第33話 仲直りの仕方

 11月某日、同好会練習日。青木家、地下室にて。


「なんで?!」

「いいじゃない! 翼くんは、私のやりたいことやらせたいって、言ったじゃない!」

「だからって、理由くらい教えてくれたっていいだろ?! そうすれば、俺がどうにかできるかもしれないし!」

「言ったじゃん! ただやりたいだけだって!」


 11月の頭、俺はしおりと喧嘩した。珍しく……いや、初めてだった。

 きっかけは、しおりが突然、新聞配達のバイトをすると言ったことだ。早起きして、登校前にやりたいと。

 いくらやりたいことやらせると言っても、体を削ってやる意味があるのか。もし金が必要なら、俺だって協力できることがあるかもしれない。そう思って理由を正すうちに、口論になった。


「今だって、通院しなきゃいけないんだろ? そんな体でやることじゃないだろ?!」

「分かってくれなくて結構! 私がやりたいんだから、やりたいの!」

「そんなわがまま言うなよ! 俺だって、しおりが心配だから言ってるのに、俺の気持ちも少しは分かれよ!」

「それはどうもありがとうございます! 誰も心配してなんて頼んでない! 翼くんこそ、私の気持ちを分かってない! スクーシュナ!」


 もはや収集が付かない状態だ。


「もういい! ニリズャー!」

「しおり?!」


 とうとうしおりは、外に出て行ってしまった。

 真理とあおはる、夜野やのさんは呆気にとられた様子でいる。俺だって、人前でこんな大喧嘩したくもなかったし、見せたくもなかった。


「さぁ、練習しようぜ。ダンサーなんかいなくても、演奏できるし」

「つ、翼さぁ。落ち着こう……」


 真理がなだめにくる。


「ほっとけよ、しおりなんか。俺たち来月本番控えてるんだから、貴重な練習日を無駄にするな!」

「翼、そんな言い方ないよ……」


 気が付いたら、俺は真理にも怒鳴っていた。


「そうだぞ漆黒卿よ、お主何様のつもりだ!」

「ボス、どうぞ落ち着いてください」


 あおはるは俺にキレかかったが、夜野さんに言われ冷静を保つ。


「いいよ、お前らなんかあてにしないから」

「翼……」

「待て、卿よ!」

「ボス、平常心です」


 バタンと勢いよくドアを閉め、あおはるの家をあとにした。




「ったく、本当に心配してるのに、なんであんなに……」


 自転車を漕ぎながら、冷える夜道で1人、文句を呟き続けた。

 結局ここか……。


 河川敷に来た。

 糸で補修した楽器ケースから、サックスを取り出す。


「兄さんあのとき、なんて言ってたのかな……」


 濁流に飲まれる兄さんが、最後に俺に伝えようとした言葉を考える。


「――分からないよ兄さん……」


 考えても思い出せないまま、サックスを吹き始める。

 結構冷えるな……。あの日も冷える夜だった。いや、風花が舞っていないだけ、あの日よりましだ。

 そう、去年この場所で初めてしおりに会った。ついこの前みたいに思えるのに、あれからもう1年近くが過ぎている。

 それを思い出しながら演奏を続ける。あの日と同じ「ホワイトクリスマス」。

 時期尚早だな……。自分で鑑みながら辺りを見る。

 そこにはまた、月明りの下で舞う陰があった。


「しおり……」


 無我夢中で、その陰に近寄る。


「――クリスマスまで待てないの?」


 しおりは俺に、優しく微笑む。


「しおり、どうして……」

「翼くん、今クリスマスの曲なんて。あわてんぼうのサンタクロースどころじゃないよぉ」

「し、知るか……」


 いつもの調子のしおりに、合わせるのが恥ずかしくなる。


「さっきはごめんね」

「いや、俺こそごめん。ほんと……ごめん」


 素直に謝るしおりに、俺も素直に謝り返す。


「翼くん、去年と変わってない。去年もここで謝ってたもん」

「あれ、そうだっけ?」


 しおりはくすくす笑う。


「でもね、2つ変わったよ」

「何が?」

