第27話 イアンなんて知らない

 それは入口から、おどろおどろしい雰囲気全開だった。


「これ、ちょっと……やばいかも……」


 早くも真理が、半泣きになり始める。


「お、お主たち……この程度で。怖気おじけづいて……」

「ボス、どうかわたくしをお守りください」


 腰が完全にひけているあおはると、台詞の割に全く怖がっている様子のない夜野やのさん。


「雰囲気、すごいね……」


 さすがのしおりも、これには恐怖を感じているらしい。


「よし、入るか……」


 本当はすぐにでも回れ右したいのに、しおりの前でつい口が走ってしまう。


 中は薄暗く、ヒュゥゥゥっと生暖かい風が体に当たる。やっと分かるのは、ここが廃病院だということくらいだ。


「ひぇぇぇぇ!」


 風が当たるだけで真理が叫び、その悲鳴に俺もしおりも動けなくなる。


「はい、そのまま真っすぐ。その調子です、ボス」


 あおはるは目をつむり、夜野さんの両手を握って先導してもらっている。「あんよが上手」状態である。当の夜野さんは、のそのそどころか、器用に後ろ歩きで暗い中を進んでいる。薄明りに照らされた彼女の口は緩み、とても幸せそうに見える。

 あんな状態で夜野さん楽しいのか? ほとんど1人で行くのと同じじゃん……。きっとあれでも、夜野さんはデートのつもりなのだろう。


「絶対に、離さないでよね……」

「翼くん、置いていかないでね……」


 真理としおりは、それぞれ俺の両手を掴み、後ろを歩く。かなり嬉しいシチュエーションなのだが、問題はある。そう、俺が先頭なのだ。絶対に動きたくないが、そういう訳にはいかず、ゆっくりゆっくりと、石橋を叩くように歩く。


「え~ん、え~ん――」


 少し歩くと目の前に、壁に向かって座り泣く女の子がいた。


「お、お嬢ちゃん……どうした?」


 まさか家族とはぐれてしまったのかと思い、声をかける。


「え~ん、え~ん――」


 全く反応がない。俺は直感する、だ。心配して近付いたところで、いきなり「バ~」って驚かせてくるタイプの。

 危ない危ない。古典的なトラップにひっかかるところだった。こっちは何もなくても、心臓が飛び出そうなくらいなのだ。これ以上心拍数が上がったら死んでしまう。そう思い俺は迂回を選ぶ。


