第1話 舞い降りた白鳥
上州名物の空っ風が冷たく吹きつける、利根川の河川敷にいる。橋の上には、埼玉へと続く国道を走る車のライトが絶え間なく見える。奥にある住宅街は堤防のおかげでここからは見えない。
手頃な大きめの石を見つけ腰かけると、寒さでかじかんだ手に息を吹きかける。肩に掛けたケースを下ろし、中から黄金色に輝くアルトサックスを取り出す。
マウスピースを取り付け、それを咥える。まずは音出しだ。
メジャースケールから。CメジャーからDメジャーと、順にキーを変えて。
音が馴染むと演奏を始める。楽曲は「ホワイトクリスマス」
12月下旬の今、時期的にちょうどいいと言うのもあるが、自信を持って吹ける曲が他にないと言うのが正直なところだ。
演奏しながら空を見上げると、雲の隙間に淡い輝きを放つ満月が見えた。
視線をゆっくりとサックスに向ける。そのときサックスの向こうに、月明かりに照らされながら踊る陰を見る。それは演奏に合わせるようにダンスをしていた。
え、誰かいるのか?
まさかこんな時間にこんな場所で。
目の前に急に現れたその陰に、まるで狐につままれたような感覚になる。正体を確かめるべく、注意を払って演奏しながらそっと近寄っていった。
かなり近付いたところで演奏を止めると、陰も動きを止めてこちらを振り向く。同時に、
満月に照らされたその姿は、舞い散る雪の反射も相まって、まるで白鳥のような少女に
すごくきれいだ。
だがそれだけでは、人目を嫌う俺はそのまま立ち去っていただろう。きれいではあったが、どこかしら悲し気な雰囲気を感じた。自分と同じ孤独感を。1人ぽつんと踊っているからなのか。
そんな感覚が、そのままじっと彼女を見つめさせる。
すると、空っ風がビュウっと彼女のスカートに纏わりついていたずらをする。
あ、あれ……。
振り向く彼女。はっきりとは見えないが、どうやらこっちを睨んでいるようだ。そしてどんどん歩み寄ってくる。
状況的に覗き魔のように思われたのかもしれない。逃げようとも思ったが、やましいことなど何もない。受けて立とうではないか。
目の前までやってきた彼女。おぼろげだった顔が、月明りのおかげではっきり見える。瞳は今夜の空のように深い
エルフって実在するのか? いや違う違う、外国人だろこれ。どうする、日本語で通じるのか――英語? だめだ、俺ランク1だぞ……。
日本人離れした容姿に見惚れながら、誤解を解こうとあれこれ考えてるうちに、彼女の口が動きだす。
「プリビェット!」
「あ、ハ、ハロー。ナイストゥミーチュー……」
カタコトの英語で応答すると、彼女は笑顔のままで右手を伸ばしてくる。
「お、オーケー!」
俺も右手を出し、握手に応じようとする。
「違うでしょ?」
「え?」
今、日本語を?
混乱する俺をよそに彼女は続ける。
「ス・マ・ホ。盗撮でもしたんじゃないの? 変態さん」
笑顔を崩さず、流暢な日本語で彼女は言う。
「あ、ごめ――って、変態ってなんだぁ!?」
予想外の展開に流されそうになったが、やっと我に返ることができた。
「確かに白ってのは分かったけど、断じて写真など撮ってない!」
「白……? やっぱり見たんじゃない?!」
「いや、それは……って、事故じゃん!」
誤解されたままなのは嫌なので、彼女にスマホを渡して潔白を証明する。
「な~んだ、せっかくヤポンスキー変態見つけたと思ったのに」
「その前に言うことあるだろ……」
「あはは、ごめんね」
スマホのデータと俺の必死の弁明により、疑惑は晴れた。なおも気分は曇ったままだが、天使のような彼女の笑顔に、思わず疑われたことを許してしまいそうになる。
「はい、返すね」
そう言って、彼女はスマホを返してくれた。
「でもなんで私を見てたの? ひょっとして見惚れてた?」
「だから幻想的だったからって言っただろ! アートだよ! アーティスティック、わかる? ドゥーユーアンダースタン?」
一転して小悪魔のような笑顔で聞いてくる彼女。日本語で話してるのに、その顔立ちのせいなのか照れ隠しのためなのか、横文字を混ぜてしまう。
