第12話 新入生は「あいことば」と共に

「あれ、開いてないぞ……」


 新学年が始まり、俺たちは2年生になった。だけど昼休みはいつもと同じく、4人で音楽室に集るのが恒例となっている。


「あれ、春人くんまだ来てないの?」


 遅れてやってきたしおりが、ドアの前でたたずむ俺を見て聞いてくる。


「あ、うん。まだみたい」

「あれ、どうしたん? 締め出された?」


 真理は来るなり失礼な一言を放つ。

 そう、みんなが不思議と思うのは、いつも誰よりも早く音楽室に陣取り、そこの主のように振る舞っている、あおはるが来ていないからだ。


「あれ、やってみれば?」


 真理が、抑えきれない笑みをこぼしながら言う。

 「あれ」とは、以前部屋に入る際にあおはるが勝手に決めた「あいことば」だ。みなの反感を買い1日でなくなったのだが、もちろんそんなものやりたくもないし、覚えてもいない。


「お前やれば?」


 貧乏くじを押し付けられた俺は、不機嫌に真理に言い返す。


「ひ、ひどい……翼を頼っただけなのに。あたしにそんなこと……」


 明らかな芝居が始まる。あおはるならともかく、そんな三文芝居誰もひっかかるものか。


「真理ちゃん、大丈夫……? 翼くん、真理ちゃんがかわいそうだよ……」


 見事に1人ひっかかってしまう。


「あの『あいことば』やればいいのよね? 私やるから、ね、真理ちゃん……」


 しおりは必死に真理を慰めようと、自らを犠牲にしようとしている。そのとき俺は見逃さなかった、真理の口元が一瞬緩んだのを。

 こいつ、誰でもいいのか――女狐めぎつねめ……。しおりにあんなマネはさせられないと、俺がドアに近付いたそのとき、ものすごい速さで何かがドアに張り付いた。


「静かに」


 あおはるだった。

 俺たちにそう言うと、ドアを背にしながら自分の来た方向を、目を細めて確認する。かなり走ったのか、息遣いも荒々しい。その体勢のまま、器用に右手でドアの鍵を開けると、


「追手が来る、早く中に入れ」


 そう言って俺たちを中に入れ、ドアを閉めると大きくため息をつく。あれ、いつもの「」じゃないのか……?

 いつもと違うあおはるの緊迫した表情に、もしかしたら一大事なのではないかと、俺たち3人は顔を見合わせ息をのむ。

 俺たちの前に立つと、あおはるは勢いよく机に何かを広げた。


「ここにクラスと名前を書くのだ」


 なんだかよく分からないまま、いつもと違う気迫に押され、俺はペンを取りその紙に書き始める。そしてだんだんおかしいと気が付き、その紙をよく見てみる。


軽音楽同好会 入会申請書


「おい」


 なんだよこれ、いかがわしい宗教勧誘みたいじゃないか。そのやり方に、俺はかなり不機嫌にあおはるに言う。


「なんだこれは」

「見て分からぬのか?」

「じゃなくて、なんで一言の説明もなく、入会届書かないといかんのだ?!」

「えー、あたし気付かなかった」

「私も……書いちゃった」


 あおはるのいつもと違う行動パターンに、俺たちの思考回路は乱れていたのだろう。だがこれじゃまるで詐欺だ。

 みなに気付かれたのを悟ると、目にも留まらぬ速さであおはるは3人の申請書をまとめて奪った。


「あおはる、あんた……」


 やばい、真理が怒りに震えている。きっと俺と同じことを感じているのだろう。このままではあおはるが危ない。

 そう思った矢先、音楽室のドアにコンコンコンと、ノック音が響いた。


「え……」


 あり得ないその状況に、3人ともドアを凝視ぎょうしする。ただ1人、あおはるはこの状況を予想していたように、幾分落ち着いて見える。

 ドアに寄り、あおはるはゆっくりと息を吸ってから言う。


「黄泉より解き放たれし、我が魂」


 普通に考えれば、かなり痛い光景だ。だが、誰も予想だにしなかったこの状況に、不覚にも俺は、いや俺だけじゃなくきっとこの2人だって……もしかしたら本当に、悪魔の使いなるものが存在しているのかもしれないと、思ってしまっていた。


