第22話 織姫と彦星と天の川

「暑いよぉ~、溶けるよぉ~」


 梅雨が明け、夏本番の7月。昼休みの机では、しおりが死にそうな顔でへたっている。


「しおり、暑いの苦手?」


 俺は、そんなしおりを前に聞いてみる。


「しーちゃん、ロシアに住んでたんだもんね。日本の夏は耐えられないんじゃ?」


 苦笑気味に返す真理。


「これしきの暑さに耐えられんとは、まだまだ鍛錬が足りん!」

「ボス、首とおでこのジェルシートは、回収してよろしいですか?」


 部屋の隅で、またいつもの夫婦漫才開演かよ。


「でも確かに暑いよな。あれ、そういや明日――9日って土曜だよな?」

「あ、そうそう明日は……」


 俺の問いかけに真理が反応し、思い出したように揃ってに口に出す。


「祭りだ!」

「七夕だ!」


 答えは違った。そもそも七夕は昨日だろうが。


「ふ、愚か者どもめ。夏と言えば遊園地でお化け屋敷と、相場が決まっておるだろう」

「かしこまりました、ボス」


 観客のいない漫才はまだ続いていた。


「お祭り? 七夕? パジャールスタ! 行きたい、やりたい~!」


 死ぬ寸前だったしおりは、その単語を聞いて急に回復し、子供のように無邪気にせがむ。


「ふははは、お主たち喜べ! 我が城には、トレントが自生しておる!」

「ボスは、『家に笹が生えている』とおっしゃっています」


 夜野やのさん、いつも通訳ありがとう。


「じゃあ明日の練習は、七夕アンドお祭りに決まり~!」


 真理が声高らかに言ったが、もはやそれは練習とは呼べない。




 翌日、俺たちはあおはるの家に集まった。


「ごめーん、もうみんな集まってるよね?」


 少し遅れてしおりがやってきた。浴衣である。まるでエルフが浴衣を着ているようなミスマッチが、たまらなくかわいく見える。


「ううん、あたしたちも今きたとこ……わ~。しーちゃんすごくかわいい。どうしたん? その浴衣」


 しおりを見た真理は、嬉しそうにしおりの浴衣を見つめる。


「おじいちゃんがね、お祭りならせっかくだから着て行けって。おばあちゃんの若い頃のやつみたいで、かなり古いけど、あはは。真理ちゃんのほうが、すごく似合ってるよ。『大和なでしこ』って言うんだっけ? すっごく綺麗。プリクラースナ」


