第3話 クリスマスと誕生日

『兄ちゃん! 兄ちゃぁぁぁん!』

つばさぁ! ――――ろ!』




 2学期最後の日、毎日のように見る夢と時計のアラームで目が覚める。


「またか」


 濁流だくりゅうにのまれる兄さんに向かって叫ぶ俺と、その中で必死に何かをとする兄さんの口。毎度同じ展開だが、兄さんが何を言っているのかはいつも聞きとれない。

 実際俺には5つ離れた兄さんがいた。そう、過去形――つまりもう亡くなっている。5年前に。

 俺の兄さん「黒井丈志くろいたけし」は天才サクソニアンだった。中学生の頃には既に全国にその名を轟かせて将来を渇望かつぼうされ、海外留学を視野に入れたコンクールにも出場が決まっていた。

 学校に演奏にと忙しい中でも、弟の俺をいつもかまってくれた。すごく優しくて大好きな、自慢の兄だった。

 いつか兄さんと一緒の舞台に立ちたい。2人で世界一を目指したい。それが俺の夢だった。そう、俺のせいで兄さんが死んだあの日までは。


 行ってきます。

 声には出さない。兄さんの遺影に向かって心の中で呟くだけ。

 父親は単身海外に赴任していて、長らく家にはいない。母親は家にいるが、兄さんが亡くなって以来、生き甲斐を失くしたように床に伏せてばかりいる。

 まぁ、兄さんを失い憔悴するのは分からなくもない。俺も同じだ。だからと言って、率先して関わりたくもない。

 いつまで落ち込んでいるつもりなんだ。俺がいるのに、兄さんしか見えていないのか。なら俺は一体何なんだよ。


 いつものように玄関で500円玉を手に取って財布にしまう。あんな母親でも、一応昼食代として毎日靴箱の上にお金は置いていてくれている。

 昔はとても仲が良かった。よく、笑って話もした。でも、兄さんを亡くしたことをきっかけに、俺は母さんを避けるようになった。今もう必要最低限の話しかしない。

 憎らしいとか嫌いとか言うのではない。ただ、その頃の些細な出来事が子供心に傷をつけ、未だに引きずってるのだ。きっかけを見つけられないまま時間だけが過ぎ、今さらどう接していいのか分からない。だから今の距離感がちょうど良い。

 でも、こんな俺たちを見たら兄さんはなんて言うかな。それを考えるのが一番辛い。


 自転車に跨ると、嫌な気分を振り払うようにスマホの写真を見る。そこでやっと少しだけ和みを得る。

 

 「いない、な?」


 真理が近くで見てるんじゃないかと慌てて辺りを警戒する。が、杞憂に終わった。

 安全が確認できると、俺は学校に向け自転車を漕ぎだした。




「おい!」

「…………」

「無視するなし!」

「――なんか用か?」


 終業式が終わって下校のチャイムが鳴ると、机に突っ伏した俺に真理が絡んできた。


「翼がどうしてもと言うなら、仕方ないから一緒にカラオケに行ってやる! ありがたく思え」

「は……?」


 全く理解できん。なぜ唐突にカラオケなんだ。そして俺は行きたいなんて、一言も言っていないぞ。


「いいから! 先に駐輪場に行ってるから待たせないでよ」


 そう捨て台詞ぜりふを残し、真理は教室を出て行った。教室に残っている数名の視線が一気に俺に集中する。真理は相変わらず声がでかい。


「話は聞いたぞ! 某も漆黒卿が悪さをせぬよう、監督役として同行いたそう」


 教室を出るともう1人面倒なやつに出くわしてしまった。廊下から聞いていたとはどんな地獄耳だ。


「なんだあおはる、お前も行きたいの? なら普通に言えよ、めんどくせーな」

「勘違いするでない! 某は卿がマリーに欲情しないように保護者としてだな――」


 マリーってなんだよ……。


「お前、真理が好きなの?」


 あおはるの話をさえぎり言うと、こいつは顔を真っ赤にして俺の口を右手でふさぎ、顔を寄せて耳元で言う。


「よいか、某の左手の餌食えじきになりたくなければ、言葉はきちんと選ぶことだな」


 全盛期に比べたらマシになったが、相変わらず中二病をこじらせている。


「よーし、では戦場に向かおうか同志よ!」


 そう言って俺の肩に腕を回し、強引に引っ張り廊下を進む。本気で逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。


