第32話 みんなの気持ち

 一刻も早くしおりの側に行きたかったが、家族でもない俺は救急車に同乗することはできない。保険医の先生が同乗して、救急車は病院へ向かった。

 不安と心配で、その場に泣き崩れる真理。あの夏休みの出来事は、俺しか知らない。

 だけどその俺も、全身の力が入らず、愕然とその場に腰を落とす。


「おい、ちょっと」


 そんな俺に天川順也が呼びかける。おかしな話だ。兄妹なのに兄なのに、救急車に乗らなかったのか。そんな思いを巡らせ、誘導されるまま校舎の裏に向かう。




「お前、なんでしおりに躍らせた?!」

「え……」


 理解できない。踊るのがなぜいけないのか。


「何も知らないのか?! 知らないふりをしてるのか?! ダスターテツィナ!」

「何を……ですか」


 ますます意味が分からない。


「あいつの、しおりの身体のことを!」

「しおりの身体……?」

「もう、もたない……限界だ……」

「――それってどういう?!」


 ロシアでの火事のあと、救出されたしおりは病院で手術を受けた。その際に色々検査した結果、病気が確認されたと言う。病魔は進んでおり、もう手の施しようはなかったらしい。そこでしおりに告げられた余命は、2年だったそうだ。

 駆け落ち同然で結婚した母親の親戚とは疎遠で、ロシアに身寄りのないしおりは、義足が適応すると日本にやってきた。祖父に呼び寄せられ、そこで寿命を全うするために。

 回復する見込みがないことは、しおり自身も承知している。そういった話を、天川順也は俺に言って聞かせた。


「そんな……しおりはなにも……」

「俺だって、これが嘘ならそれに越したことはない! あのじじいが俺に打ち明けたんだから、仕方ないだろ!」


 震えが止まらない。


「おじいさん、が……?」

「分かったらもう、しおりに躍らせるな! わずかでも生き長らせる為に」

「…………」


 そう言うと、順也は俺を押し退け去っていった。


 どういうことだ。しおりは、治らない……? ショックが大きすぎて、俺は動けない。しおりが、いつも俺の横で、笑ってくれていたしおりが。

 俺はもう抜け殻だった。何もしたくない。何も見たくない。何も聞きたくない。

 そのまま教室に戻らず、ふらふらと学校をあとにした。




 しおりの搬送先の病院なんて分からない。じっとしてると落ち着かないので、家にも帰りたくない。だからと言って、行く当てもない。

 千鳥足だった俺が止まったのは、天川楽器店の前だった。

 もちろんしおりはいない。じいさんもいない。誰もいない。

 でもここにいるのが、一番落ち着いた。ここじゃないと、俺は消えそうだった。


 どれだけ時間が経っただろう。時間の流れも俺には分からない。辺りも暗くなり始めたとき。


「翼君かい?」


 俺の耳に入ってきたのは、しおりのじいさんの優しい声だ。

 そしてじいさんは、家の中に俺を招き入れてくれる。俺はここに来た経緯いきさつを話す。


「ったく順也め、翼君になんてことを」

「あの……おじいさんは、病院にいなくていいんですか?」


 全部を知るじいさんの声だけは、わずかでも我慢していた、俺の口を開かせてくれる。


「あ~、追い出されたんじゃよ」

「追い出された……?」

「順也が付き添うからいいと、わしに『年寄りは帰って寝ろ』とほざきおった」

「順也さんは、ここに住んでないのですか?」

「やつはよそでアパート住まいしとるよ。あいつは丈志君と一緒に教えてた頃から、しょっちゅうわしに反発してきてのう」

「何かあったんですか?」


 そうか、天川順也は兄さんと兄弟弟子になるのか。


「ただの嫉妬じゃよ。ほれ、わしが丈志君ばかり褒めるから、拗ねたんじゃろうて」

「そうだったんですか……」

「まぁあいつも、確かに才能はすごいもの持ってたんじゃが、やはり身内には厳しく当たってしまうもんでな。わしもちぃ~っとばかりは、反省しとるがの」

「俺も順也さんの演奏、聞きましたよ。確かにすごかった、圧倒されました」


 そう言うと、じいさんは少しばかり笑顔を見せる。


「昔からかわいい子には旅をさせよと、よく言ったもんじゃな。順也め、随分腕を上げたようじゃな」

「しおりは……?」


 少し落ち着いたところで、俺は核心を聞く。


「あ~、すまんかったな。しおりのこと、わしも知ってるもんじゃと思って」

「どうなんですか、容態は?」

「安静にしておるよ。今は薬でぐっすり眠ってるようじゃ」

「死なない……ですよね?!」


 これが適切な言葉かどうかもわからなかったが、妥当な言葉を選ぶほど頭は働かない。


「――翼君、人はいつか死ぬもんじゃ」

「…………」


 一呼吸あけて、じいさんは真面目に話し始める。


「大事なのは、生きてるときに何をしたか。何が出来たか。何を残せたのか」


