前篇2
「……失礼いたします」
意を決して建物の影から飛び出し、彼女と同じベンチに腰掛ける。ざっと一メートルほど距離をあけているが、本来ならば公爵令嬢であるリミエラちゃんと殿下の側近とはいえ一般人の自分が同じベンチに座るなどあってはならないこと。この中庭だから許される行為だ。
ここは城内でも辺境の場所。
滅多に人は来ず、密会スポットとしてよく利用されているらしい。ゲーム中でも頻繁にイベント発生地となっていた。ここにいる時だけは身分にこだわらず自然体でいるべし――と、暗黙の了解で決まっているのだとか。
今は丁度お昼時。こうして隣に座っても不自然ではないはず。
持ち込んだ弁当をふとももの上に広げ、ぺちんと手を合わせる。こればっかりは日本人であった時の癖が抜けない。
「ふふ、優しいのね。そう気を遣ってくれなくとも結構よ」
「なにがでしょう? 私はただ、ここでお昼を食べているだけです」
「馬鹿ね。さっきからわたくしを見ていたのくらい、気付いていてよ?」
「――ンぐッ」
食べたものを喉に詰まらせ、慌てて胸を叩く。さすがは傾国の魔女様。気配感知などお手のものということか。全部バレていたなんて、恥ずかしすぎる。
「あらまあ慌てん坊さんね。落ち着きなさいな」
「い、いづが――ゲホゲホッ!」
「落ち着きなさいと言っているでしょう。まったく仕方のない人ね」
呆れた声色だったが、さっと距離を詰め背中を撫でてくれる。優しい指だ。リミエラちゃんのこういう素直じゃないところが最高に推せる。
「申し訳ございません。情けない姿を」
「かまいません。大体、あなたは普段から気を張り過ぎなのよ。もう少し肩の力を抜いて――……まぁ、そういう生真面目なところを好ましく思っているのも事実だけれど。無理はしない程度に好きになさい。今はね。ここはそういう場所なのでしょう?」
ふふ、と柔らかに微笑むリミエラちゃんに顔を覗き込まれて息をのむ。
陽の光を浴びてキラキラと光る銀髪。きめ細やかな白い肌。深い海のように透き通った青い瞳。
目も眩むばかりの圧倒的美少女。
こんな綺麗な子が傍にいて、どうして目移りなんてしてしまうのか。殿下の顔を思い浮かべながらふいと顔を逸らす。自分にはこれ以上の直視は耐えられなかった。眩しすぎて目が焼き切れてしまう。
「もう。あなたはいつもわたくしから目を逸らすのね」
「……いえ、しかし、見つめ合う形になるのは些かどうかと」
「まあ、何を言っているのかしら。あなたならばなんら問題ないでしょう? 誰も不審に思ったりしないわ。本音はどこ?」
「……う。ひ、秘密というのは」
「駄ぁ目」
両側から頬をホールドされ、瞳の奥を覗き込むように顔が近づいてくる。
思わず目を閉じそうになるが、閉じてしまったらそれはそれで問題ありの状況になると察してぐっと背筋を伸ばす。身長差のおかげで少し顔が離れた。
「往生際の悪い人」
「勘弁してくださいよ」
「ならさっさと白状なさい」
駄目だ。こうなってしまったリミエラちゃんは絶対に引き下がらない。自白するまでこの場から逃がしてはくれないだろう。
「……し、すぎて」
「なぁに?」
「私のような平民には美しすぎて直視できないんですよ! もういいでしょう。これ以上は本当に勘弁してください。恥ずかしすぎて死にそうだ……」
虚を突かれたのか、珍しくぽかんと呆けた顔をしているリミエラちゃんの隙をついて、ホールド状態から抜け出す。一応周囲を見渡し、人がいないことを確認してから胸を撫で下ろす。できれば一生胸に秘めておきたかったのに。
恥ずかしい告白をしてしまった。
「まったく、何を言い出すかと思えば。わたくしの瞳も見られないのなら、そんな目、潰れてしまいなさい」
「それでは仕事に支障が出ます」
「大丈夫よ。解雇されてもわたくしが飼ってあげる」
そう言ってから、リミエラちゃんは少し切なげに瞳を伏せた。
「――なんて。こんな可愛げないことばかり言ってしまうから、殿下もわたくしを見限ったのでしょうね。あなたも、わたくしに構うのはもうおよしなさい。そんなつまらない世辞などなくとも、あなたのことは気に入っているのだから」
「世辞などでは……」
「あら、本当? 嬉しいわ。ならば余計に忠告しておきましょう。もういいのよ、クリス。今から殿下のお心を取り戻すなど不可能。わたくしに付いても何の得にもならないわ。あなたは素敵な人だもの。今からでも聖女様と仲良くなれるはず。だからもう、こそこそとわたくしのために動いてくれなくて結構よ」
「ま、まさか私の行動は全部――」
「ふふ、わたくしを誰だと思っているのかしら?」
ふわりと微笑んでから、彼女は立ち上がった。
「そろそろお暇しましょう。短い昼食時間をこれ以上邪魔しては悪いものね。それではクリス、ごきげんよう。あまり無理をしては駄目よ?」
「お、お待ちください!」
落ちないようにお弁当を避難させてからリミエラちゃんの腕を掴む。心外だ。身の振り方のために動いていたわけではない。
「聞き分けのない人ね。そんなにハーネスト家の名がお好き?」
「なんでそうなるんですか」
「だって、こんな可愛げのない女を好ましく思ってくれる人なんていないもの」
「……そういう面倒くさいところがめちゃくちゃ可愛いって思う人間もいるってこと、ちゃんと知っておいた方が良いですよ」
「……え」
今この手を離せばリミエラちゃんは一人になってしまう。自分の目的は彼女の幸せただ一つ。たとえ今までの行為が全て無駄だったとして、諦めるつもりなど毛頭ない。まだ挽回できるチャンスはある。
