後篇2
あまりにも聞き知った声に驚いて振り向く。
銀の髪を片手で払い上げ、こちらをじっと見つめるリミエラちゃん。少し気だるげな様子ではあったが、その目に宿る光は悲壮感など微塵も感じさせない力強いものだった。
「まったく、あなたという人は! 一体どれだけ準備をしていたのかしら。これでも傾国の魔女と呼ばれる身。あなたの策などすべてお見通しだと思っていたのに。まさか真夜中まで作業していたの? わたくしの与り知らぬものが沢山出てきたので、慌てて燃やしてしまったではありませんか。怪我はなくて?」
「え、ええ、はい……はい? では、今までの妨害はすべて――」
「わたくしですが?」
「何しちゃってるんです!?」
「あら? では逆に問いますが、あなたはこのままあれとの婚約を続けてわたくしが幸せになるとでもお思い?」
ぱっと扇を取り出して口許を覆う。
ご本人の前であれって言いましたよこのお方。
うっかりしていた。最初から除外していたので名前すら浮かんでこなかったが、確かにリミエラちゃんが一番妨害者の可能性が高かった。
なにせ彼女こそこの国における魔術師としての最高峰。傾国の魔女。自分と同様、三本の指に入ると言われる猛者だ。手こずった時点で選択肢として入れておくべきだった。
「調べはついているのでしょう? わたくしが聖女様に対して行ったのは婚約者のいる男性への過剰なスキンシップは控えるようにと忠言したことのみ。多少言葉尻はきつくなってしまったかもしれないけれど、それも仕方がなかったと今のお二人を見れば猿でもわかるはずよ」
「猿て……いや、それは……はい」
「まぁ、確かに聖女様は可愛らしい方ですわ。わたくしと違って庇護欲をそそられるというのかしら。ふふ、愛らしい存在を自分のものにして可愛がりたいという気持ち、わからないでもないけれど、だからといって現婚約者が邪魔になったので、あることないこと吹聴して婚約破棄に国外追放まで言い渡す男に嫁いで本当にわたくしが幸せになるとでも思っているの? クリス」
誰かに入れ知恵されていたとしてもね、と彼女は聖女様を見てにっこりとほほ笑んだ。
そうまで言われてしまっては返す言葉もない。
婚約破棄を撤回させ、彼女の汚名をそそぎ、この国の王妃になることがリミエラちゃんの幸せだと信じて疑わなかったが、それが本当に幸せかと問われれば、首を縦に振るのは難しいかもしれない。
「でしたらなぜもっと早くお伝えくださらなかったのですか。気付いていたのでしょう? このパーティーで殿下がなさることも、私の計画も」
「あら、ごめんなさい。でも、わたくしのために必死に頑張るあなたを見守るのも吝かではないと思って」
事もなげに言い放つ。
そうでした。こういうお方でした。
「――なんて、ね。婚約破棄も国外追放も願ってもない申し入れだったので、それを潰されまいとあなたの計画を邪魔してきましたが、こんなくだらないことであなたがピエロになるもの嫌だと思ったの。だからつい名乗り出てしまったわ。ふふ、本当に往生際の悪い人。そんなにわたくしのために必死になって、身を削って、せっかく手に入れた地位まで捨てようとするなんて。馬鹿ね。でも、だからこそ、わたくしは――」
ふ、と優しげに眼を細めて、彼女は横をすり抜けていた。
「さて、殿下」
ツカツカと迷いのない足取りで王太子殿下の傍までくると、彼の胸ぐらをつかんで満面の笑み浮かべた。凄まじい圧だ。殿下涙目だぞ。
「今一度、ハッキリさせておきましょう。わたくしをどうなさるおつもりか、皆の前で高らかにご宣言なさってくださいませ。よもや一度舌に乗せたお言葉を飲み込んだりはいたしませんわよね?」
「――ッヒ」
「さあ、おっしゃって? 殿下」
人差し指で彼の唇をつつき、にこやかに言葉を促す。十代が出していい色気じゃない。見ているこっちまで赤面しそうだ。
「殿下?」
「君、との、婚約を破棄、し……こ、国外追放を、言い渡す……」
「ふふ、いい子ね」
甘く蕩けさせるような声だった。
リミエラちゃんがパッと手を放すと、殿下はその場に崩れ落ちた。耳まで真っ赤に染めて恥ずかしそうに顔を覆っている。聖女様が必死で身体をゆすっているが、あの様子では当分立ち上がれないだろう。
もはや完全にリミエラちゃんの独壇場だ。
誰も彼もが目を奪われる。それくらい今の彼女はのびのびとした美しさを纏っていた。もちろん自分も例外ではない。気を抜くと見惚れて固まってしまいそうになる。
「さて、これで晴れてわたくしも、縛るものは何もなくなったわけね。さて、あなたは今後のこと、ちゃんと考えているのかしら?」
「……両親と同じように、ダンジョンへ潜る冒険者にでもなろうかなと」
「つまり、予定はないのね?」
花が綻ぶような笑みを向けられ、自然と頷いていた。
「でしたらわたくしの領地へ来なさいな」
「リミエラ様の領地? しかし、追放処置を望まれているでは?」
「ふふ、問題ないわ。この国から東へずぅっといったところに古に滅んだとされる国があるのをご存じ?」
「古に滅んだ国……あ」
頭の中にゲームで得た地図情報を展開する。
この国から右の方に視点をずらした先にあるものと言えば、ラスボスの居城だった気がするんですが。はて。
確か、当時の第三皇子が魔導に精通した人で、禁忌とされる魔族との契約を成功させ世界を滅亡一歩手前まで追いやったが、各国の聖女たちが集結し魔族を押しとどめ、皇子は地下に封印された――というストーリーだったはず。
ゲーム本編では中盤辺りでその第三皇子が復活。復讐のために今は亡き自国から各国を制圧していくはずなんだけど。もちろん、その第三皇子がこのゲームのラスボスだ。
まさかとは思うが――。
「あら、知っていたのね? なら話が早いわ。実はそこを不法に占拠している輩がいたの。妙な計画を立てている様でしたから、サクッとお仕置きしてその土地を譲り受けましたわ」
「いやいやお待ちください。えっと、ちなみにその人、どんな顔してました……?」
「顔? そんなもの気になるの? ええと、黒髪眼鏡の陰気なお方でしたわね」
やっぱりラスボスゥウ!