 じいさんは、真剣な眼差しで続ける。


「わしは丈志君や順也を残せた。弟子としてな。丈志君は残念じゃったが、その意思を継いだ君がおるじゃろ」


 俺はただ、息を殺しながら聞き入る。


「しおりもそうじゃよ。しおりは何をした? 何が出来た? 何を残せた?」


 まるでしおりはもういないような物言いに、俺は落胆しながら、しおりと過ごした日々を思い出す。


 初めて会った河川敷、失敗した転入初日。バレンタイン、アンサンブルコンクール、七夕やお祭り、遊園地、文化祭。それらを思い出すと、涙が止まらなくなった。


「――俺、しおりが好きです……」


 質問の答えじゃない。俺はただ、自分の気持ちを打ち明ける。じいさんはそんな俺の手を、優しく握る。


「しおりは君の中に、色々と残せたようじゃな」


 そう言うと、じいさんの目からも涙がこぼれ出る。


「順也がなんと言っても、しおりのやりたいことを、やらせてやってください。君にしかできない頼みじゃ。どうか、引き受けてください」


 じいさんの握る手は力強さを増し、俺みたいな若造に丁寧にお願いをする。


「……はい、俺こそ。しおりが嫌だと言うまで、隣にいさせてもらいます。その役だけは、俺にやらせてください」


 俺とじいさんは、そのまま次の言葉は出ない。言葉はなくとも、お互い言いたいことは分かった。


「?!」


 ラインが届いた。しおりからだ。他にも真理やあおはるから来ていたが、そっちはごめん、今は後回しだ。

 しおりのメッセージを確認する。(翼くん会いたい)


「おじいさん、病院教えてください!」

「ちょっと遠いぞ?」

「構いません!」


 そのとき、外で車のブレーキ音が響いた。


「おじいちゃん、言われたもの買ってきたわよ」

「おお、すまんの。真由美ちゃん」

「真由美さん?!」


 すぐに真由美さんが入ってきた。


「なに驚いた顔してるのよ?」

「だって……」


 俺を見ると、真由美さんはさも当然のように言う。


「この老いぼれじいちゃんが、徒歩で病院から帰って来れると思う?」

「老いぼれとは……酷じゃのう」

「あ、ひょっとして真由美さんが?」

よ。おじいちゃん送ってきたら、家の前で行き倒れになってる翼を見て、買い物頼まれたのよ」

「買い物って……?」

「ほれ」


 そう言って、真由美さんは俺に毛布を投げてきた。


「毛布……?」

「しおりちゃんに、付き添うんでしょ?」


 真由美さんが俺にウインクする。


「真由美さん! 病院までお願いします!」

よ。さぁ飛ばすわよ!」

「2人とも、よろしくのぅ~」


 車に乗り込むと、真由美さんの形相は一気に変わる。アクセル全開の車内は、どの絶叫マシンをも凌駕していたが、一刻も早くしおりの元に行きたい俺にとって、その絶叫マシンはとても心強いものだった。




 だだっ広い総合病院の入口に車をつけると、真由美さんは言った。


「西棟の3階、3011号室よ。先に行ってて、私は駐車場に車入れてくるから」


 真由美さんに言われ、俺はすぐに病室に向かう。


 病室の前に来ると、そこには順也がいた。


「何の用だ」


 強い口調で、俺をギロっと睨む。


「しおりに会いに来ました」


 物おじせずに、はっきりと答える。


「お前、なんもわかってないのか。まだしおりに負担かけるのか、あぁ?!」


 鬼のような剣幕で凄む順也の腕を、後ろから誰かがグっと掴む。


「シトー?!」


 やってきたのは、真由美さんだった。


「なんだよ?!」

「順也、何も分かってないのはあんたでしょ! 翼、入りなさい。こいつは外に放り出しておくから」


 俺は真由美さんにお辞儀すると、病室に入った。


「しおり……」


 しおりはベッドに横になって、相変わらず夜空を見ている。


「翼くん、来てくれたんだ。ごめんね、病気のこと……」


 しおりは顔を覆う。俺はしおりにゆっくり近付き、抱きしめる。


「しおり、いいんだよ……」


 俺たちは泣きながら、そして笑いながら色々なことを話した。楽しかったこと、辛かったこと、やりたいこと、やって欲しいこと。


「1日も早く退院できるよう、いい子にするからね」


 病室を出るとき、しおりは笑顔で俺に言った。それを聞いて俺も笑顔を返した。

 来てよかった。話せてよかった。2人とも笑顔になれてよかった。




 軽音のみんなも、毎日お見舞いに来た。

 真理は学校の話をして元気付け、あおはるはいつもの調子で笑わせ、夜野やのさんは看護師さん顔負けなほど、テキパキと身の回りの世話をしてくれた。


 もっと長引くかと思ったが、意外にもしおりは1週間で退院できた。

 そして笑顔で学校に復帰した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る