第26話 お弁当大作戦

 遠足当日。俺たちは早朝から電車とバスを乗り継ぎ、目的地に到着した。


「イエンチェレースナ! すごーい、富士山だよ! 富士山!」


 これも初めての富士山に、大興奮のしおりである。


「ではいいか、みなの者。遠足は家に帰るまでが遠足だからな」

「ボス。みなさまはすでに、中に入られました」


 浮足立つしおりは、早々と中に入る。俺と真理もあとを追う。あおはると夜野やのさんは、まぁ2人でも大丈夫だろう。




「つ、翼……これ、高すぎない? ま、まだ、上がるよ……?」

「お、おう。なんだ、びびってるのか……?」


 早速絶叫マシン「フジサマ」に乗る。俺の隣は真理だ。


「翼こそ……こ、声、震えて……」


 真理め、女っぽいじゃないか……。

 ゆっくり坂を上るライド。しばらく進むともう地上が見えない。視界に入るのは高度10メートルごとの標識と、見事な富士山だけだ。

 いつまでも終わらない上り坂の中、前触れもなくライドは急降下する。


「きゃぁぁぁぁぁぁ!」


 絶叫する真理。俺は悲鳴をあげる余裕さえない。気が付くと、真理は俺の手をぎゅっと掴んでいる。


「はぁはぁ、これ予想以上だったわ……」

「なんだ、ちびったのか……」

「すっごい楽しかったよね~」


 俺と真理は憔悴していた。だがしおりは平気なようだ。俺はこの時点では、どうせ空元気からげんきだろうと思っていた。


「これ、下が見えたらもっといいのにね」

「は……? あ、うん。そうだな……」


 次の絶叫マシンはしおりが隣だ。


「し、しおり、怖くないの……?」

「え、どうして? 楽しくない?」


 聞くだけ野暮だった。空元気どころか、心底楽しんでいるようだ。俺の「しおりと手を握る作戦」など、どこ吹く風であった。


「う……ぎゃぁぁぁぁ!」


 ライドが上り坂の頂点に達すると、不覚にも少し悲鳴が漏れてしまう。これは乗る前に外から見て知っていたから。このあとに控える下り坂の角度が、90度を超えていることを。

 そしてその坂の急降下が始めると、今度はあまりのスピードと重力とで、俺は目を開けていられない。


「?!」


 自分が怖いからでなく、怖がる俺を気遣ってのことだろう。しおりは力む俺の手に、そっとその柔らかい手を添えてくれたのだ。


「翼さぁ、後ろまで悲鳴聞こえたんだけど?」

「き、気のせいだろ」

「あはは、どうだったろうねぇ? 翼くん」


 しおりは嬉しそうに俺を覗き込む。俺は恥ずかしくて、さっと目をそらす。

 次の絶叫マシン。俺の前の席には真理としおりがいる。

 乗る前に靴を脱ぎ、足下は宙に浮いたままぶらぶらしている。いつもなら足を床につけ、恐怖心を和らげるのにこれではその踏ん張りが効かない。空気にさらされひんやりする足下は、俺の恐怖をさらに搔き立てる。


「くそ……俺1人じゃ、ただただ怖いだけじゃないか……」


 拷問のような時間が始まり、例の如く俺は、迫りくる恐怖に襲われる。だがそのとき、俺の手に柔らかながあった。

 隣の人も怖いのだろうか? 絶叫マシンの恐怖から、乗る際には周りが見えていなかったが、きっと寂しがり屋の女性なのだろう。

 かわいそうに、男の俺でも怖いのに。女性1人なんて。俺は決してやましい気持ちでなく、1人孤独に恐怖と戦っているこの人を、支えてあげたいという思いから、その手を握りしめる。とても柔らかく、温かい。


