冷酷な覇王の予期せぬ溺愛 SS「ガーフの日記」

ガーフの日記



最初に、おや? と思ったのは、書き殴りの酷い一文——「今夜、君のベッドに行ってもいいか?」を目にした時だった。


皇帝はそれを読もうと頑張る王子を見て、ニヤニヤしている。その顔を見たガーフは、久々に悪童だったころのタールグを思い出した。


ガーフはもともと語学の教師をしていたが、給金が少なく、休みの日には清掃の仕事をしていた。タールグのいる屋敷も、それで派遣されたのだ。


最初に出会ったのは、彼が5歳の時。誰か来れば、ひどいいたずらをしていた。

言葉もわからず、ほとんど人もいない屋敷にずっと閉じ込められているのは辛いのだろう。来客に興奮して、結局悪さをしてしまうらしい。

掃除が邪魔されてしまい、はかどらないので、たまに遊びに付き合うことにした。タールグはそれで満足したのか、次第にガーフに慣れていき、その流れでこちらの言葉を教えるようになった。


だがある時を境に、突然様子が変わった。暴れん坊だった子が、急におとなしくなったのだ。少ししてから、母親が死んだとポツリと言った。そして、言葉をもっと教えてほしいとガーフに頼んできた。その時初めて、タールグがどういう立場の人間か知った。


そのうち戦が始まり、ガーフは屋敷にやってきた敵兵の目を誤魔化し、タールグを隠して、夜に連れ出した。さすがに10歳の子を見捨ててはおけなかった。


以来、タールグを最後の生徒と思い、見守っている。タールグは乾いた土に水が浸み込むように、教えることをすべて貪欲に自分のものとした。この子はどうなるのだろうと思って楽しみに見ていたら、あれよあれよという間に皇帝にまでなってしまった。


それで宮殿に呼び出されて、久々に話をしたら、前よりももっと厳しく無機質な雰囲気になっているではないか。ガーフは内心心配していた。自分の中には、いたずらをしては笑う幼い姿が残っている。

だから王子を見てそんな顔をするタールグに、少しホッとした。


目の前でタールグが王子を口説いている。ガーフはその様子を興味深く見ていた。

彼の十代後半は血生臭い男たちに囲まれ、戦に明け暮れていたし、女は黙っていても寄ってきていた。こんなことをするのは、初めてなのではないか。


タールグは、皇帝になる前のような、ギラギラと野望に輝く目をしている。

楽しいのだろうな、とガーフは顔に出さずに心の中で微笑んだ。おっとりした王子は、今まで周りにはいなかったタイプだ。きっと心の底では親しくなりたいのだろう。あの手この手でこちらの気を引こうとする5歳のころと、あまり変わらない。


タールグは思わせぶりな言葉をかけ続け、屋敷を出ていった。


「おやすみ、いい夢を」


王子は、タールグの背中が見えなくなるまでドアのところに立っていたが、中に入ると泣きそうな顔でガーフを見た。


「さっきの、どういう意味があるのかな?」


ガーフは返答に困った。タールグにはいろいろな思惑があるだろう。


「さぁ……年寄りには、わかりかねます」


王子は気落ちした顔をした。そこに付き人がバタバタとやってきた。王子を囲み、あれこれと心配している。王子は時折声を震わせながら、タールグに言われたことをそのまま付き人に告げた。


こういうところを見ても、王子は人のいい、あまり企みごともしない人間なのだと思える。そんな王子にすっかり絆され、二人の付き人はまるで姫を守る昔ながらの騎士のようになっていた。


タールグも王子の人となりは日報で把握しているはずで、だからこそ興味を持ったのに違いない。だが王子をここまで混乱させてしまっては、先ほどの態度もいささかやりすぎなのではないか。


タールグは何かに集中すると、それに向かって突き進む男だ。それが今までは政治や戦だったのだが、もしかしたら初めて人間にその矛先が向いたのかもしれない。だからまだ加減もわからないのだろう。


でも負けず嫌いのタールグと、争いごとが苦手そうな王子は意外と気が合うのではないだろうか。お互い張り合ったりしないだろうし、王子の優しい性格はタールグにとって新鮮だろう。どういう計画があるのかは知らないが、そのうち本当に仲良くなるのではないか。



……この時の直感はやはり正しかったと、ガーフは後から何度も思い返した。


それ以来、タールグはちょこちょこやってきては、王子と二人だけで話をするようになり、夕食も共にするようになった。


タールグの穏やかな顔を初めて見たし、それをさせる王子はたいしたものだ。そう思うのは付き人も護衛兵も同じだったらしい。特に付き人たちは王子を強く誇りに思っているようだった。


一度タールグが怒鳴り散らし、王子を宮殿に連れて帰った時はさすがに心配したが、結局ふた月で仲違いも終わった。後から考えれば、なんだかんだと理由をつけて王子を自分のすぐそばに置いておきたかったのだろう。タールグが離宮に滞在する時間は、どんどん長くなっていたからだ。


この辺りから、どうやらタールグは友愛以上の感情と執着を王子に抱いているようだと察した。

以降、ガーフの目には二人がいつもじゃれているようにしか見えない。


小さな時から知っているから、タールグが本当に心を許しているのがよくわかる。王子をかなり特別視していて、日報で知った王子の優しい言動や抜けた行動を、後から詳しく訊かれることはしょっちゅうだった。それでクスッと笑ったりする。