「あのね、君何か勘違いしてるみたいだけど――私英語はほとんど話せないから」
「え?」
「私のお父さんは日本人、お母さんはロシア人。私はロシアに住んでたの。だから英語得意じゃないし、日本語は普通に話せるから」
「ハーフ?」
「むしろ戸籍上は日本人!」
「なんだ、日本人か。でもロシアに住んでたってことは……じゃあさっきのはバレエ?」
「まぁね。でもクラシックじゃないよ。それに今はもうやってない。君のほうこそ、サックス好きなの?」
「好きというかまぁ、下手の横好きというか……」
「もう、はっきりしなさいよ! あんなに気持ちのこもった演奏をして、下手とか上手とか関係ないでしょ!」
彼女は俺のどっちつかずの言い方に、苛立ちを隠さずに言う。
「君は本場でやってたし、ダンスが上手いからいいだろうけど、俺は……」
悲観的に言うことしか出来ない。
彼女と話したのは完全に失敗だった。なぜ彼女のダンスに惹かれたのか。結局いつもと同じ繰り返しだ。頼むから放っておいてくれ。
「ザトゥクニスィ! 私は君の演奏を聴いて、そしたら体が勝手に動いた!」
彼女は急に怒り出した。少しの間を置いてから、彼女の話す内容で何がその原因かは理解できた。
「君の演奏を否定するなら、それに合わせて踊った私も否定してることになるよ」
そこはどうなのかと問われてる。だがそれは君のエゴだ。
「俺にだって自分の事情がある」
誰かに聴いて欲しいなんて思ってない。俺はただの落ちこぼれだ。
「なんと言われようが、所詮は君のダンスの引き立て役でしかない。誰かに師事したわけじゃないし、でたらめな演奏しかできない!」
ずっと比べられていた相手、俺の兄さん。その頃を思い出すと俺は叫んでいた。
兄さんは大好きだった。ただ、大人たちの期待は兄さんに集まり、俺は単なる兄さんの比較対象でしかなかった。期待されないから俺は自由だった。だけど劣等感しかなかった。
だから褒められるなんて、違和感しかない。それは自分の役割ではない。その感情が声を荒げさせた。
「――バカじゃないの?」
「なんだと?!」
渾身の叫びに絶句するだろうと思った彼女は、予想に反して言葉を返す。
「私はもう、バレエやめたよ」
「え?」
「君、私をよく見た? ちゃんと見てよ、私を」
そう言われて、俺は彼女をまじまじと見つめなおす。端正な顔立ちから視線を下ろす。スレンダーな身体、細い指先、長い足。
あれ? 目を疑う。
「左足……」
やっと彼女の左足に気付く。
「うん、ロシアにいたときにね――義足ってやつ。でも最近のはすごいんだよ。普通に歩けるし、見た目もほとんど目立たない。ただ、バレエはダメみたい。あはは」
ずっと卑屈になっていた。大人たちに自分を見てもらえないのを嘆き、今を楽しく過ごす同級生たちとも馴染めず、俺は兄さんと言うハンデを負っていると思っていた。だけど彼女のそれはそんなものじゃない。
「ごめん……」
言葉が見つからず、それが俺の口から出せた精一杯だった。
「もう、日本人はすぐ謝るんだから。気にしてないと言ったら嘘になるけど、簡単な動きはできるし、私は私のダンスを楽しむ。じゃなかったら、私がかわいそうだから。私は今の私が好き。君ももっと自分を好きになろ。ね?」
「――そうだね」
今度は素直に思えた。そんな彼女の言葉で、俺はいつの間にか笑顔になっていた。
「少なくとも、私は君の演奏好きだよ。もちろんお世辞抜き」
「あ、ども」
褒められ慣れていない俺は、少しおどおどしていただろう。その表情を楽しんだ彼女は俺に言う。
「君、名前は? 私はしおり。ちゃんと日本人でしょ?」
「俺は翼」
「私はもう帰るね」
「うん」
「じゃあ翼くん、また明日ね」
「じゃあ、え?」
彼女の言葉を思い出す。「もっと自分を好きに」か。
困惑はしたが、自分を認めてくれる人がいた。褒めてくれる人がいた。純粋に嬉しい気持ちになった。
そして、最後に彼女が残した言葉に興奮する。高鳴る鼓動。なにこれ、ラブコメでも始まるの?!
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