第19話 たくさんの拾い物
『おい、あれ。さっき演奏止めた連中だろ?』『なに、まだやるの?』『すげーな、よく出てきたな』『どうせまた棄権だろ』『眠れる森の美女だって、こっちが寝ちゃいそうだよ』
ステージに立つと、客席からそんなヤジが響きわたる。
しおりは右足をドンと大きく床に打ち付け、客席のヤジを睨みつける。
『…………』
その大きな音にみんな驚いたようで、雑音が消えた。
『見届てやるよ。お前は丈志君になれないってとこを』
『優、黙って聴きなさい』
客席には演奏を終えた椎名優、田部井里佳子がいる。
『翼、自分を信じて。翼らしく』
母さんの表情もはっきり見える。
『私に見せてよ。丈志じゃない、黒井翼というサクソニアンを』
真由美さん、俺は今あなたがちゃんと見えてますよ。
今の俺には、客席のみんながはっきりと見える。
しおりが客席に背を向け、真理を見て頷く。
真理の伴奏が始まる。ゆっくりと丁寧に、ピアノの心地よい音が広がる。
しおりは指先から動きだす。とても柔らかくしなやかで、だけど力強く。
踊りながら目を送り、
『すごい。穏やかで落ち着き、優しいのにそれでいて強い音色。そしてあのダンサーが魅せるのかしら、そこに音が広がる……』
田部井里佳子は、じっとしおりを向いている。
『どうする黒井。お前はこの曲をどう料理する』
椎名優は組んだ両手で口を隠し、俺に視線を送る。
最初のパートが終わった。しおりの瞳が俺に向けられる。やっと俺の本番だ。
サックスに音を吹き込む。
「ちょ、翼。これ練習のテンポじゃない……」
真理は慌てた。だってそう、練習では見えなかった景色の中に、俺はいるのだ。
小川のせせらぎ、小鳥たちの声、広がる草原、大きく深い森。その中で舞う眠り姫、みんなで奏でる音楽の世界。俺はまさに今、その中にいる。
「真理ちゃん、大丈夫だよ。音を見て。この場所を感じて」
しおりは俺の演奏に見事に乗りながら、真理に目をやる。
「しーちゃん……」
それを受け真理は深く目をつむり、大きく深呼吸をして、ゆっくりと目を開ける。
「――これって……?!」
驚いた表情を見せる真理。
真理にも見えたんだな。俺の見る、この景色が。
「見える。あたしにも見えるよ……作るよ。あたしが森を……!」
真理のピアノは、静寂な森を創る。
夜野さんのフルートは、小鳥のさえずりを奏でる。
あおはるのコントラバスは、風のようにみんなの音をまとめ、全体を引き締める。
『翼、あなたの見せたかった音はこれなのね』
母さんは口を抑えている。
俺のソロパートに入った。俺だけの音が響き渡る。これはみんなが繋いでくれた音。俺の音は馬を生んだ。その馬に跨り、俺はしおりを見つける。
「翼くん、来てくれたのね」
しおりの舞は眠り姫を起こした。目覚めた姫はしおりに重なる。俺としおりは、森の中で一緒に舞う。小鳥が歌い、風が優しく俺たちを包みこむ。
『見えるよ……翼。あなたたちの音が見える』
真由美さんの目から、光るものがこぼれる。
『おい、嘘だろ? この景色、一体何が起きてるんだ?!』
『なんなのこの森は。なんでこんなにも鮮明に……』
椎名優と田部井里佳子は、目を丸くして驚愕する。
手に手を取ってワルツを紡ぐ、俺としおり。
「そう、自分らしくでいいんだよ。あなたの音は私の翼。だから私も、自由に空を飛べるの」
「本当に空を舞っているようだ。君のダンスは俺の音に
俺たちは物語を奏で、自由に舞った。
そうして物語を終えると俺たちは手を取り、一列になって客席に深々と一礼した。
「…………」
少しばかりの沈黙。
まばらな拍手から始まり、それが次第に周りに広がる。ホール全体を大歓声のうねりが包み込む。観客たちは総立ちとなり、スタンディングオベーションに迎えられる。
俺たちはお互い最高の笑顔で見つめあう。安堵するとみんなの目は、すぐに真っ赤になった。それだけみんな、最高のパフォーマンスをすることができた。
「く、特別賞だと?!」
悔しがるあおはる。
結果発表が出た。俺たちは審査員特別賞。優勝は椎名・田部井組だった。
「まぁいいじゃない。手ぶらじゃないんだから」
真理はにこにこして喜んでいる。
「ボスは常に頂点しか見ておられません」
各々結果の感想を口に出す。
「すまん、俺の失敗が響いたな……」
「そんなことないよ。自由曲の翼くん、あれだけでかなり順位上げたんだから」
しおりが俺をフォローしてくれる。
「確かに翼もしーちゃんもすごかったよ。あたしは付いていくのがやっとで」
そんなことはない。真理はしっかりと、伴奏を務めあげてくれた。
「マリーよ、某は自分の才能が怖いくらい余裕であったぞ」
「ボス、顔が引きつっております」
あおはると夜野さんも、素晴らしい演奏だった。
実際みんな賞なんて取れると思っていなかったので、特別賞でも十分だ。
「黒井……」
「椎名?! お主、一体なんの用だ?!」
俺を呼ぶ声に、あおはるがしゃしゃり出る。
椎名優と田部井里佳子さんがやってきた。
「その、なんだ……」
「ほら、はっきり言いなさいよ」
あおはるはいつも通り無視され、椎名は俺に何か言おうとして、田部井さんに急かされている。
「お前が課題曲で演奏やめてなかったら、どうなってたか分からない。だから――」
「優、私から言うわよ? 全部」
「ちょ、待てい!」
さらに急かす田部井さんに、椎名は慌てる。
