第6話 君の名は?

 目覚ましのアラーム音が響く。

 短かった冬休みが終わり、今日から新学期だ。普段学校と河川敷にしか行かない俺にとっては、珍しく充実した冬休みとなった。

 いつからだろう。ずっと孤独だと思ってたけど、俺の周りには真理やあおはるがいた。そして、「もっと自分を好きに」……か。

 ベッドに腰をかけ、スマホに残った写真を眺めながら思い出す。


「おはよう!」

「あぁおはよ……」


 挨拶を返そうとした俺は、とてつもなく巨大な違和感を覚え、スマホから視線を上げる。

 そこには、笑顔の真理とあおはるがいた。


「お前ら、なんで俺の部屋にいるんだー?!」

「だって、門の前で待ってたらおばさんに頼まれたし。翼が遅刻しないよう、上がって起こしてあげてって」

「うむ。確かにを待っていたら、おばさまにそう言われたぞ」


 母さん、いつも俺に構わないくせに。なんでわざわざ外に出てまで招き入れるんだ――って、こいつらストーカーかよ……。


「とりあえず、いいから玄関で待ってろ。着替える!」

「――外じゃないんだね」


 部屋を出るとき、真理が口元を緩めながら何か呟いていた。


「だいたいな、小学生の集団登校じゃないんだし。そもそも勝手に部屋に上がるとか、俺のプライバシーが――」

「遅刻常習犯のくせによく言うよ。こっちはおばさんに頼まれて、仕方なく――」

「思春期という多感な時期だからな。お主らを放っておくと、いつ不純異性交遊を――」


 などと、くだらない会話をしながら俺たちは揃って登校した。




 始業のチャイムが鳴る。

 席について間もなく、ドアを開け担任が教室に入ってくる。


「え~、皆さん明けましておめでとうございます……」


 中年の、いかにも管理職やってますって感じの、冴えない担任の挨拶が始まる。体育館で聞く校長の挨拶並みに長ったらしいが、幸い席に座ったままなのでまだマシだ。そしてそれは、子守歌のようにいつも俺を睡眠に導く。


「――――であるから、あぁごめんなさい。今日は皆さんに、大事なお知らせがありました。どうぞ、入って」

「ん……?」


 ガラっと開いた扉から入る、廊下の冷気で意識が戻る。


「え~、今日からこのクラスに転入してきました、『ルゥナ・パブロワ』さんです。日本語がまだ不自由なので、皆さんサポートしてあげてください。さぁパブロワさん、自己紹介を」


 しおり……?! 俺は驚く。だってそれは、見たことある顔だったから。

 だが当のしおりは、担任の言葉が理解できないような感じで、首を傾げている。


「あ、え~と、ウィルユーイントロデュース……ユアセルフ?」

「ダァ。ズドラーストヴィチェ、ミニャー サヴート ルゥナ・パブロワ」


 担任に英語で促された彼女は、ロシア語で淡々と自己紹介する。もちろん俺はロシア語は分からない。たぶんロシア語だ。

 前回見たときとは全く違う、生気のない氷のような凍てつく目。挨拶の最後微笑んだが、作り笑いにしか見えない。

 あれ、本当にしおりか? しおりは日本語ペラペラなはずだぞ――ってか、日本人だし。


「え~こんな感じで、少しコミュニケーション取るの難しいかもしれませんが、同じクラスの仲間として、ぜひ仲良くしてあげてください。ではパブロワさん、あそこの席に」


 またしおりは「?」という感じで首を傾げる。


「あ、えー。プリーズゴーアヘッド、アンドシットダウンプリーズ」


 担任は席を指し、片言の英語で話す。プリーズを重複するあたり、かなりテンパっているのだろう。


「ダァ」


 指された先を見てしおりは返事をして歩きだす。

 あれ空いてる席って……。俺の前で立ち止まると、彼女は椅子を引く。


「やぁ」


 俺は右手を上げ、小声で彼女に挨拶をする。


「?」


 またもや「分かりません」という表情で、彼女は手を上げた俺に対し、軽く会釈して席に着く。

 あれ、別人なのかな……。俺はだんだん不安になってきた。そして机で隠しながら、スマホの写真を何度も見直す。――どう見ても同じだ。

 その頃、普段死んだようにしている俺が、自ら転入生に挨拶したことで、クラス内は少しばかりざわつき始めた。いや少々自意識過剰かもしれない。

 これは俺じゃなく、唐突に現れた異国の妖精のような彼女の容姿に、皆見惚れて騒いでいるのかもしれない。

 待てよ、確か世の中には同じ顔の人が、5人はいると聞いたことがある。明らかに前回と様子の違う彼女を前に、「別人説」を考えるが、それと出会うのは人口80億の分母では、天文学的確率である。

 もっと現実的に考えよう。確か左足の膝下は……。チラっと確かめようとするが、こちらを背に座っているため、彼女の足下は完全に死角である。

 だがなんとしても、確認しなければ気が済まない。2度しか会っていないが、しおりは俺を認めてくれた。彼女の言葉は俺に重く刺さっているし、何よりそのおかげで俺自身の演奏に、前向きになれたのだ。

 やましい気持ちはない。一言そのお礼を言いたい。ただそれだけだ。


 思いついてしまった。そう、彼女は俺の前に座っている。そこで左足を確認するには、前に出て彼女の足下に近寄る必要がある。そしてそれを自然且つ、スムーズに行う方法を。名付けて「落とし物作戦」。

 天才かもしれない。自分の才能が少し怖くなる。同時に、あおはるの病気が伝染したのかもしれないと危惧もしたが、そんなことより遙かに、彼女がしおりなのかどうかを確認したいという感情が勝っていたのだ。


 テイクオフ。心の中で呪文のように唱えると、俺は消しゴムを前方左斜め45度に弾く。これがしおりの左足下に落ち、それを俺が拾いながら、彼女の膝下を確認する。至極自然な成り行きになる。

 弾かれた消しゴムが床に落ちる。が、次の瞬間それはまるで生き物の如く、不規則なバウンドをして、更に前方へ進もうとする。

 やばい! しおりの足元で拾わなければ、座っている彼女の足下は確認できない。消しゴムが、彼女の席を通過する前に拾わなければ。

 俺はとっさに席を立ち、消しゴムに向かって体を投げ出した。


 この大事な局面で、チャイムの音と同時に号令がかかる。


「きりーつ」


 急な動きに俺の両足はつまづき、さながら競泳の飛び込みスタートのように、上半身から床に沈んだ。

 あ、確認しなければ。

 倒れた体をひねって、俺は彼女の足を見上げた。


 ジャパニーズハイソックス……。膝下は完全にガードされている。

 そして俺の飛び込みと同時にかかった号令で、彼女は立ち上がっている。俺の顔はまさに、彼女のスカートの真下にあった。


「う、ぅ……」


 恐怖でひきつる彼女の顔。凍り付く教室の空気。あぁ、俺……おわた……。

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