うっかり声に出して叫びそうになった。それ世界の滅亡を企てているはずのラスボスですよリミエラちゃん。世界が危機に瀕する前に隠しボス様がラスボス退治しちゃっているんですが大丈夫なのかこれ。シナリオの修正力どこいった。
「ああ、安心なさい。不法占拠とはいえその土地で暮らしていたのです。出ていけなどとは申しておりませんわ。土地の管理はわたくしがするかわりに、住居を確保。もちろん、何かあった時は協力していただける契約を交わしましたの」
「きょ、協力……」
「ええ。ただ、配下の方に角の生えた美丈夫や、羽の生えた少女などもいるので最初は驚くかもしれません。少々おいたが過ぎたので灸は据えましたが、根は皆良い子で便利――いえ、頼もしい方々です。わたくしの名において、何不自由ない生活を約束いたしましょう」
「その美丈夫さんたちも、リミエラ様の協力者なのですね……?」
「ええ、もちろんですわ。我が領地の領民ですもの」
「領民……」
角の生えた美丈夫って魔王様のことだと思うんだけど。
ラスボスがラスボスたりえる所以は、その配下にある。魔王様や彼の側近、その他魔族の大軍勢が一斉に襲い掛かってくるからこそ、なかなかの難易度を誇っていたのだ。第三皇子だけだったら余裕で瞬殺だったわ。
そんな魔族の軍勢を純然たる暴力でねじ伏せて領民として手駒に加えたと聞き取れるんですが。どうしよう。知らぬ前にやっべぇ国が爆誕してないか。
「つ、つまり、私をあなたの側近として傍に置いてくださると?」
「違います」
「え、では――」
どうして、と紡ごうとした唇を人差し指で塞がれる。
リミエラちゃんは少し頬を赤らめ、上目づかいで見つめてきた。とても可愛い。
「側近ではなく伴侶として、ですわ。これはプロポーズよ、クリス。ずっと、わたくしの傍にいてほしいの」
「…………え?」
一瞬にして頭が真っ白になる。
――何? 伴侶? プロポーズ?
「いやいやいやいや待ってください! 落ち着いて! 冷静になりましょう!?」
「わたくしは冷静よ」
「絶対変なものでも食べたでしょう!? 怒らないのでおっしゃってください!」
「まぁ、なんて人。身分の差ならば先程なくなったわ。何の問題があって?」
「問題山積みでしょう!? だって、だって――……私も女ですよ!?」
本名クリスティーナ・デルタ。
女の身でありながら名だたる男どもを蹴散らして王太子の側近にまで上り詰めた女傑。見た目や声は確かに中性的ではあるが、誰もがこの名を知っているせいで男性と間違われたことはない。当然、リミエラちゃんも知っているはず。
頭を打ったか変なものを食べたかで記憶が混濁しているのだろうか。
「何を言っているの? それくらい誰もが知っている事実でしょう?」
「え? あれ? それでは知っていて私に……?」
「当たり前です。男や女などそんな矮小な枠組みで考えるのはやめたの。自分自身の幸せを考えた時に誰の傍が一番心安らぐか。こんな素直ではないわたくしでも、呆れずに傍にいてくれるのは誰か。そして……誰の笑顔を傍で見守っていたいか」
「リミエラ様……」
「人としてあなたが好きなの。ふふ、受け入れられるなんて思ってはいないわ。ただそれでも、知っていてほしかっただけ。ごめんなさいね、困らせてしまって。でも、領地へのお誘いは嘘ではないの。あなたの部屋は用意してあるわ。止まり木だと思って、いつでもいらっしゃい。歓迎するわ。それじゃあね」
ほんの少し寂しそうな笑みを残して去って行こうとするリミエラちゃん。馬鹿か。私は。すべてを捨ててまで幸せにしたいと願った女の子を、悲しませてまで突っぱねる理由なんてあるのか。
私の好きは「推し」としての好き。リミエラちゃんの好きは「恋愛」としての好き。
お互いすれ違った状態だが、それでも――。
「お待ちください」
彼女の腕を掴み、ぐいと引き寄せる。
こちらを向いた彼女の瞳には、うっすらとだが涙の膜が張っていた。罪悪感に胸がちくりと痛む。
「なぁにその顔。袖にされるくらい想定済でしたが、すんなり受け止められるほど人間ができてはいませんよ。わたくしだって十七の小娘ですもの」
「……らしく、ないではないですか」
