんの少しみせる子供っぽさがなんとも可愛らしく写った。
「せっかく二人きりだと思っていたのに」
「お、お傍を離れて申し訳ございません! 叫び声が聞こえたので咄嗟に」
「あら、魔獣程度でわたくしが後れを取るとでも? わたくしが言いたいのはそうではありません。そうではなく……」
頬を桜色に染めてクリスの服を小さく引っ張るリミエラ。マルタは一瞬で察した。自分がお邪魔虫であると。足の痛みを我慢するより泥棒猫扱いの方が堪える。慌てて降りますと伝えようとするが、それよりも先にクリスが動いた。
まるでそうすることが当たり前だとでも言うように。リミエラの頭上にキスを落とす。
「これで少し機嫌を直してください。――……続きはまた、二人きりの時に」
最後の言葉はリミエラの耳に唇を寄せ、まるで恋人に愛を語らうかのように囁いた。きっと彼女のためだけの言葉だったはず。けれど近くにいたマルタは聞えていた。聞こえてしまっていた。もはや貰い事故。おかげで顔が真っ赤になってしまった。
「……ほぅら、タチが悪いでしょう?」
振り向いたリミエラも同じく、耳まで真っ赤に染まっていた。マルタはただただ首を縦に振るしか出来なかった。天然王子様の破壊力、えぐい。
そうしてリミエラの魔法とクリスの剣技のおかげで無事、森から生還できたマルタは、自店の住所と連絡先を書いた紙を渡し、何かあった時は力になりますのでいつでもいらしてください!と深々と礼をして二人と別れた。
その一週間後、マルタはクリスが女性だと判明して目玉が飛び出るほど驚いたうえに、リミエラの「クリス口説き計画(物理)」へ強制的に巻き込まれていくのだが、それまた別の話。
―――――――――――――――――
最初の番外編にするか、こっちにするか。
どっちをアップするか悩んで結局あっちにしたのですが、折角書いたのでこっちも一応。昨年は番外編の方も読んでくださり、またブクマとかレビュー評価とか、色々ありがとうございました!
楽しんでもらえたのなら幸いです。
異世界転生モブによる悪役令嬢の救い方? 朝霧あさき @AsagiriAsaki
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