「――汝を貫く、悪しき光となりて」


 俺たちですら覚えていなかった、まさかの正解がドアの奥から放たれる。

 あおはるはゆっくりとドアを開けた。


「初めまして皆さま。わたくし新入生の『夜野やのあかり』と申します」


 眼鏡をかけ、知的優等生に見えるその顔は、俺たちにそう自己紹介をした。


「お主、目的はなんだ……」

「急なご無礼失礼致しました。青木……いえ、ダークネビュラス様」

「はっ?! それは我がコードネーム、お主まさか……」


 そう答えるあおはるの顔は、とても嬉しそうだ。


「ちょっと何言ってるかわからない……」

「そうね、理解したくもないわ……」

「――よかった、私だけついていけないのかと思った」


 俺と真理、しおりは2人のやりとりを前に、冷めた表情で言う。

 そして彼女は、1枚の紙切れをあおはるの前に突き出す。


「こちらは魔界の契約書でございます」


 俺たちは身を乗り出し、その紙を覗き見る。


軽音楽同好会  入会申請書 1年2組 夜野あかり


 げ、まさか。何を好き好んで……正直この娘の考えが、まるで読めない。


「えと……夜野さんでしたっけ? ちょっとこっちに来てくれる?」


 真理が彼女の元へ歩み、肩を抱えて俺たちのところへ連れてくる。


「いい? あなた気は確か?」


 真理はこの娘のことを案じたのだろう。恐らく親切心から説得を始める。


「気……ですか?」

「うんうん、ちょっとなんか……もっと自分を大事にっていうか……」

「?」


 しおりも説得に混ざる。眼鏡の娘はきょとんとしている。


「あれだよ、きっとあおはるに弱みを握られて――」

「いいえ、わたくしは自分の意志でここに参りました」


 俺も加わったが即否定される……。あのあおはると張り合えるなんて、世の中広いのだなと、天井を見つめながら思った。

 彼女は、あおはるがまだ入り口のほうに立っているのをチラっと確認すると、俺たちに向かって小声で話し始める。


「3年生は引退されました」

「はぁ……」


 急な話の切り返しに、俺たちは言葉が出せずに沈黙する。


「この学校の同好会の維持必要条件は、5名以上の会員数です。現在2年生以下は、青木様のみ。皆様を入れても4名。わたくしを加えて、やっと5名となります」


 青木様って……まぁ敬称はおいといて、一応あおはるの前でなければ、あの変な名前は言わないんだな。クセはあるけど、もしかしたらまともなのかも。


「ちょっと待ってよ……あたしたち入会前提なわけ?」


 真理がつっかかる。まぁ分かる。俺も入会したいと思ってない。


「あはは、まぁ私はぜんぜん大丈夫だけど」


 しおりは場を鎮めるように言った。優しいな……。


「皆様が入会拒否されますと、軽音楽同好会は解散となります」

「ぜっっっぜん構わない、あたし。平気なんだけど」


 更に真理はけんか腰に言う。そろそろなだめるべきだろうか……。


「その場合、この部屋の鍵は使えなくなります」

「げっ」


 痛いところをつかれた真理は、そっとしおりに目をやる。そもそもここで4人一緒に昼食をとるのは、しおりが日本語を話すのを、他の生徒から聞かれないためだ。正直そこまで隠す必要あるのかとも思うが、しおりにとっては大事なことである。


「く、入るわ……」


 しおりの悲しそうな顔を見ると、真理は観念して言った。なんだかんだ友達思いなのだ。


「承知しました」


 そう言うと彼女は自分の入会届を持ち、あおはるの元へ足を運ぶ。


「お待たせ致しました。どうぞこちらを」


 そしてあおはるに、入会届を差し出す。


「断る」


 俺たちの気持ちをよそに、あおはるの口からとんでもない言葉が放たれる。


「あおはる、あんたねー!」


 真理が叫ぶ。ところがあおはるは、なおも憮然とした様子で言う。


「落ち着け、マリー。今日ここに来るまで、某はずっと付けられていた。様々なルートを駆使し追手を撒いて、やっとの思いでここにたどり着き、安堵したのも束の間」

「夜野さん、あおはるを尾行してたの?」


 たまらず俺は彼女に聞く。


「はい、感付かれてしまいましたが」

「…………」


 言葉が出ない。さらにあおはるが続ける。


「この神聖なる場所のあいことばを、なぜお主は知っている?!」

「!?」


 確かにそうだ、似た者同士だけでは説明がつかない、あんななんの意味もない言葉を、なぜ知っているんだ。


「貴様、一体なにものだ?!」


 勇者ものの話ならかなり緊迫した、クライマックスのような決め台詞になるであろう言葉だが、現実に人がこの言葉を使うのを、俺は初めて聞く。


「仕方ありません。打ち明けねばなりませんね」


 俺たちはまったく予想できない展開に、ゴクリと固唾をのんで見守る。


「わたくしは、あなたのストーカーをしておりました。あなたが好きです。青木春人様」

「え……。っえぇぇぇぇぇ?!」


 まずはストーカーという言葉に驚かねばならないのだろうけど、それよりも目の前で起こった公開告白に俺はもちろん、思春期真っ盛りの女子2人が放っておくはずがない。


「ちょ、ちょっと……いや、なんかすごい、すごいんだけど。夜野さん、ほんとに大丈夫? もっとよく考えてからでも……」


 真理は興奮している。

 しおりのほうに顔をやると、一瞬目が合ったあと、すぐに目をそらしてしまった。

 まさか俺を意識しているんじゃ……。期待をしたかったが、俺としおりはあれからなんの進展もない。ただの気のせいだ。


「はい、十分承知しております」


 夜野さんはそう言うと、1冊のノートを真理に渡す。俺たちも身を寄せ、3人でそれを確認する。


青木春人観察日記


 タイトルだけでも度肝を抜かれるが、中身をめくると日付時間に場所、行動内容もこと細かに書いてある。自由研究で書く夏休みの飼育日記を、100倍濃くしたような内容だ。


「この人、ガチな人だ……」

「うん……」

「そうだね……」


 俺はうっかり心の声を出すと、あとの2人も同調した。


「夜野さん、1つだけお願い……」


 真理が重い口を開く。


「なんでしょう?」

「あおはるを観察するのは、あいつが1人だけのときにして……」

「承知しました」


 彼女は初めて表情を崩し、にっこりうなずく。この、口調と行動は独特だけど顔はかわいいな。そういう意味だとあおはるとピッタリだ。


「あれ、ところであおはるは?」


 すっかり忘れていたあおはるを思い出し俺は言う。


「…………」


 天井を見上げたまま、フラフラと立ち尽くしている。イケメンなのにその言動のせいで、告られたのは初めてだったらしい。このまま少しでも、あおはるの病気が治まっていけばいいのだが。

 ともかく、これで無事俺たちの居場所は確保された。

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