第11話 丈志は僕のお兄ちゃん

「兄ちゃん、今日の演奏もすげーかっこよかった!」

「お、そうか? だけど褒めてもなにも出ないぞ、翼」

「ちぇー」

「あはははは」


 コンクールの帰り道。僕と兄ちゃん、そして真由美まゆみさんは談笑しながら歩いていた。


「ほんと、仲いいわよね、丈志と翼は」

「またまたぁ、真由美さんと兄ちゃんの仲には及びませんよぉ」

「言ったなぁ、このマセガキー」


 僕は真由美さんをからかい、毎度恒例の追いかけっこが始まる。兄ちゃんはそれを笑って見ている。


「じゃあまた明日ね」

「おう、気を付けて帰れよ」

「真由美さんまたね~」


 僕と兄ちゃんは、真由美さんに手を振る。


「真由美さんも出ればよかったのにね」


 真由美さんと別れると、僕は言った。


「まぁ今日のコンクールは、ソロ枠でしか出場できないからな、俺は運がよかっただけ」

「今日の伴奏の人も上手かったけど、真由美さんもかなり上手だと思うけどなぁ。でもまぁ、天才の兄ちゃんが別格か」

「茶化すなって。お前だって練習して、だいぶ上達してるぞ」

「兄ちゃん、僕にお世辞はいいって」


 僕たちは笑う。


「はは。でもな、いつか俺が抜かれるとしたら、翼、それはお前だと思ってる」

「兄ちゃん、僕を褒めてもなにも出ないぞ」

「こいつ、台詞をパクりやがったな」

「あははは」


 兄ちゃんはそう言ってくれるけど、いつか本当に兄ちゃんと肩を並べたい。


「ただいまー」

「おかえりー、どうだった?」


 玄関を開けると、お母さんが出迎えてくれた。


「うん、12月の全日本に出場決まったよ」

「さすが私の自慢の息子。ご飯できてるわよ。丈志の好きなハンバーグと、翼の好きな唐揚げ」

「うへー、豪華。でもお母さん、兄ちゃんが落ちてたらどうしたのさ」

「私の息子が落ちるはずないでしょ」

「妖怪親ばかババァだ」

「翼、なんだってー?!」


 お母さんが僕に襲い掛かってくる。


「参ったか。まだまだ翼には負けないよー」

「わぁー、ぎゃははは。お母さんギブアップ。こちょこちょは卑怯だ」


 そんなやり取りを終えて、やっと食卓に着く。


「あと1週間ずれていれば、お父さんも帰ってきて、一緒にお祝いできたのにね」

「お父さん、あっちで金髪の彼女ができてたりして」

「なんだと!」


 僕が冷やかすと、お母さんは手にしたフォークを立てて、悪魔のような目つきで僕を睨む。


「嘘です。美人のお母さんがいるのに、そんなはずありません……」

「わかればよろしい」


 兄ちゃんは、僕たちを微笑みながら見て言う。


「父さんにフランス語、教わらないとな」

「そうよ丈志。全日本で優勝したら、フランスの音大受けるんでしょ? 使えるものは親でも使わないと」

「お母さんは使えないけど、お父さんなら使えるしね」

「なんだって?!」

「嘘です……」

「翼、つっぱれないなら喧嘩売るなって……」


 兄ちゃんは今度は呆れ気味に言う。


「ところで兄ちゃん、もしフランス行きが決まったとしてさ」

「うん?」

「真由美さんは?」

「そうよ、丈志。真由美ちゃん。この際連れて行っちゃう?」

「母さん、からかうのはやめろよ」

「あ~ごめんごめん。でもあのはいい子よ。若い頃の私みたいに」

「げぇ」


 相変わらずの僕の突っ込みを、お母さんはギロっと目力で押さえつける。


「翼だって、あと何年かすればお母さんみたいな彼女、連れてくるくせに」

「はぁ? 僕彼女とかいらないし!」

「真理ちゃんなんかいいんじゃない? あの娘よく、翼の面倒見てくれるじゃない」

「絶対ないから、あんな怪力ブス」

「なぁ翼、俺もお前くらいの頃は、同じこと言っていたんだ。男には男にしか分からんルールがあるんだよな」


 なぜだか兄ちゃんが味方につく。


「さっすが兄ちゃん。よく分かんないけど、そのルールだ」

「け、男同士同盟結びやがって」


 とは言いつつも、僕たちを見るお母さんの目は嬉しそうだ。


「母さんもそう不貞腐ふてくされないで。ハンバーグ超旨いよ」

「唐揚げも旨い!」


 お母さんはそんな僕たちを、にっこり見つめている。




 新緑が目に鮮やかな初夏。坂道を上り続け、やっと目的の神社が見えてくる。


「こんな遠いのか……」


 僕はぜいぜいと息を切らしながら言う。


「翼が自分で、連れていって欲しいって言ったんでしょ。男なのに情けないんだから」

「待ってよ、真理ちゃん。男とか関係なく、この坂きついよぉ」


 真理は疲れた様子を見せない。春人は僕と同様に息を切らしている。


 兄ちゃんがこの冬、サックスの全国大会に出場する。そこで優勝したら、フランスの音大への受験を決める。兄ちゃんの彼女の真由美さんは、兄ちゃんとすごくお似合いだと思っていて、留学することで2人に別れて欲しくなかった。