「あれ……?」


 おかしい、両腕を2人に掴まれていたはずなのに。片方が軽いのだ。


「大丈夫? 迷子になっちゃったかな? 心配ないよ、お姉ちゃんが――」


 振り向くと、しおりが罠にかかっている。そう、この古典的トラップを、ロシア育ちのしおりは分からなかったのだ。


「しお……」


俺の叫びは一歩遅かった。


『――あたしきれい?』


 そのお化けの首は、180度回転してしおりを襲う。

 悲鳴を上げる暇もなく、しおりはその場に卒倒した。


 そこからの俺は無我夢中だった。倒れたしおりをおんぶして、おんぶしたままの手で真理の手を握り、そのまま襲い掛かるお化けたちをくぐり抜けた。




「づばざー、ありがどう……男らじかっだよー」


 真理は恐怖が終わった安堵から、半泣きのまま俺に感謝を伝える。


「う、ううん……」


 しおりが目を覚ます。


「しおり、大丈夫か?」

「え、え……あれ?」


 俺におんぶされている現状が、理解できていない様子だ。


「立てるか?」


 小さくうなずいたしおりを、俺はゆっくりと降ろす。


「ごめんね、翼くん。私……」


 申し訳なさそうにしおりは言う。


「平気だってしおり。軽かったし。真理だったらやばかったけど」

「なんだってー?!」

「いつもの調子に戻ったな、真理」

「く……」


 俺と真理のやりとりを見て、しおりは笑みをこぼす。


「あれ、そういえばあおはるたちは?」

「出口で待ってるかと思ったら、どこ行ったん?!」


 俺が言うと真理が反応する。薄暗くなり始めた辺りを見ながら、あおはると夜野さんがいないことに気付いた。


「先に行っちゃったかなぁ?」


 しおりは遠くを見つめながら言う。


「まぁ最悪スマホで連絡取ればいいし、歩きながら探そうか」

「そうだな」


 真理の提案に俺は乗る。このまま散歩も悪くない。むしろここのアトラクションは心臓に悪い。

 俺たちはあおはるを探しがてら、パークを散歩した。




 そうして3人でしばらく歩いていると、真理が言った。


「あれ、ここって、あの野外ステージじゃない?」


 その声を聞いて回りを見ると、そこは夜野さんが説明していた、フェスの会場だった。


「結構人いるんだね~」


 しおりは興味深そうに人混みを見つめる。


「はーい、では次の方。カップルさんかなぁ?」


 会場の司会者の声が、スピーカーを通して聞こえてくる。


「何を言うか、無礼者」

「あ、あれ、違うのかな? 失礼しました」


 聞き覚えのある声が響く。


「ねぇ、この声……」

「あぁ……」

「あれだよね……」


 3人は視線をステージに送る。


「某は地獄よりの使者、イビルマスター!」

「お~、ヘビメタやってるのかなぁ?」


 司会者は、あおはるをヘビメタのバンドマンだと思ったようだ。まぁあり得なくはない。だが、そうではない。


「じゃあそっちの彼女、自己紹介を……」


 司会者が夜野さんにマイクを向けると、あおはるはそれを奪った。


「こやつは我が忠実なるしもべ、堕天使リカーニャだ!」


 そういう設定になったらしい……。


「あはは、ありがとうございます」


 司会者も苦笑いに変わってきた。観客は爆笑の渦だ。コメディアンなら、成功していたかもしれない。


「でも終電の時間もあるし、あおはる大丈夫なのか?」


 俺の言葉を聞いて、真理が足早にステージに寄って行く。そして必死にあおはるに向けて、腕時計を指すジェスチャーをする。


「ではご参加はお2人でいいですか?」

「いや、待て」


 司会者がそう確認したとき、あおはるは真理を発見したようだ。


「マリーよ、やっと来たか」

「お、もう1人いたのですね。ではそこのお嬢さん、どうぞこちらへ」


 かわいそうに、すまない真理。お前の犠牲は無駄にしない。

 恨めしそうにこちらを睨みながら、司会者と観客の注目を集め、あとに引けなくなった真理は、しぶしぶといった足取りでステージに上がる。


「真理ちゃん、ごめんなさい……」


 しおりは真理に向かって手を合わせる。謝罪の合掌と言うよりは、まるで仏様に念じるようなそれである。

 真理よ安らかに……。だけどこの時点で俺ははまだ、真理を助太刀に入る気持ちがわずかにはあった――ほんのわずか。


「ではお嬢さん、自己紹介を――」


 またあおはるは、マイクをガバっと奪う。


「こやつはマリー・アン――」


 え、フルネームあるの? まさか「マリー・アントワネット」とでも言うのか? 俺は新たな設定に、ドキドキしながら次の言葉を待つ。


「マリー・アンコールワットだ!」


 それ、遺跡……世界遺産……。


「――あはは、これはユニークなお名前の方ですね……」


 司会者の顔は引きつり、会場は大爆笑。俺は真理を助けることを諦め、完全に他人のフリに徹する。

 真理はこのとき顔面蒼白になりながらも、あおはるを睨むその視線からは、殺意しか感じ取れなかった。


「あとで真理ちゃんに、ジュースおごらなきゃね……」

「うん、俺アイスも買ってやる……」


 俺としおりは真理の弔いを誓う。




「――素晴らしい。ではみなさんスタンバイお願いします」


 3人は司会者と、楽器の打ち合わせをしたようだ。楽器はステージ上に用意されている。ピアノにドラムにベースと。随分幅広く揃えてある。


「それではお待たせしました。サックス界の貴公子『イアン・パブロフ』さんの登場です! 皆様、大きな拍手を」

「へー、即席セッションするんだ。交流ってそういうことか。でも知らないなぁ。イアンて人、有名な人なのか?」


 そう言ってしおりのほうを見ると、彼をじっと見つめる彼女の顔は、その驚嘆を隠せずにいた。

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