「だから、今日は引き分けだ。次回決着つけるぞ! あぁあと、お前たちのユニット名はどうかと思うぞ」
最後鼻で笑ってそう言うと、椎名は走って戻っていった。
「なんだと?! お主、そこになおれ!」
「ボス、もうおりません」
自分の作ったユニット名を笑われて、あおはるは椎名に怒っているようだ。
「優ね、あなたの演奏に感激したみたいよ。私も、あなたのダンスに釘付けだったわ。じゃあね」
田部井さんは俺としおりに小声で伝えると、椎名の元へ戻っていった。
「まったく、あいつ結構意地っ張りなのね」
真理は、やれやれといった感じに言う。
「私も褒められちゃった」
しおりは俺を見ると、照れ臭そうに言う。でも俺も、しおりのダンスに救われたのだ。
「翼」
「母さん」
母さんが来てくれた。
「あなたの演奏、みんなの演奏、しおりちゃんのダンス。今日はたくさんのプレゼント、ありがとう」
母さんは優しく微笑み、俺たちみんなに感謝の言葉を伝える。
「おばさん、よかった」
「おばさま、最高のお言葉です」
「恐縮です」
「こちらこそ、本当にありがとうございました」
みんなも笑顔で母さんに答える。
「みんなこのあと時間大丈夫なら、うちでご飯食べていきませんか?」
母さんはみんなに提案する。
「そうだよ、みんな。うちで打ち上げといこう!」
ほんの今朝まで考えられないような台詞が、自然と俺の口から出る。
「翼が、いいなら……」
「うむ、かたじけない」
「お言葉に甘えさせていただきます」
「私は、遠慮しようかな……」
みんなの意に反して、しおりから予想外の言葉が出る。
「どうして?!」
「いや、その……特に理由はないけど。悪いかなって。あはは」
「ほう、では我々は大悪人だと言うのか?」
先に誘いを受けたあおはるは、しおりに問い詰める。
「行こうよ、しーちゃん」
「しおり先輩」
みんなしおりを説得する。しおりはそれでもなお、ためらっている様子だ。
「しおりちゃん。遠慮ならいらないのよ。ご迷惑じゃなければ」
「ニェット、迷惑なんてそんな! ――ありがとうございます。それじゃ、よろしくお願いします」
母さんが言うと、しおりは照れ臭そうに言った。
「おばさん、ご無沙汰してます」
「真由美ちゃん。立派になったわね。あのとき以来かしら」
奥から、今度は真由美さんが、母さんに挨拶をしにきた。昔は普通に見た光景だった。
「翼……」
真由美さんは俺を見ると、名前を口にする。何を言われてもいい。もう目をそらさない。
「このぉ、立派になりやがって~」
あれ、いつもの真由美さん?
「真由美さん……ちょっと、恥ずかしいから……」
「ふふん、照れてるのかぁ? 大人の色気を出しすぎちゃったかな~?」
昔みたいに、俺の頭をぐりぐりしながら言ってくる。
「そんな真由美さんは色気ってより、おばさ――」
「あん?」
「いえ、なんでも……」
真由美さんの殺気を感じて、俺は言葉を飲み込む。
「翼、いつの間に上手になったね」
「え?」
真由美さんは一転して、しんみりと言う。
「ったく、サックスやってるなんて知らなかったよ。でもね」
「でも?」
「丈志に比べたら、まだまだぜんっぜん」
「そんなの分かってら……」
やっぱりいつもの真由美さんだった。
「だけど可能性は無限大だよ。丈志はもう自分を表現していたけど、翼はまだまだ粗削り。その中でいくらでも、自分の形を作っていける。今日みたいにね」
「真由美さん、褒められてるのか分からないけど、とりあえずありがとう」
「う~ん?」
真由美さんは目を細めながら、今度は俺の後ろに目をやる。
「ほほう、翼の演奏の
「なにが……」
悪い顔になってる真由美さんを見て、何か良からぬことを言うのじゃないかと警戒する。
「彼女だよ彼女。上手に演奏すると思ったら、恋をしてたんだな? でもだめだよ、浮気は~。ちゃんと1人に決めないと~」
真由美さんはニヤニヤしながら言う。最悪だ。
真由美さん、それっておばさんがよく言う台詞だよ……。そして普通にみんなの前で言うなよ……真理もしおりも下向いて黙ってる。俺が何か言わないと、この場の空気が……。
「ちょっと待て、あかりは俺の――」
「某」でも「リカーニャ」でもない。真由美さんの言葉をを聞いて、あおはるは普通に言った。
「わたしはあなたの、なんです……?」
夜野さんも「わたくし」でも「ボス」でもない。まさに乙女のまなざしで、あおはるの言葉の続きを求める。全く第三者の俺でさえ、心臓が飛び出そうなくらいドキドキしている。続きを早く聞きたい。
「さ、さらばじゃ! 先に着替えてから向かおう!」
「待ってください! ボス~!」
瞬時に普段の口調に戻り、そして逃げた。夜野さんはそれを追っていく。
「……あれ、私なにかまずいこと言った?」
慌てて去っていく2人を見て、きょとんとする真由美さん。
なにはともあれ、あおはるのおかげで助かった。
「じゃあこれとこれとこれ、全部書いておいたから帰りにお願いね。お母さん先に帰ってお部屋片しておくから」
真由美さんが去ったあと、母さんは夕食用の材料をメモして、俺たちに買い物を頼んだ。
アンサンブルコンクール。それは俺にとって、たくさんの落とし物を拾うことができた、最高の大会となった。
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