「らしくない? あら、わたくしのことを鉄の女とでも思っていたのかしら?」
「そうではありません。そうではなく……すんなり諦めるなど、あなたらしくないと言ったのです。欲しいものはその美貌と智謀、魔術、家の力、ありとあらゆるものを使ってものにしてきたではありませんか」
「まぁ、人を傍若無人みたいに」
「違うのですか?」
「クリスのくせに生意気よ」
唇を尖らせぷくっと頬を膨らませる姿は、確かに十七の少女だった。可愛らしさについ頬が緩む。
「まったく、何が言いたいのかしら?」
「私の好きとリミエラ様の好きは違うものです。ですが、誰の笑顔を傍で見守っていたいかと問われたら、私もリミエラ様と答えます。あなたの幸せこそが我が生きがい。ですから――口説き落としてください」
「え?」
跪いて手を取り、その甲に口付ける。
「ク、クリス!?」
「今は違う好きでも、今後どうなるかは分かりません。あなたの美しい髪も、声も、顔も、とても魅力的ですし、その素直ではない面倒くさい性格や負けん気の強いところ、つい手が出てしまうところも全て可愛くうつります。言ったでしょう? 私は、あなたの幸せを見届けるまでは離れていきませんと。だからどうか、私を口説き落としてくださいませ。……まさかリミエラ様ともあろう方が、敵前逃亡などなさいませんよね?」
「あなた、良い性格しているわね」
「お褒めに預かり光栄です」
にっこりと微笑めば、リミエラ様の顔がみるみる朱に染まっていった。ぱっと手を弾き、恥ずかしそうに顔をそらす。すべての動作が可愛いと思ってしまう私も大概なのだろう。
クリスティーナとして生きた二十年。
男社会で揉まれて過ごしてきたが、誰かにときめく事など一度もなかった。どうせこのままいっても一人身を貫くだけ。ならば、世界で一番幸せにしたかった女の子に、未来を託してみるのも面白いと思ったのだ。
「賭けに付き合わせることになりますが、リミエラ様さえよければ――」
「もう、馬鹿ね! 言っておきますが、わたくし、やると言ったからには必ずやり遂げますわ。逃がしてくれと言っても絶対に逃がしてなんてあげませんから。わたくしなしでは生きてはいけなくなって、後で悔やんでも遅いのですからね!」
「それは一緒に死んでくれって意味でしょうか? 良いですよ。リミエラ様と一緒なら」
「――本ッ当、タチが悪いのに引っかかった気分だわ。首を洗って待っていなさい。必ず口説き落としてみせますから!」
そう言ってぎゅっと胸にしがみ付いてくるリミエラちゃんを、私は思い切り抱きしめ返した。どうしてこうなったかは分からないけれど、リミエラちゃんが笑って腕の中にいてくれるのならそれでもいいやと思えた。
集まった人々から割れんばかりの拍手が贈られる。
もはやここが王太子殿下の誕生日パーティー会場だということを覚えている人なんていないのではないだろうか。殿下ですらハンカチ片手に祝福してくれている。あなたはもう少しプライド持ってくれ。有難いけれども。
そう遠くない未来、さっさと口説き落とされていそうな気配はするが、まぁそれも一興。異世界転生したモブでも、どうやら推しの悪役令嬢ちゃんを自分の手で幸せにしてあげられるみたいです。
ちなみに、会場の騒ぎを聞きつけて本日病床で臥せっていた国王様が駆け込んでくるなり、「あの馬鹿には謝らせるので早まらないでくれ!」「君たちがいなくなっては我が国の戦力が!」「あいつの面倒を見きれるのはリミエラ君だけなのだ」と頭を擦り付ける勢いで説得されたが、リミエラちゃんが断固としてノーを突きつけたので、五年くらいは老け込んでいた。可哀想に。
リミエラちゃん曰く「聖女様はなかなか強かな女性なので、殿下の尻拭いくらいはできるでしょう。ああ、解放されてスッキリですわ!」とのことだった。
そうして、私とリミエラちゃんの新しい生活がスタートするわけだが――。
ラスボス第三皇子や魔王様たちに見守られながら、リミエラちゃんの本気に毎日たじたじする羽目になるのは、また別のお話。
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