 しおりも真理を褒める。まるで女子会である。


「ありがとうしーちゃん! こいつなんてね、あたしを見て『お菊人形みたいだ』って言うんだよぉ」


 そう言って、俺を睨む真理。


「あはは、お菊人形? お雛様みたいなやつかな?」


 ロシア帰りのしおりには分からないらしい。お菊人形は怪談話でよくある、知らぬ間に髪の伸びる人形だ。


「翼~。あたしはお菊で、しーちゃんは何人形なんかなぁ~?」


 真理が無茶ぶりしてきた。別に真理だって普通にかわいい。けど昔馴染みすぎて、単純に褒めづらいのだ。


「――メ、メリーさん……」


 お菊人形に対して、普通に愛らしい人形を例に出すとまた面倒なことになりそうなので、ここは苦肉の策だ。


「へぇ~」


 おいおい、口角が上がって悪そうな顔になってるぞ、真理。


「メリーさんって、どんな人形だっけ?」


 もちろん何も知らないしおりは、興味深そうに聞いてくる。

 やばい。これも怪談話だと、しおりに言う訳にはいかない。


「いや、ほら。フランス人形的な?」


 取りつくろってはみたが、しおりを誤魔化すことはできたのだろうか。


「あれ~、翼くぅ~ん、そんなんでしたっけぇ~?」


 真理はもはや目も血走り、悪魔の顔になっている。このままだとこれまで築いてきた、しおりとの絆が壊されかねない。


「あ、あれ? どうしたの?」


 しおりも不安になってきたようだぞ。


「もしもし~あたしメリーさん、今から行くよぉ~」


 あろうことか目の前にはメリーさんでなく、マリーさんが降臨している。


「あはは、なにそれ……」


 芝居じみた真理の口調に、しおりの顔は不安を感じているのか、だんだんとひきつってくる。


「もしもしあたしメリーさん、今家についたよぉ~」


 マリーさんの鬼気迫る演技に、しおりも背筋を凍らせてしまっている。


「もしもしあたしメリーさん、今~」


 そして俺もしおりも、真理の言葉に息を飲む。


「あなたの後ろぉぉぉぉ!!!」

「ぎゃぁぁぁぁぁ!!!」


 突然俺たちのから響いてきた声に、真理を含め3人とも大声を出し、腰を抜かす。


「失礼致しました。大変興味深かったもので」


 夜野さんかよ……。


「ちょっとあかりちゃん、今のかなり心臓に……」


 俺たちを驚かそうとしていた真理は、夜野さんの不意打ちに顎をガクガクさせている。


「ボージュ モイ。私心臓、動いてるかな……」


 しおりは身震いしながら、心臓を抑えている。


「俺、ちっともびびってないから……」


 俺は、無意味な強がりを言うのがやっとだった。


「――あれ、あおはるは?」


 夜野さんが1人なのに気付き、聞いてみる。


「ボスは皆様に会わせる顔がないと、意気消沈しております。ですが間もなく、お見えになるでしょう」

「ん、どういうこと?」


 言葉の意味をいまいち理解できない。


「あれ、そういえばしーちゃんそれ。何持ってきたん?」


 しおりが何かを背中に隠し持っているのを見て、真理が聞く。


「あ、これ? いや、なんていうか。私は要らないって言ったのに、おじいちゃんがどうしても持って行けって、うるさくて……」


 しおりが手に隠し持つものを確認しようとしたとき、あおはるがやってきた。


「みなのもの、申し訳ない……」


 突然の謝罪に何事かと、俺たちは息を飲む。


「トレントは、勇者によって駆逐された……」


 俺たちは一斉に通訳やのさんを見る。


「『笹は刈り取られて、処分されてしまった』と、ボスはおっしゃっています」

「あ……」


 突然の七夕イベント終了の告知に、俺たちは愕然となる。まぁ、七夕も実質過ぎている訳だし……。


「あの、これ……」


 そっとしおりが差し出した手には、笹の枝が1本握られている。


「あるからいいって言うのに、おじいちゃんがどうしても持って行けって、うるさくて――でも、結果よかったかな?」


 みるみるみんなの目に輝きが戻る。


「しーちゃんナイス!」

「じいさんさすが!」


 真理と俺は、しおりとじいさんをそれぞれ称えた。


「クェ デバル ブーツェ」

「ボスはで『おお女神よ感謝する』と、おっしゃっております」


 そろそろあおはると、意思疎通できなくなるな。そして夜野さん、あんたすごいよ……。

 そして俺たちは短冊にそれぞれ願いを書き、笹に飾った。


「へぇ~、あれが天の川なんだぁ」


 しおりは七夕の空を眺めている。


「しおりは初めてだろ?」

「うん。でも昨日調べたから、少しは分かるよ」


 短冊を飾った笹を、あおはるの家の庭に立てるのだが、後ろでは真理があおはるに「絶対に短冊を見るな」と、しつこく念を押している。七夕飾りを待つ間、俺はしおりと星空を見上げ続けた。


「私の名前みたい」

「え?」

「ほら、天川あまかわしおり」


 そうだ、ロシア名の苗字しか知らなかったけど。考えてみればしおりはじいさんと同じ「天川」だ。


「分かりにくいけどあれが琴座のベガ、つまり織姫。あっちがわし座のアルタイル、彦星なんだ」

「いっぱいあってどれも同じに見える……あはは。でも天の川は分かるよ」

「ふぅ、お待たせ。さぁお祭りに行くぞ~」


 真理がやってきた。七夕飾りは無事終えたらしい。


『翼くんと真理ちゃんの天の川に、私はなっているのだろうな。でも、もうちょっとだけ、ごめんね真理ちゃん……』


 歩き出す俺たちの後ろにいるしおり、何か呟いたような気が。でもそれは聞き取れなかった。真理に目をやると、無言でしおりを見ている感じだった。

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