足元に跪き、彼女を見上げる。
「離れませんよ。私は、……私だけは絶対に。あなたの幸せを見届けるまでは」
「……ば、馬鹿。何を言って」
「本音をすべてぶちまけているだけです」
「あなたねぇ!」
「リミエラ様が言ったのではないですか。本音を語れと」
掴んだ腕をぐいと引き寄せ、手の甲に唇を落とす。騎士ではないが、献身と親愛を表す手段として言葉だけではなく態度でも示そうと思ったのだ。
「可愛いですよ。あなたはとても、可愛い人です」
「――ッ、か、かがみ、を見なさい。あなた、並みの男などでは隣に立つことも出来ないほどに魅力的だと、気付いていて?」
「それは初耳だ」
つまり格好いいと言ってくださっているのか。それは純粋に嬉しい。ありがとうの意味も込めて微笑むと、リミエラちゃんの顔が真っ赤に染まった。そりゃあもう頭から煙が吹き出そうなくらい。耳の先まで赤くなっている。
「リミエラ様? 大丈夫ですか?」
「――くっ、不覚。あなたの奇行には慣れたと思っていたのだけど。わたくしもまだまだね」
「奇行のつもりはないのですが」
「でしょうね! ……もう、分かりました。お好きになさい。あとで憂いでも知りませんからね! せいぜい後悔することだわ!」
まるで捨て台詞のような言葉を吐いて去っていくミリエラちゃん。優雅さの欠片もない全力疾走だ。珍しい。貴族の作法が服を着て歩いているような子なのに。それだけ動揺させてしまったってことか。
「可愛さ天井知らずじゃん……」
本音をぶちまけてしまった反動か。ついうっかり心の声が漏れ出てしまった。いけないけない。この服を着ている時は殿下の側近として相応しい態度を心がけるべしと自らを律していたのに。リミエラちゃんが関わるとこうも容易く崩れてしまうのか。
推しのパワーやばいな。
「ふふ。気合を入れ直してもらえた気分だ」
正直、今までの作戦が失敗続きだったため多少なりとも気落ちしていた。でも、まだ大丈夫。まだすべてが終わったわけではない。
もともと自分が得意なのは一点に絞ってそこに全力を注ぐこと。あれもこれもと手を広げすぎたから、取っ散らかって上手くいかなかったのだ。
つまり自分が目指すべきゴールは――婚約破棄現場での大どんでん返しただ一つ。
目標が見えた瞬間、雲が晴れたかのように目の前に光が広がった。大丈夫。モブから側近にまで成り上がれたのだ。無理を意地で通すくらいの無茶、やりきってみせる。
すべては、リミエラちゃんの幸福のために。
そうと決まれば善は急げだ。避難させておいたお弁当を急いで腹の中へ押し込むと、さっさと中庭を後にした。
リミエラちゃんが行ったとされる悪事は、すべて勘違いやすれ違いが原因だ。一つ一つ丁寧に紐解いていけば、誤解を晴らせる可能性は大いにある。
殿下たちは目撃者――特に息のかかった身内の証言で固めてくるだろう。ならば自分に出来る対抗策は、それらの証言を片っ端から論破していくことだ。
休憩時間や睡眠時間、ありとあらゆる隙間時間を切り詰めて資料作成に取り掛かる。
今度こそ修正力などに負けるものか。
まずは証拠集めから。
彼女がヒロインを苛めたとされる現場。そこに居合わせた者を見つけだし、証言をとり、どのような経緯でそうなってしまったかを懇切丁寧に解説、紙にまとめる。
リミエラちゃんのツンデレ語録の言い換えはもちろん、彼女がヒロインを階段から突き飛ばしたなどの件は、映像媒体での記録が残っていたのでそれを拝借。現場の状況、建物の構造、ヒロインが落ちた角度、それぞれが事前に取っていた行動などから多角的に計算し、ヒロインが足を踏み外したところに手を伸ばしただけで結局間に合わず落ちてしまった、という真実に誰もが納得できるよう、証拠や証言をきっちりと固めた。
問題はこれを殿下たちにつきつける時、邪魔が入らないかだ。
今までさんざん煮え湯を飲まされてきたのだ。念には念を入れまくり、何があっても対応できるよう準備は整えておく。
オタクの執念甘く見るなよ。
資料をまとめながら、ふうと一息つく。
ただ――それでも懸念が一つあるのだ。
城内で広まっている噂の中に、明らかにでっち上げられたものが混じっている。
独自に調べた結果、王太子殿下の周辺から広まった可能性が高いと結論が出た。ヒロインとの婚約を円滑に進めるため、殿下自らリミエラちゃんを貶めたか。それともヒロインがあることないこと殿下に吹き込んだか。
なんにせよ、警戒はしておいた方がいい。
婚約破棄イベントが何度も起こる可能性は低い。シナリオに齟齬が起きてしまうからだ。となればこれが最初で最後のひっくり返せるチャンス。どんな手を使ってでもリミエラちゃん不幸フラグは完膚なきまでに叩き折ってやる。
対策に対策を重ねすぎて貯蓄があれよあれよと減っていったがノープロブレム。
どうせこれが終わったら側近なんて続けていられないし、両親と同じく冒険者にでもなって荒稼ぎしてやるさ。
ぐりぐりと腕を回して肩の凝りをほぐす。
中庭での出来事からすでに数カ月が経過していた。明日はついに殿下の誕生日パーティーもとい、婚約破棄イベント当日。
疲れが祟って失敗しては元も子もない。休息はしっかりとらないと 。
ベッドにごろんと横になって目を瞑る。そしてしばしの眠りについた。
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