「去年に比べて、サックスがすごく上手になった。もう私のダンスなんて、置いていかれるくらいに」

「それはさすがに言い過ぎだ」

「あはは、いつもの翼くんらしくなった」

「――2つ目は?」


 照れから、しおりの目を見れないまま聞く。


「2つ目は、かっこよくなった」

「は?」

「嘘じゃないよ。私にとっては、世界中のどの男の子よりも、翼くんが1番かっこいい」

「茶化すなよ……」

「本当だってば。嘘だと思うなら、私の目を見て」


 そう言うとしおりは、俺のほほを両手で支え、しおりの碧い瞳に、俺の黒い瞳を持ってくる。

 まじまじと見る、しおりの瞳。とても透き通っていて、とてもきれいだ。


「翼くんには私がどう見える?」


 そんなの、答えは1つに決まってる。でも中々その答えを口に出せず、少しの間を空けてやっと口が動く。


「かわいい……」

「聞こえないよ。もっとはっきりと」


 絞り出したような俺の声に対し、しおりは不服そうに言う。


「しおりは他の誰よりもかわいい。俺はしおりが好……」


 そこまで言いかけたとき、俺の唇にしおりのそれが重なってきた。


「しおり……」


 ファーストキスだった。小さい頃はきっと母さんや、もしかしたら真理ともしたかもしれない。でもちゃんと、キスと呼べるものは初めてだ。

 しおりの唇はとても柔らかく、温かかい。


 そして唇が離れると、しおりが言う。


「これで仲直り。ロシアでは、これが仲直りの儀式なんだよ」

「嘘つけ……」

「本当だってば。喧嘩すると、最後みんなこうして仲直りするんだよ」


 え、本当なのか? 俺、日本しか知らないし、外国ってそうなの? もしかして、しおりも向こうで普通に男とも……。

 自分の無知と共に、様々な不安がよぎる。

 俺が混乱してるのを見て、しおりが笑いながら言う。


「イェヴレーッツォイェロウシォ、嘘だよ。ダメだな~翼くん。そんなんじゃ、悪い女に騙されるよぉ」

「余計なお世話だ。ファーストキスだったんだからな……」

「え、嘘? 日本てそんな感じなの?」


 しおりはいかにも、自分は経験済みだと言う感じで言っている。俺がその初めての相手じゃなかったことに、少し落ち込みつつ、どうにかやっと言葉を紡ぎだす。


「悪いかよ、ほっとけ……」


 そんな俺を、微笑みながら見てしおりは言う。


「新聞配達のアルバイトさ。おじいちゃんの知り合いに頼んで、期間は1か月だけなの」

「1か月?」

「うん。私も来月、全日本控えてるし。もし体調的に無理だと思ったら、バイトは途中でも辞めさせてもらうから」

「でも、なんでそんなにお金が?」

「内緒。でも信じて、翼くんに迷惑かけないから」


 迷惑と言うか、俺はしおりが心配なのだ。


「じゃあさ、俺もお願いがある」

「なぁに?」

「バイトの間、しおりを手伝わせてくれ」

「え、バイト代出ないよ……?」

「バイトじゃない、手伝いだ。報酬はいらない。それを飲めないなら、俺も認めないぞ」

「あはは、認めないって。それじゃまるで、私の彼氏みたいだね」

「あ……」


 しおりの言葉に、確かにそれは彼氏の台詞だと納得し、恥ずかしくなる。


「じゃあお願いします。もし朝起きるの大変だったり、疲れたりしたら、無理に続けなくてもいいからね」

「男に二言はない。泥船に乗ったつもりで任せろ!」

「泥船って……沈むんじゃなかった? 大船でしょ?」

「あ……」

「あははは」


 俺は浮かれて、素で間違えた。


「じゃあ、明日からお願いします」

「あぁ、しおりの家に迎えに行くよ」


 別れ際にそっと、しおりが言った。


「私もファーストキスだよ」


 その言葉を聞いて俺は舞い上がり、大声で歌いながら自転車を漕いだ。周りの人の冷たい視線を感じたが、ぜんぜん気にもならなかった。


『今なら世の中の全てを許せる』


 俺はまさに、そんな悟りの境地にいる気持ちだった。

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