第20話 宴が終わって

「いや~、余は満足じゃ」

「ボス、ここで寝てはいけません」


 「特別賞お祝いパーティ」と銘打った夕食を終え、それぞれ他愛もない会話で盛り上がっていた。


「でね~。これが5歳のとき。こっちが小学校の入学式」


 母さんは真理としおりに、俺の子供の頃のアルバムを見せている。人のアルバムなんか見ておもしろいはずないだろう。


「あはは、これ知ってる。このとき翼さ~」

「かわいい、翼くん子供の頃こんな目をしてたんだぁ」


 ――意外にもお楽しみの様子だ。

 そんな光景を見ながら俺は思った。

 ずっと目をそらしてきた、この景色。みんなのおかげで、今はちゃんと見える。


 そして隣の部屋にすっと抜ける。兄さんに報告するためだ。

 兄さん、俺舞台に立ったよ。兄さんがいつも見てきた景色を、やっと見ることができたよ。

 仏壇に手を合わせそう呟き、兄さんに話したいことをたくさん話した。




「――ばさくん、翼くん」


 どうやら、そのままうとうとしてしまったようだ。しおりの声で俺は目を覚ます。


「あれ、みんなは?」

「春人くんは眠気の限界だったみたいで、あかりちゃんに介抱されながら帰ったよ。真理ちゃんは後片付けの最中に、お家から呼び出しを受けてさっき帰ったの。私は今夕飯の片付けが終わったところ」

「そっか。ごめん、何も手伝えなくて」

「ううん、いいのいいの。気にしないで。私が勝手にやっただけだから。こちらが翼くんのお兄さん?」


 そう言って、しおりは兄さんの写真を見つめる。


「うん」

「私もお線香あげていい?」

「兄さんも喜ぶよ。ぜひお願い」


 しおりは目をつむり、ゆっくりと手を合わせる。


「さてと、私も帰るね」

「あ、うん。送っていくよ」

「ううん。大丈夫、平気平気」

『つばさぁ、夜遅いんだから、ちゃんとしおりちゃん送っていくのよぉ』

「母さん、分かってるって」


 隣の部屋から、俺たちの会話を聞いた母さんが口を出す。それを聞いて、しおりは苦笑いしながら言う。


「ごめんね、じゃあよろしくお願いします」


 母さんナイスアシスト。




 帰り道、歩きながら俺はしおりとの話題を考えた。今日の演奏について話そうか、兄さんについて話そうか。


「翼くんのお母さん、とてもいい人だね」


 俺の考えより先に、しおりが口を開く。そんな母さんとは、みんなのおかげで関係を直すことが出来たんだ。


「アルバムを見せてもらって、私の知らない翼くんを、たくさん見れて嬉しかった」

「あはは、今度しおりのアルバムも見せてよ」


 普通の会話の流れのつもりだったが、しおりはうつむく。


「私アルバムないから……」

「え?」

「私の住んでた――ロシアのアパートが、火事にあって。何もかも燃えちゃったの」


 知らなかった。


「ごめん……」

「ううん、謝らないで。私、言ってなかったものね。火元は1階の部屋なんだけど、うちは3階の、階段から1番遠い部屋だったから、気付いたときにはもう遅くて……」

「遅いって……」

「奇跡的に、なんとか私だけ助だされてね……。お父さんもお母さんも――この足もそのときに」


 俺はしおりのこと、何も知らなかった。


「お兄ちゃんはいるけど、アメリカに留学してるし、寮生活だから難しくて……だから私は日本の、父方のおじいちゃんに引き取ってもらったんだ。お兄ちゃんも前から、おじいちゃんと一緒に住んでたから」

「しおり……」

「翼くんとお母さんを見てて、すごく羨ましかったよ。でも勘違いしないでね。妬みとかじゃなく、純粋にいいなって思ったの」


 空を見ながらしゃべるのは、天国の両親を見ているのだろうか。


「私もよくお母さんと喧嘩したけど、仲直りできるんだよね。お互い、家族だから。大好きだから。だから喧嘩もしちゃうんだって……」


 俺は何も言えなかった。しおりは俺と母さんを見て、自分のことを思い出してしまっていたんだ。


「あ、ごめん。何言ってるんだろ私。自分で言ってて、意味が分からなくなっちゃった。あはは、翼くんにこんな話しても、辛気臭いし迷惑なだけなのにね……ちょっと変だよ、私」

「迷惑じゃないよ! 変じゃないよ! 俺しおりが言ってくれるまで、そんなこと知らなかった。しおりは俺のアルバム見たじゃん。ずるいよ」


 訴えかけるように続ける。


「俺だって知りたい……聞きたい。しおりの口からしおりのこと。もっと、もっと知りたいんだよ、しおりを!」


 本音だった。俺はしおりのことをまだまだ知らない。もっと知りたい、もっと教えて欲しい。そんな思いが、頭で考えるよりさきに口を動かせた。


「なら、翼くん……。私もお願いがあるの。2つ……」

「俺にできることなら」

「また、翼くんの家に行ってもいい? お母さんと触れ合っていい?」

「そんなこと、いくらでも好きにしていいよ。もう1つは?」

「翼くんのシャツを濡らしても……いい?」

「ん、あ、あぁ」


 「濡らす」という言葉を、俺はよく理解できないまま返事した。


「スパシーバ ヤー ラーダ」

「しおり?!」


 勢いのままシャツを掴んで俺の胸元に顔を埋め、声を詰まらせ肩を震わせながら泣いているしおりがそこにいる。色々悲しいことを、思い出してしまったのだろう。俺の胸でよければ、涙枯れるまで使っていい。俺はそう思いながら、優しくしおりの頭を撫でる。

 やっとこの前のお返しができた。空には今日も月が、優しい顔で俺たちを見守っていた。

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