「すげー遅いし、超待ったし、待たせるな言ったし」


 駐輪場に着くとすでに真理がいた。そしてブツブツと文句を言う。


「なんだ、マリーも行くのか。仕方ない許そう」


 あおはるは中二病だけでなくツンデレも併発している。男のツンデレとか全く需要がない。産業廃棄物並みのステータスだ。


「げ、あおはるも一緒なん? 来ちゃったものはまぁいいや。ほら行くよ」


 真理は俺と2人で行きたかったのか? まさかな。

 面倒な状況に、移動中2人を撒こうと考えるが、自転車の左右はがっちりガードされていた。さながらMIBに捕らえられ搬送される、タイプの宇宙人状態になりながら自転車を漕いだ。




「さて、今日は何の日でしょう?!」


 部屋に入ると、真理がわざわざ必要のないマイクで叫ぶ。


「ふふ、つまりマリーはこの日のために某とカラオ――」

「はい不正解! 今日はクリスマス、アンド翼16歳のバースデーで~す!」


 相変わらず意味不明なことを言おうとしたあおはるを軽くあしらうと、真理は上機嫌に言う。そういえば今日は誕生日だ。何年もお祝いされることのなかったその日を、真理の言葉で思い出す。


「普段翼はパンばかり食べてるから、今日は好きなもの好きなだけ食べなさい! それが真理サンタからの、クリスマス&バースデープレゼントで~す!」


「おい待て、俺はなんも用意してないぞ」


 サプライズとでも言うのか、とにかく焦った。クリスマスのお返しとなるようなものは、何も用意してない。


「翼にはちゃんとリクエストがありま~す!」


 なんだ? 財布は寂しいぞ……。


「帰ったら1曲演奏してね!」

「何を歌えばいいんだ?」

「バカなの? あんたの歌なんかリクエストしてもしょうがないじゃん」


 なぜカラオケに連れてきた……。


「サックス! 吹けるでしょ?! いつもサックス抱えてどこかに行ってるの知ってるんだから。それなら仕方ないから聴いてあげようと思ってるわけ。分かった?」

「あぁ、そんなのでいいのか」

「え?」


 そう返事すると、真理は少し驚いた表情を見せる。


「『え』ってなんだよ」

「いや、断られると思ったから。――じゃあ交渉成立!」


 まぁ分かる。俺も自分の口から出た言葉なのか自信がない。きっとしおりの言葉のおかげなのかもな。

 そして真理は笑顔になる。


「某からは何が望みであるか? できれば、能力は使いたくないのだが」


 あおはるは相変わらずだ。昔からの付き合いのせいか、この2人には気を使わなくて済む。


「じゃあ、あおはるはここの部屋代をお願い」

「なんだと? ここはマリーが出すと、さっき言ったのではないのか?」

「あたしは飲食代、あおはるが部屋代。何か文句でも?」

「――いや分かった、それで手を打とう……」


 してやられたような表情であおはるは返事をする。いくら気を使わないとは言え、自分だけ出費なしというのはさすがに気まずい。


「じゃあ、帰ったら駅に集合な。電車代は俺がもつ。演奏場所くらい決めさせろ」


 とっさに提案する。自分でも不思議なくらい自然に出た言葉だ。


「あいよー!」

「よかろう」


 一瞬驚きを見せるが、2人とも笑顔で返事する。

 誕生日を祝ってもらうなんて数年ぶりだろう。本来ならしおりに会いに河川敷に行くところだが、昨日の言葉を聞く限り今日はいないだろう。

 そんなことを考えたが、2人を見ると美味しそうに飲み食いして、楽しそうに歌っている。なんだかんだ、こいつらだけはいつも俺の周りにいたな。

 ――たまにはこういうのもいいかもな。それを見ていつの間にか俺も笑顔になっていた。

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