 最後の坂を走り抜け、終着点に着いてセイフティバーが上がる。俺はその見知らぬ人に、優しく笑顔で語りかける。


「あはは、怖かったですね~」

「はい、ありがとうございました……」


 そこには絶叫マシンより怖い、髭づらのがいた。




「もう、翼だらしないな~」

「大丈夫かな? 翼くん」


 俺は降りるとすぐにトイレに急行する。ちょっと吐き気を催したのだ……。


「なんだお主。乗り物酔いでもしたのか、情けない」

「さすがですボス。ボスはまだ8回しか、お手洗いに寄ってございません」


 トイレを出るとあおはるたちもいた。


「じゃあみんな揃ったし、お昼でも食べよっか」


 真理の言葉に時計を確認すると、もうお昼を回っていた。




 ピクニックエリアでレジャーシートを広げ、各々持参したお弁当を出す。


「じゃじゃーん、あたし超早起きして、半分作ったんだぞ~」


 半分。つまり残り半分は、真理のお母さんが作ったってことだ。


「マリーよ、某のほうが豪華だぞ」


 ツッコミを入れない夜野さんの弁当を見ると、あおはると同じだった。


「あれ、ひょっとしてあかりちゃん。春人君にお弁当作ってあげたの?」


 しおりは興味深そうに聞く。


「ボスの、栄養管理を考えまして……」


 歯切れが悪い。珍しく夜野さんは照れているらしい。


「あー、翼のお弁当。お母さんの手作りでしょ?」

「ん、あぁ」

「これ頂戴よ。代わりにあたしのこれあげるから」


 そう言うと真理は、俺のだし巻き卵を1個奪い、ウインナーをよこした。


「それ、あたしが作ったんだから」

「ほう?」


 縦に半分切れたウインナーは、両端にビラビラしたものが開いている。これ、あれか。タコさんウインナー的な。でも半分に切れてるし、何の形だ?


「どう? 翼。かわいいでしょ? 何だか分かる? ヒントは海の生き物でーす」

「お、おう……」


 クイズを振られてしまった。タコだったら半分に切らないし。これ、ヒントまで出されて間違えたらやばいな。よく考えろ俺、海にいて……端っこに開いたビラビラ……。


 俺は整った。


「もちろんだ。これはイソギ……」


 言いかけたそのとき、真理の後ろでしおりが両手を、頭の横でチョキチョキして、必死に俺にアピールしているのが目に入る。


「――カニだ」

「大正解~。さっすが翼」


 なんとか、真理のご機嫌を損ねることはなかった。


「あ~、しーちゃんのお弁当。もしかして自分で作ったん?」

「うん。私いつもご飯作ってるから。ほら、うちはおじいちゃんしかいないから」


 しおりの手作り弁当。とても美味そうだ。


「すごいよ。うちのお母さんが作るようなお弁当じゃん」

「あはは、ありがと」


 俺の母さんのそれと比べても、遜色ない。


「ねぇねぇ、そのミニハンバーグ交換して~」

「うん、いいよ~」


 真理はそう言って、しおりのミニハンバーグと、イソギ……もとい、カニさんウインナーを交換する。

 この交換大好きっ子め、俺もしおりの手作り弁当食べたいぞ……。


「翼くん、私も交換してもらってもいい?」


 俺の念が通じたのか、意外にもしおりから申し出てきた。


「あ、あぁ」

「じゃあ、これとこれで」


 しおりは俺の唐揚げと、しおりの唐揚げを交換する。同じもの同士なのに。ただ、しおりの唐揚げは母さんのと同じくらい、いや、母さんのとは違う美味しさがあった。


「あれって、何なんかな?」


 不思議そうに言う真理の視線の先を見ると、なにやら野外ステージを準備している様子が見える。


「本日イベントで、『交流音楽フェスティバル』というものが、あるようでございます」

「へ~」


 フェスがあることより、夜野さんの情報通ぶりに感心する。


「なるほど。某が主役ということか」

「あおはる、楽器持ってきてないじゃん」


 真理があおはるに、最もなツッコミをする。


「午後は何乗ろっか?」

「絶叫マシンは、だいたい乗ったからな~」


 俺は真理に答える。むしろ絶叫マシンを回避したい、誘導アンサーでもある。


「ねぇ、これってどうかな?」


 しおりが、に載っている1ページを指す。「戦慄病棟」日本最大級、最恐の呼び声高いお化け屋敷だ。俺は考える。確かに怖いが、中でしおりと2人きりになれるかもしれない。でも怖い。


「よかろう……お主たちが、どうしてもと言うなら……」

「ボス、体が震えております」


 あおはるは明らかに怯えている。


「怖いけど、行きたくなるんだよね……怖いもの見たさってやつ」


 真理も乗り気だ。


「翼くんは?」


 しおりが俺に聞く。脳内コンピュータは計算を始める。俺の恐怖度と、中での期待度。


「よし、行こう。ぜんぜん余裕。楽勝」


 そして俺は、ほとんど意味不明なことを言う。少々取り乱していたから。それは恐怖心ではなく、興奮から。

 なぜなら、悩む俺にそっとしおりが、ラインをよこしたから。(お願い♡)

 これが興奮せずにいられますかー!?


 ――まぁ今にして思えば、このときならまだ、引き返せたかもしれなかったのに。

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