本当はあれこれちょっかいを出したいのだろうが、何かするたびに内気な王子とすれ違うのを、ガーフは微笑ましく見ていた。


さらに体の関係にまで進んだ日は、王子の様子ですぐにわかった。朝からぐったりとして、いつにも増してぼうっとしていたからだ。ついに狼に食われてしまったのである。その日王子は庭にも畑にも行かず、ベッドに座ったままたんぽぽの綿毛のようにぽわぽわと揺れていた。


付き人たちはその姿を見て、怒涛の勢いで医師の手配や寝具の交換、食事の内容変更などをこなし、夜に皇帝がまた無体なことをしようものなら、二人でどう止めに入るかという打ち合わせを綿密に重ねていた。


ガーフはそれを記録し、急ぎ皇帝の元へと届けるよう手配した。付き人たちが不興を買ったら、王子が悲しむだろう。

夜、タールグは部屋に入る前に、付き人たちに「食事して寝るだけだ」と言ったようだ。首が飛びかねない事態も覚悟していた二人は、安心して隣室に控えた。


一方タールグからは、王子の様子を知らせてくれて助かったと礼を言われた。レオナの体調が心配だったからだと。

それを聞き、タールグはこの王子を本当に大切にしているのだと実感した。


結局ユクステールの内乱もおさまった頃には、皇帝の寵愛は宮殿内で広く知られることになっていた。


……皇帝は王子と寝室を共にし、毎日のように励んでいるらしい。


二人用の巨大なベッドが宮殿に運び込まれてから、そんな噂が飛び交っている。実際には、王子は離宮で寝泊まりすることも多いから、あくまでも噂に過ぎない。

とはいえ、噂もすべてタールグのところに届けていた。日報はなくなったものの、週報は送るようにと言われている。


ガーフは字をうまく書けない王子の代わりに、相変わらず作物の観察結果をまとめていた。だから王子と一緒にいる時間はなんだかんだで今も長い。


今日の夕方も王子と一緒に鶸の間でまとめていたら、タールグがこっそり部屋にやってきたのに気がついた。二人の付き人は、皇帝の鋭い視線を受けて、一瞬黙ってから何事もなかったかのように二人で会話を続けている。ガーフもそれを見て、書き物に集中するふりをした。王子は何も気がつかず、しゃべり続けている。


「……それで、水を朝晩上げたグループと、朝だけにあげたグループでは……わっ!」


タールグが、王子を後ろからガバッと抱きしめた。


「ちょっと……びっくりしたよ!」


王子が後ろを向き、真っ赤な顔で抗議する。それを見たタールグは、楽しくてたまらないという顔でニヤニヤ笑った。


「全然気がつかないから」


「声をかけてくれればいいのにって、いつも言ってるのに!」


「それだとびっくりしないじゃないか」


「今度やったら本当に怒るよ」


王子が珍しくきっぱり言った。タールグが慌てて機嫌を取る。


「悪い。もうやらない」


タールグは椅子に座る王子の目の前で膝をつき、見上げた。王子の前では、いつもの尊大さはみじんもない。


ガーフは「農業に関する考察」を口述筆記するノートとは別のノートを取り出し、二人のやり取りをしたためた。王子はタールグの様子を見て、恥ずかしそうにしている。


「……驚かされると、その前に何を言おうとしてたか、忘れちゃうから」


王子がこちらを見ながら、困ったように言った。


「わかった。違う方法で驚かすようにする」


「だから、驚かさないでいいよ!」


王子がムッと口を結ぶと、タールグはうれしそうに笑った。


「心臓に優しい方法を考えるから」


タールグが王子を抱きしめる。ガーフはそっと席を立った。付き人二人も、一緒に部屋を出る。廊下で、付き人のイーサン・ビョークが言った。


「……最近、陛下はお二人いるんじゃないかと思います」

「私たち以外、あんな陛下を知らないだろうからなぁ」


ケイジ・ストラトスが苦笑する。


「まぁイチャイチャしてるのは悪いことじゃない。息抜きできる場があるほうがいいだろう。陛下も人の子だ」


ケイジがイーサンの腕をポンポンと叩く。


「しばらくかかりそうかな」


イーサンがつぶやいた時、「あぁ、イチャイチャするから朝まで入らないでいい」と後ろから静かな声がした。

イーサンとケイジがサッと青ざめる。

部屋から音もなく出てきたタールグは、さっきとは打って変わって冷めた表情で、付き人二人に言った。


「……明日から一週間のうちに、殿下が欲しいものを聞き出せ。これは命令だ」


たぶん王子に内緒でプレゼントでもするつもりなのだろう。

付き人たちがかしこまった返事をする。皇帝はガーフを見た。


「ガーフも、もし何か聞いたら教えてくれ」


ガーフは目をしょぼしょぼさせながらうなずいた。もうそろそろ自室に戻ってゆっくりしたいと思っていたところだったから、タールグが部屋に来てくれたのはありがたい。


王子が一番欲しいものは、タールグと朝から一日中過ごせる日だ。前にそう言っているのを聞いた。でもその答えでは、タールグは納得しないだろう。なにか派手な物でもあげて驚かせたいのだろうが、王子がそんなものを欲しがるとも思えない。どうするつもりなのだろう。


ガーフは、いそいそと部屋に戻るタールグを見ながら、くしゃっと笑った。




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