 春人に恋が実る方法を聞いていたとき、割って入ってきた真理が、恋愛成就のお守りについて教えてきたのだ。

 真理に頼み事するのは嫌だったけど、それ以上に兄ちゃんたちの関係を崩したくない思いが勝り、やっと今3人でその神社にたどり着く。


「ほら、着いたよ」


 人生初めての神社。子供ながらに何か神秘的な感じがする。ここならきっと……。


「で、どうすればいいの?」

「翼何も分かってないん? ほら、あそこで恋愛のお守り下さいって言うの」


 そう言いながら、真理は建物しゃむしょを指す。


「ったく、あんたもいよいよ色恋沙汰に目覚めたのね。全くそんな冴えない顔のくせに」

「ほっとけよ……」


 真理は表情を変えムッとした顔になる。


「で、誰に渡すのよ?」

「教えない」

「何それ! ここまで連れてきたの、誰だと思ってるん! おばさんに言いつけるから!」


 何を言いつけるのか分からないけど、すごくめんどくさい……。


「ったく、兄ちゃんと彼女にだよ」

「な、なーんだ。そうだよね。あんたみたいのが恋なんて」


 つくづく人を小ばかにして……。

 やっと解放され、お守りを2個手に入れる。小学生には少々痛い出費だ。真理も何か選んでいたようだけど、離れていた春人が気になり振り返ってみると。


「ぉぉぉ……」


 両手を広げ何かブツブツ言ってる。神社の神秘的な雰囲気に飲まれたのかな。そのときは「パワースポットってすげーな」と思ったのだけど、なんとなく春人が違う世界に行ってしまうような気がした。


「ほら」


 帰り道、春人と道が分かれ僕と真理だけになると、真理は何かを渡してくる。


「ん、なにこれ?」

「あんたモテないだろうから恵んでやる」


 恋愛成就のお守りだ。


「別にいらないし」

「黙って受け取んなよ!」


 強引に僕に渡すと、真理は走って行ってしまった。

 僕ってそんなにモテないのかな……。




 数日後。


『先日から降り続いている大雨の影響で――――』


「大変ねぇ。こっちもこれから降るのかしら……」


 お母さんが心配そうにテレビを見ている。


「ねぇ、今日真由美さんうちに来るんだよね?」

「丈志が練習の帰りに連れてくるって言ってたわよ。何かしらねぇ、まさか結婚かしら」


 お母さんの顔がみるみるニヤついてくる。

 2人揃ってるなら、今日お守り渡さなきゃ。


「翼、お母さん夕飯の支度するから、お兄ちゃんに傘届けてきてくれない?」


 僕は右手を出す。もちろんお小遣いを貰う為だ。


「あらいい子ね。はい」


 そう言うとお母さんは、折りたたみ傘を2本僕の手に乗せた。


「ちっ」


 舌打ちしてみせたが、なんだかんだ兄ちゃんたちと歩くのは好きだからいいのだ。


「あ、お守りもついでに持っていこう」


 どうせ兄ちゃんたちに会うなら一刻も早く渡そうと、2人に渡すお守りを手に持った。


「いってきまーす」

「気を付けてね~」




 橋の上に差し掛かったとき、横を走ったトラックの出した風で、手にしていたお守りが河川敷に飛んでしまった。


「あ……」


 せっかく今日の為に用意したのだ。絶対に渡したい。

 だから僕は河川敷に降りて必死に探した。あんな小さいもの見つかるはずもないのに。だけどそうしないと、本当に2人は離れ離れになってしまいそうで、怖かったから。


 どのくらい時間が経ったのか分からない。辺りも少し薄暗くなっている。もう兄ちゃんたちは、駅から家に帰ってしまったかもしれない。でもあれを探さなくては帰れない。




「ええー、翼ずいぶん前に家を出たの?」

「会ってない?」

「どこにいるのかしら……」


 家の中では母と丈志そして真由美が、翼がいなくなったことで大騒ぎになっている。


「とりあえず俺、家までの道をもう一度見てくる」

「私も行く」

「お願いね。はぁ、携帯持たせておけばよかった……何事もなければいいのだけど……1時間なにも連絡なかったら、警察に電話するわ」


 丈志と真由美さんが翼を探しに、母は家で連絡待機することになった。




「くそ、風が出てきたな。雨も降り始めた」

「上流はずいぶんひどいみたい……川も水量がものすごいよ……」


 真由美はそう言いながら橋から川を見下ろすと、河川敷に翼の姿を見つける。


「あ、翼! 丈志、翼がいたよ!」


 真由美の言葉に、丈志はその指先を目指してダッシュで駆け下りていく。




「あ、あった……」


 同時刻、奇跡的にお守りを発見した翼は、それを取ろうと必死に腕を伸ばす。水量が圧倒的に増えた川が濁流になっているとも知らずに。




「あとちょっとだ……」

「翼!」

「あ、兄ちゃ……」


 左手の先にお守りをつかんだ瞬間、足元の土が崩壊する。兄ちゃんの顔がゆっくりと遠のいていく……。


 ――僕は咄嗟とっさに、ガシっと右手を引っ張られて岸に戻される。その反動で川に流された兄ちゃんの顔は、必死に何かを言っている。




「――兄さんの夢、久しぶりに。なんで久しぶりなんだ……いつも見ていたのに」


 いつもより荒い呼吸で目覚める。

 それは快晴の、新学年初日の朝だった。

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